223. Imaginary Number


 『アストラル・アリーナ』の本サービス開始から少しした頃。

 ミサキが偶然の巡り合わせでとあるPKギルドに殴り込みをかけ、見事勝利した帰りのこと。


『へいそこの可愛い彼女ー!』


 そんなふうに声をかけてきた魔女っ娘がいた。

 何でも彼女は錬金術士で、ミサキにアトリエの宣伝をしてほしいとのことだった。

 ミサキとしては見ず知らずの怪しい女に協力する理由が無く最初は断ったものの、紆余曲折の末勝負に負けて組むことになった。

 

 それがフランとの出会いだ。


 それからはずっと一緒だった。

 アトリエを盛り上げるために二人で頑張って……この世界では有数の知名度を誇るまでになった。

 かけがえの無い日々だ。

 恥ずかしくて面と向かっては言えないが、本当に楽しかった。

 フランと出会えただけでもこのゲームをやっていて良かったと思える。


 気は合うし、一緒にいて楽しいし、かわいいし。

 ……最後のはまあ、いいとして。


 フランにはこれまで助けられてばかりだった。

 特にマリスとの戦いに関しては、彼女が居なければ恐ろしい事態になっていただろう。

 仮にフランの助けが無かったとすると――マリスが出てくるたびに暴れさせるままになって、そのうち出現するたびにプレイヤー全員強制ログアウトの措置が取られて……そうなると、果てにはサービス終了だろうか。考えたくもない。


 本当に考えたくない。

 フランがいないなんて。




 神谷沙月は新学期早々だらけていた。

 『アストラル・アリーナ』へのログイン頻度は三日に一度ほどに減り、いざログインしても何をするでもなくアトリエでひとりぼんやりと過ごして終わることばかりだった。

 休みの日だというのにベッドに転がり、適当にスマホをいじるだけで日が傾いていく。

 こんなことでいいのだろうか。

 

「いいわけないよ」


 呟いた言葉は虚空に消える。

 

 フランとはいったい何者なのか――浮かび上がったその謎は未だ解消されないままだ。

 彼女はどう考えてもメンテナンス中にゲーム内で活動していた。そして、もっと言えば……おそらくは制限なくずっとあの世界に居続けていた。

 そんなフランの正体が、もしかすると彼女がいなくなった理由に関係しているかもしれない。


 こうして無為に時間を過ごしていると、自分の中のフランという存在が薄れていくのを感じる。

 このまま”昔の友だち”という箱に放り込んで、日々を過ごしていくのだろうか。

 

「それは、いやだな」


 いやだ。

 ならば行動しよう。

 どうすれば良いか分からないなら人に聞いてみればいいのだ。




 というわけでやってきたのは園田とアカネの部屋。

 ゲーム内では翡翠とカーマの名で活動している二人だ。


「沙月さんの言う通り、フランちゃんはただのプレイヤーではないと思います」


「あたしもそう思うわ」


 二人は神谷の考えに同意した。

 おかしな点はいくらでもあった、と。

 

「運営側の人なのかもって考えたこともあったけど、たぶんそれは無いかな。その……白瀬さんが、彼女には気をつけろみたいなこと言ってたから」 


「あたしもそう思うわ」


 今から考えれば、あの発言はフランがマリスへの対抗策を用意できたことと合わせて考えると何となく意図が掴める。

 白瀬にとってフランは、自分の計画を阻止できる唯一の存在だったのだろう。 


「でもそう考えると、白瀬さんという方はフランさんの正体について、少なくともある程度は知っていたということになりますよね」


「……そうかもね。でも……」


 彼は今も昏睡状態だ。

 聞きたいことは山ほどある。なのに、そんな時に限って当の本人と話すことができない。

 もどかしくて仕方なかった。


「ふっ、ふっ……あたしもそう思うわ!」


「あの、アカネ? ちょっと竹刀振るのやめて聞いてくれない? さっきからすごいびゅんびゅん言ってるんだけど」


「あたしもそう思うわ!」


「bot? ねーえーちゃんと聞いてよー、困ってるんだよー」


 足元にしがみついてうんうん唸ると、うっとうしそうに払いのけられる。

 そのまま数回竹刀を振ると、深く一息ついた。


「はあ……邪魔しないでよ」


「塩対応だなあ。愛はないの?」


「無いわよ」


「ばっさり言うね……」


 いつものアカネだが、今は少し泣きたくなる。

 そんなしょんぼりしている神谷を見て何か思うところがあったのか、アカネは深くため息をつくと、


「あのねえ、白瀬ってやつがフランについて知ってたなら他の運営のやつだって知ってておかしくないでしょ」


「…………あ」


 その発想はなかった。

 

 



 その後すぐに哀神に連絡し、アポを取った。

 ただ開発メンバーは相当に忙しくリアルで会うことは難しいので、隙間時間を使って『アストラル・アリーナ』内で会うことになった。


「……なんで待ち合わせ場所ここなんだろう……?」


 鬱蒼と木々が生い茂る森林エリアの奥のそのまた奥に鎮座する洞窟の中の小部屋にミサキは腰を下ろしていた。そばではランタンの火が揺れている。

 明かりが無いと何も見えないほど暗く、しかも死ぬほどじめじめしている……ような気がする。ここはバーチャルなので湿気という概念は無い。

 水辺などでは火属性攻撃が弱くなるといった仕様はあるが……。 


 と、どうでもいいことを考えながらスマホ再現端末をいじっていると、遠くから足音が響いているのを聞いた。

 少しずつ音は近づき、小部屋の入り口からその主は現れる。


「お待たせしました」 


 恭しく一礼した金髪碧眼のタキシード男は哀神だ。

 リアルとほとんど変わらない外見で、腰にレイピアを下げている点だけがこのファンタジー世界由来だった。


「いえ、大丈夫です」 


「それなら良かった。ですがひとつ謝罪しなければならないことがあります」


 哀神は申し訳なさそうに目を伏せる。


「どうしたんですか?」


「実はこの後どうしても外せない会議があるのです。『アストラル・アリーナ』の英雄との席なのだと言っても聞き入れてもらえず……」


「英雄はやめてください。……それなら仕方ないですよね。また日を改めましょうか?」


「その必要はありません。私の代わりを連れてきていますので。……ほら、こっちです。何を怯えているのですか! 早く!」


「ごごごごめんなさいいいいっ!」


 急かす哀神に慌てて小部屋に入ってきたのは、クラシカルメイドだった。

 露出は極めて少なく、長いスカートがふわりと揺れる。

 だがその本人はとてもメイドとは呼べそうもない陰鬱な空気を身にまとっていた。

 タキシードの哀神と並ぶと妙に絵になる……ような気がする。


「彼女は安達。弊社のプログラマーです」


「あ……はは、安達です。ゲーム内ではアドマイヤって名前で……その、よろしく……」


 おそらく伸ばしっぱなしの髪はぼさぼさ、目の下には深い隈。目はうろうろと泳ぎ続けている。

 口元には卑屈な笑みを浮かべ、「へへ、へへ」と愛想笑いを漏らしている。

 挙動はいいとして、ミサキはその服装に疑問を覚えた。


「……なんでメイド服?」


「あ、気になります? それはですねぇ……なんと!」


「なんと?」


「て、適当に選んだらこれだったのです! アバター作成時に!」


「…………そうですか…………」


「…………」 


「…………」


 もったいぶった割に微妙な理由だった。

 何と言えば良いのかわからず黙り込んでいると、哀神が深いため息をついた。


「見切り発車でしゃべろうとする癖は直しなさいと言ったでしょう」


「だ、だって哀神くん……あのミサキちゃんとの初対面だよ!」


「だってじゃありません。……もうこんな時間ですか。私はもう行かねば」


「えっ」


 本当に急いでいたのか、『それではまた』と言い残して哀神はログアウトした。

 ランプの灯が揺れる薄暗い洞窟の中、圧倒的な沈黙が落ちる。

 ぴちょん、と天井から水滴が落ちる音で我に返ったのか、無理やり作ったような引きつった笑顔で話し始める。


「ご、ごめんね。私なんかで……哀神くんの方が良かったよね」


「いえ、そんなことは無いですけど……」


 正直言って哀神のことは少し苦手だったから助かった。

 何というか、高くそびえたつ鉄壁を相手にしているような気分になるのだ。


 それに話が聞けるならなんでもいい。

 そのために今日は来たのだから。


「もう先に聞いてるかもしれないですけど、改めて。フランの行方と、彼女が何者なのか教えてください」


 居住まいを正して質問を投げると、アドマイヤの目がすうっと細められる。

 怯えた態度はそのままだが、どこか理知的な雰囲気も併せ持っている。 


「……か、彼女は私たちの間では『Tierra』と呼ばれてる……」


「ティエラ……?」


 聞いたことのない単語だった。

 もしかすると彼女の本名なのだろうか。


 そんなミサキの想像は、次の言葉で打ち砕かれることとなる。


「『Tierra』は、ぷ、プレイヤーじゃない。ましてや人間でも、な、ない」


「――――――――」


「あ、あれは……『Tierra』は、この『アストラル・アリーナ』で自然発生した電脳生命体なの……」


 その真実は、ミサキが言葉を失うには充分すぎるものだった。

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