82.偽翼はためく金烏


 ずん、ずん、と長めの間隔で振動が伝わってくる。

 もはや形を失ったノイズまみれのマリスがゆっくりと歩を進める。


 迫る巨体に、ひゅっと喉が詰まる。自分しか倒せない敵が少しずつ近づいてくる。

 恐怖で身体が縮こまるのがわかる。だが、怖じる自己を握りつぶすように拳を固める。

 例え弱くても。太刀打ちできなくても。敵わなくても。

 それでも戦うしかないのだとわかっている。

 

(わたししか……いないんだから)


 身体はボロボロで、これ以上戦えばどうなるかわからない。

 だがやるしかない。

 震える手を首元に持っていき、一瞬の逡巡の後、意を決してマフラーを掴む。

 《ミッシング・フレーム》――すでに一度使用した、マリスの力が込められた装備。

 連続使用はおそらく想定されていない。


 二度目はどうなってしまうかわからない。

 おそらくマリスの力に侵食され切ってしまうだろう。


 だとしても。

 やるしかない。

 深く息を吸い、吐く。

 

「――――界と」


「ちゅうもーーーーーーーく!」


 空から降ってきたソプラノに、ミサキの口が閉じる。

 うつぶせの状態から起き上がることができないのでその声に従うことはできない。が、聞き覚えはある。

 この世界で、もっとも多くミサキの耳を震わせた声だ。


 声の主は空から落下し、ミサキの傍らに着地した。

 横目で姿を確認すると、手に持った青い箒をしまうところだった。これに乗って飛んできたのだろう。どんどん魔女度が上がっていく。

 ローブのお尻の部分を手で払い、着地の衝撃でずれた三角帽を指先で直すと、からかうような笑顔をミサキに向ける。


「なにやってんのよもう」


「ごめ、」


「あー違う違う、倒しきれなかったのを責めるとかそういうんじゃなくて。あなた今また”力”を使おうとしたでしょう。違う?」


「それは……だってわたししか戦える人がいないんだからしょうがないでしょ」


 苦しげに額を地面にこすりつけるミサキを見下ろすフランは、少しだけ悲しそうに目を細めた後、にかっと笑う。


「それは過去の話よ」


「え?」


「前にも言ったでしょう? あたしは天才よ。天才のあたしが、いつまでもあなただけに戦わせるわけないってことよ」


 力強いその言葉に目を見開くミサキ。フランは輝くような笑顔でウィンクを飛ばしたかと思うとメニューサークルを呼び出し、ひとつのアイテムをオブジェクト化する。

 それは指輪だった。黒く透き通る、小さな水晶がはまった指輪。フランはそれを左手の中指に通した。


「《イミテーション・リンカー》。マリスの結晶を複製再現した、今のあたしに調合できる最高傑作よ」


 マリスの力をその身に深く宿したことのあるミサキにはわかる。

 この指輪は、マリスそのものではない。だが、似て非なる物のはずなのに同じ力を宿している。


 フランが何かを作っているのは知っていた。頭を悩ませているのも、苦心していることも。ここ一か月はいつも眠そうで、睡眠時間を削っているのも知っていた。


(このため、だったの)


 フランは笑う。

 悠然な笑みをたたえ、怖じることなど何もないという風に、指輪――《イミテーション・リンカー》をはめた左手を前に伸ばす。

 そして。


界到かいとう


 唇がそのワードを紡ぐと同時、指輪の黒い結晶が弾けて水滴のように拡散し、滞空したかと思うと一斉にフランへと殺到する。

 姿が変わる。三角帽が消え、ローブが形を歪めていく。

 

 今までのだぼっとした大きめのサイズのローブとはまた違う。

 黒くて薄手のドレスのような衣装へと変じていた。上半身はキャミソールのように肩が出ていて、下のスカートはふわりと広がり、うっすらと透けている。

 まるでピアノの発表会みたいだ、という感想をミサキは抱いた。


「…………マリシャスコート『エイリアスジョーカー』。成功ね」


 目の前で起きていることに呆然とするミサキをよそに、フランは杖を大地に突き立てる。


「【幻想展開グリッド・オーバーレイ】」


 地面に立てた杖の中心から黄金の光が全方位に駆け巡り、奇怪な図形を描いていく。

 これに似たものを、ミサキは何度もゲームで見たことがある。いわゆる魔法陣だ。


「これでここ一帯はあたしのアトリエになったわ――さあ、錬金術士の本領を見せてあげる」


 つまり、それがフランのマリシャスコートの力なのだろうか。

 ミサキの影と同様の固有能力。どこでもアトリエを召喚する――いや、フランのいる場所をアトリエと定義する力。

 だがアトリエを呼び出したとして、それが何になるというのか。


「逞帙¥縺ヲ逞帙¥縺ヲ縺溘∪繧峨縺!!!!」


 ノイズのかかった不明瞭な咆哮――もうまともな音の形を成していない。

 マリスが吠え声とともに、口からノイズの塊をいくつも乱射した。


 そのうちのひとつがフランへ襲い掛かる。


「まずい、フラン避けて!」


「必要ないわ。捕らえなさい、《キープキャプチャー》」


 フランが杖を振るうと、先端にはめ込まれた宝石から光の網が投射され、ノイズ弾を捕獲した。そのまま空中で留まり、ゆっくりとフランの手元に寄ってくる。


「火属性と地属性の複合ね。だったらこれを調合しましょうか」


 フランがおもむろに杖で地面を突くと、鐘のような音色と共に光の渦が現れる。

 そのまま光の網に手をかざし、ゆっくりと下ろすと、網は倣うように渦の中へと沈んでいく。


「さあご覧あれ。これがあたしの新しい力――【アンプ・ミックス】!」


 フランが高らかにスキルの発動を宣言すると、渦は回転し、収縮し――光の奔流をあたりに爆発させた。

 直後、炭酸が抜けるような音とともに爆発の中心から何かが飛び出し、地面に降り立った。

 

「《イラプション・ランチャー》……完成!」


 それはまるで冷え固まった溶岩ををくりぬいて作ったようないびつな大砲だった。

 黒ずんだ岩の隙間からは赤く明滅するマグマが覗いている。


 これがフランの力。

 アトリエを展開するだけでなく、周囲に存在するあらゆるものを使って即興の調合までやって見せる。

 

「目標巨大マリス――うてーっ!」


 ドンドンドンドンドンドン!! と大砲とは思えないほどの連射速度で赤熱する岩石が放たれた。

 ひとつひとつが直径3メートルがありそうなほど巨大で……というか大砲の口径より明らかに大きい気がする。

 

 岩石は重力など存在していないかのように一直線に飛び、ノイズまみれのマリスに全て直撃した。


「逞帙>繧?a縺ヲ豁サ縺ォ縺溘¥縺ェ縺!!」


 全弾直撃。

 苦しげな声を上げたマリスは傾ぎ――倒れない。まだ生きている。戦意もむしろ増している。

 猛牛のように前脚(と思われる部位)で数度大地を蹴ったかと思うと、猛然と――これまででは考えられなかったスピードで突進してくる。

 そのサイズと体重で轢きつぶすつもりなのだろう。


 迫る火山を目の当たりにしたフランは、余裕そうに鼻を鳴らす。


「これじゃ死なないか。だったら出しましょうか――とっておきのとっておき第3弾!」


 再びフランが杖を振るうと、先端の宝石から真円を描く緑色の宝玉が飛び出し、ひとりでに手の中に納まる。

 エメラルドのような美しい輝きの中には、荒れ狂う風が内包されている。

 

 フランはその宝玉を誇るように掲げると、マリスの鼻先へ向かって放り投げた。


「――――《永転裂風えいてんれっぷう》」


 囁くようなその言葉。

 同時に宝玉が強い光を放つ。

 これまで見せてきた《人工太陽》に《永久凍土》。フランの言う、とっておきのとっておきは規格外の威力で敵を倒してきた。


 そして今回は――風。


 宝玉が巨大な竜巻に変化する。

 山のような巨体を持つマリスよりもなお大きく、すっぽりと包んでしまうほどだ。

 竜巻に取り込まれたマリスはその動きを止める。驚きや戸惑いによるものではない。暴風の牢獄によって身動きができないでいる。

 そして――その身体が切り裂かれる。その竜巻は刃のように鋭く、マリスを切り刻んでいく。

 

「……………………………………!」


 何か声を上げているのはわかるが聞こえない。

 途轍もない暴風と、斬撃ダメージのSEにかき消されている。

 切断されたマリスの身体の破片が飛び散る。タールのような体液が撒き散らされる。

 その巨大なシルエットがみるみる小さくなっていき――後には何も残らない。

 

 山のように巨大で、炎のように苛烈な火山竜のマリスは、いともたやすくあっけなく、錬金術士の手によって撃破された。


 竜巻が止む。それとともに、深紅の空が抜けるような青に戻る。今度こそ完璧にマリスが倒されたという証だ。


「あたしという天才が……いつまでもマリスごときに遅れを取ってたまるもんですか」


 不遜な口調とは裏腹に、安堵が滲むため息をつく。

 マリスに対抗する力――ここ最近はずっとそのために苦心していた。

 天才と自称する少女のたゆまぬ努力はここに実を結んだ。


 ひとりぼっちで戦う友達を、これ以上独りにしないために。


 ただそれだけのために、フランは戦ったのだ。





 イベントは終了し、ミサキとフランは揃ってアトリエに転送される。

 アリーナのロビーではなく拠点であるこの場所に戻されたのは、参加する際にそう設定したからだ。仮に優勝などしてそのままロビーに戻ろうものなら他の参加者や観戦者に群がられることが容易に想像できた。


 マリスが出現したことで、イベントは優勝者無しで終了――とはならなかった。

 あの後、撃破したマリスの跡から光の輪が出現し、フランがそれに触れた瞬間優勝と相成った。光の輪はおそらく、マリスの元になった火山の中に設置されていた”ゴール判定”だったのだろう。

 それと重なったことでフランがゴールした扱いになり、優勝という結果が生まれたのだ。その瞬間ゴールに近い者から順位が付与され、フランとミサキは見事ワンツーフィニッシュを飾ることとなった。 


 おそらく運営側もマリスを不具合という扱いにはしたくないのだろう。

 だからイベントも中断しなかったし、商品や賞金も予定通り贈与されることになるはずだ。

 

「ついにやったわ! これであたしもマリスと戦える。あなただけ戦わせることも、もうないのよ!」


 喜色満面といった様子のフランがミサキの両手を包み持ちぶんぶんと振る。

 結実した努力が友達を助ける力になる。それが嬉しくて仕方ないようだった。


 だが、それに反してミサキは全くの無表情で俯いている。


「……………………」


「ミサキ? どうしたの」


 フランがその顔を覗き込もうとする。

 だがその前に、ミサキは勢いよくフランの手を振り払った。


「な、なにするのよ!」


 驚きに目を見開くフラン――そこで気づく。

 自分より、よっぽどミサキの方が驚愕に満ちた顔をしている。自分のしたことが信じられないと、揺らぐ瞳が雄弁に語る。

 

 後ずさった踵がアトリエのソファにぶつかる。ミサキがいつも使っている特等席。

 いつもは安堵の象徴であるそれも彼女を刺激したようで、激しく呼吸を繰り返しながら蹲る。

 明らかにおかしい様子に、フランは思わず駆け寄ろうとするが―――― 


「来ないで!」


 震える叫び声に足を止める。

 ミサキは顔を上げない。上げられない。


「………………ごめん。ごめんなさい…………」


 その言葉を残し、ミサキの身体が青く発光し消える。

 ログアウトのエフェクトだ。

 ひとりアトリエに残されたフランは呆然と立ち尽くす。


 喜んでくれると思ったのに。

 ミサキをこれ以上ひとりにしてはいけないと、それだけを思って走り続けてきたのに――こんなはずではなかったのに。

 あんな、傷ついた顔をさせるつもりではなかったのに。


 



 

 眼を開くと見覚えのある天井が見えた。

 ミサキわたし――神谷沙月の暮らす寮の自室だ。

 

 どくどくと跳ね回る鼓動の音と、喘ぐ自分の呼吸音と、そしてVRゴーグルから鳴る甲高い警告音。

 コンディションの悪化による強制ログアウトが行われたのだ。


 体調や精神の乱れによる強制ログアウトはよっぽどのことがなければ発動しない。

 裏を返せばそれだけ追い詰められた状況だったということになる。


「…………はあ、はあ」  


 上手く息ができない。

 汗にぬれた震える指で、ゴーグルのスイッチを押そうとする。一度、二度失敗してようやく押すと警告音が止んだ。


 マリスに負けたことが悔しいのではない。

 獲物をフランにかっさらわれたことがショックというわけでもない。

 自分だけの特権だったマリスの力をフランも手に入れたことが気に入らないわけでもない。


「なんで…………」


 自分のためにフランが頑張ってくれたのも、戦ったのもわかっている。

 そのことはなにより嬉しく思う。

 だが。


 その事実が何より神谷の心を締め上げる。

 わたしが戦っていたのはあの世界に生きる誰かのためだ。これ以上誰一人犠牲になってほしくなってほしくなかったからだ。

 だからあんなモンスターと戦うのは自分一人でいいと、そう思っていた。


 なのにフランも戦ってしまっては意味がない。

 自分のために犠牲になる彼女の行いが、どうしても受け入れられない。

 それだけはやめて欲しかった。

 仮に他の誰もが犠牲になったとしても、彼女だけは安全な場所にいてほしかった。

 神谷は博愛主義ではない。

 誰もを平等に扱うことはできない。

 だから大切な人たちくらいは守りたかった。


 以前もこんなことがあった。

 誰かが自分のために戦おうとし、そして傷つく。

 嫌な思い出だ。忘れたくても忘れられない、神谷が今も残す心の傷だ。


 その傷が今になって開いた。

 他ならぬ大切な存在――フランの善意によって。


 深く深く息を吐く。

 そうすると、胸が震えているのがありありとわかる。

 しばらくはこのベッドの上から動けそうにない。


 人の善意を受け取れない。

 そればかりか床に捨てて踏みにじってしまう。

 そうすることでしか自分を守れなかった。 


 ああ、きっとこれはマリシャスコートの副作用だ。無理に力を引き出したから、前みたいに心が衰弱してしまっているのだろう。

 だってそうでなければこんなこと思うはずがない。


 そうでなければ――わたしは、あまりにもひどい人間じゃないか。

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