214.Fun
彼を失ってからの年月を、いったいいくつ数えただろうか。
年も、月も、日も、全てを克明に記憶している。太陽が傾き始めたころの出来事だったことも。
今でもこの目はあの日の亡霊を追いかけている。
諦めることなく、ずっと。
よく笑う奴だった。
箱入り息子とは思えないくらいやんちゃで奔放で、そして自由だった。
思えば彼がそうした顔を見せるのは、僕らの前だけだったのかもしれない。
でも、もう彼はいない。
狂おしくセミの声が鳴り響き、泣きそうなくらいに真っ青な空が広がっていた、あの夏の日。
揺らぐ陽炎の中、彼は死んだ。
だから僕は。
だから僕たちは。
だから。
だから。
だから。
だから――――あの■■■をつくったのだ。
一瞬のことだった。
目の前の世界がアトリエから一瞬で切り替わり、そして味わう浮遊感。
「え? わ、」
直後、落下。
「いだぁっ!?」
したたかに顔面を打った。ゲーム内なので大して痛くはないが、反射的に痛みを訴えてしまう。
突然空中に転送されたものだから着地も受け身もうまく取れなかった。
強いて言うなら高度が極めて低かったことは幸いだろうか。
なんでちゃんと転送してくれないの、と愚痴をこぼしたくなった口が閉じる。
その前方――10メートルほどの距離に、黒ずくめの男がいる。
近未来的なデザインのボディスーツに、コウモリのようなケープ。頭部をすっぽりと覆うヘルメットのような仮面によって素顔はわからない。
あれが、黒幕。
「――――……」
ゆっくりと立ち上がる。
ミサキたちがいる場所は、これまで全く見たことのない場所だった。
だだっ広い円形の部屋だ。おそらく広さはアリーナのフィールドほどはあるだろう。
深い緑の床に壁。天井は無い、もしくは見える高さにない。
0と1が滝のように流れ落ちる壁には無数の画面が敷き詰められていて、この世界のあらゆる場所や謎のグラフが映し出されている。
この場所は、明らかに通常のマップではない。
黒幕の前にはコンソールのような機器があり、彼はそれを操作していたようだ。
何を目的としていたのかはわからないが、ともかく。
やっと対面することができた。
「…………!」
黒幕は何やら慌てた様子でミサキに背を向けると、手刀で虚空を切る。
しかし何も起こらない。
「無駄だよ。わたしがここに入った時点でこの場所は外部との接続が遮断されるようになってる」
これまで黒幕は空間に裂け目を作り、どこからでも現れ、そして姿を消した。
今回の一対一の状況を作ったとしても逃げられたら意味がない。
だからフランはその対策を講じた。
ミサキがアイテムストレージに入れているミラーボール型アイテム、《アイソレート・ディスコ》。
これがある限りこの部屋には誰も入ることができず、誰も出ることができない。
何度か手刀を振った黒ずくめはミサキの言葉が本当であることを悟ったのか、諦めて向き直った。
その外見からは感情が読み取れない。
恐れているのか。怒っているのか。それとも、何も感じていないのか。
相対するミサキは――どこか痛ましいものを見るような、それ以外にも様々な感情がないまぜになったような、そんな表情を隠すことなく晒していた。
「……もう最初に言っておくね。いま正体を見せてくれたら、わたしは何もしない。素直に投降してほしい」
本当は黒幕に対して、並々ならぬ怒りを抱いている。
マリスなんてもののせいでどれほどの被害が生まれたか。
いや、そんなのは建前に過ぎない。
身近な人たちを苦しめたマリスを、そしてそれを生んだ黒幕を絶対に許すわけにはいかない。
しかしそれと相反して存在するのは、どうして、という想いだ。
なぜそんな行為に走ってしまったのだろうと思わずにはいられない。
「なんでこんなことしたの? 例え目的があったとしても、こんなやり方じゃなくて良かったはずでしょ」
ただ人々を苦しめたかったからという理由ならまだわかる。
しかし、そうでなかったとしたら。
果たすべき目的のためにマリスを蔓延させたのなら、こんな悪辣な方法でなくてもよかったはずだ。
「ねえ、お願い。もう諦めて――――」
かつん、と。
ミサキの懇願を断ち切るように響いたのは、黒幕がどこからか取り出した黒い長杖のものだった。
メタリックな光沢をもつ二本の黒棒が螺旋状に絡み合い、先端に行くにつれ広がっている形状だ。
そこから読み取れるのは拒絶。
話を聞くつもりも、聞き入れるつもりもない。
「…………そっか」
ゆらり、と両腕が動く。
開いていた手がゆっくりと閉じられ、拳の形を作る。
「わかった。もういいよ」
戦闘態勢だ。
もう割り切る。そう決めた。
相手の事情は考えない。胸の内にある怒りだけを抽出して、この敵にぶつける。
それだけを考える。
「わたしはあなたを倒す。容赦なく、完膚なきまでに――もう謝ったって許さないから」
火ぶたを切るその言葉と共にミサキは猛然と走り出した。
同時に黒幕が黒杖で床を突くとミサキの左右に無機質なブロックが現れ、挟み潰そうとスライドしてくる。
「っ!」
寸前で一息に跳躍、真下でブロック同士が激突した音を聞きながら黒幕へと飛びかかる。
拳を握る。そのまま仮面に向かって振り下ろそうとして――――かつん、と。
突如として眼前に出現したのっぺりとした壁に阻まれる。
「これって……!」
貫けないと悟ったミサキは壁を踏み台にして後ろへ飛び退る。
先ほどのブロックも、今の壁も、いつの間にか消滅している。
あれには見覚えがあった。
どれもアリーナの特殊フィールドで出現していた障害物。
(…………破壊不能オブジェクト)
このゲームに存在する物質は、ヒビが入っているものなら攻撃することで破壊できる。
岩に木、時には大地そのものを割ることもできるし、アリーナの試合用に設置されたものまで様々。
しかしそれは逆に、ヒビの入っていないものはどうあがいても壊せないということを意味する。
ただ、壊せるかどうかは重要ではない。
本当に重要なのは、どうしてゲームに使用されているオブジェクトを黒幕は自在に呼び出すことができるのか、だ。
ミサキは思わず奥歯を噛みしめ、もう一度湧きあがったどうして、という問いを飲み込んだ。
今さら驚きはしない。
これまでさんざんやりたい放題されたのだから、これくらいのことは可能だろう。
予想外だが、想像の範疇だ。
だが、黒幕がその手の内を見せるにつれ、その正体が少しずつ詳らかになっていく。
そうなるべきだと臨んだ勝負だが、しかしミサキの苦渋の色は褪せなかった。
「……………………」
対する黒幕は、あくまで無感情に、機械的に動く。
その手をすいと上げ、おもむろに指を鳴らすと――景色が一変した。
「な……っ」
さすがにここまでは想像の外だった。
さっきまでのモニタールームのごとき空間から、だだっ広い草原へと舞台が移っていた。
《アイソレート・ディスコ》の効果がなくなったわけではない。そして空中に浮かぶ無数のホログラムモニターはそのままだ。
つまり、
「部屋の外見だけを別マップで上書きしたってこと……?」
黒幕は否定も肯定もしない。
ただ杖を地面に突き立てると、傍に出現したブロックが恐るべきスピードで伸びる。
それはまるで巨大な杭。
ここまでくると認めざるを得ない。
ミサキが今対峙しているのは、この世界そのものを自在に操る力を持っている相手だということを。
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