第七章 少女強化月間

105.あい・らいく・すかい



 泡。




 泡。

 だった。

 


 水が無くて、泡だけがある。



 透き通っていて、曖昧で、だけどはっきり隔てる膜。

 

 乾いた泡。

 嘘みたいな泡。


 そよ風が吹けばどこまでも飛ばされて、軽くつつけば割れてしまいそうに頼りない。


 この現実は夢?

 ずっと覚めないなら、現実?


 見上げても。

 うなだれても。

 息を吸っても、泡。

 

 頭上に広がる泡。

 足で踏みしめる泡。


 ふれるもの。

 目にみえるもの。

 そこらじゅうあるいているもの。


 全部が、泡。


 吐いた息が泡になって、自分との境目がわからなくなって――でも。


 ただひとつ。

 泡じゃないものがそばにいた。


 





 きらきらした金色の丸い飾りが手から滑り降ちる。横着して一度にたくさん持たなきゃ良かったと後悔した。


「ごめんアカネ、そっちに転がったオーナメント取ってくれる?」


「いやよ。それくらい自分で取りなさいっての」


 終業式を終えた昼下がり、神谷は友人のアカネとともに寮の自室を飾り付けていた。

 今日はクリスマスイブのイブ。明日の夜はここでささやかなクリスマスパーティを行うつもりだ。


「いーじゃんそれくらい! 取って取って取ってー!」


「うっさい甘えんな! ……ほら」


 ぞんざいに投げ渡された飾りを片手で器用にキャッチする。落とすかと思ってひやっとした。


「おとと。ないすーぅ」


 壁に通したフェルトの紐に丸いオーナメントを通していく。

 安物ではあるが、きらきらして恒星のようだ。

 

「みどりと陽菜はどこまで買い物行ったんだっけ」


「みどりはショッピングモールの雑貨屋さん。あんたが買い忘れたツリーの模型買いに行ってる」


「あー、そうだったそうだった」


「陽菜は部活よ。帰りに明日の料理の材料買って来てくれるって」


「あれ。今日部活休みって聞いてたけど」


「それは明日。いい加減ねあんた」


 面目ない、と頬をかく。

 ここのところ忙しかったのもあって(主にゲームだが)ばたばたしてしまっていた。


 マリス問題は残っているものの、とりあえずはひと段落したのでリアルにも意識を割いていきたいと思う。……期末の成績、少し下がってしまったことだし。それでアカネにも叱られたことだし。ゲームにかまけて勉強をおろそかにするとは何事か! と。

 それよりも悲し気に見つめてくるみどりの瞳が一番辛かったが。


「北条さんもクリスマス遊べたらよかったんだけど」


「寮長は仕事が詰まってるらしいわ。大人は大変ね」


「ほんとにね……よっし終わりっ!」


 最後の飾りを括り付けて神谷は自分のぶんを終わらせる。

 さっきまで手のうちで輝いていたものが無くなると、急に心細くなってしまう。それでも目の前を見ればきらめくオーナメントが並んでいて、小さく息を落とした。


「あたしはとっくに終わってたけどねー」


「知ってますー! 手伝ってくれればよかったのに」


 よいしょ、と足場にしていたベッドの上から降りる。

 するとテーブルの上に無造作に置かれた神谷のスマホが震えだした。


「ちょっとしつれーい」


 一応断ってスマホの画面を確認する。着信は『超絶☆かわいい後輩ももかちゃん』と表示されている。

 

 姫野桃香。

 神谷の学校の一年生で、『アストラル・アリーナ』でも繋がりのある、神谷にたびたび絡んでくる後輩だ。

 当の彼女に半ば強制的に登録させられた名前に苦笑しながら緑色の受話器ボタンをタップして応答する。


「はい、こちら沙月先輩」


「桃香でーっす♡」


 甘ったるい声が耳朶を震わせる。

 そういえば携帯電話の音声は吹き込まれた音に似ている合成音声を再生しているだけなので本人の声が聞こえているわけではないという話を頭の片隅で思い出した。


「どしたの?」


「それがですねえ、桃香困っちゃって――今駅にいるんですけど」


 駅? と思ったが、電話の向こうからざわざわと喧騒が聞こえる。それに加えて『まもなく――――番線に――――方面が参ります』というアナウンスも合わさった。

 

「もしかして学校の最寄り駅?」


「です。実は、ちょっと定期入れを忘れてきちゃったみたいなんですよね」


「まさかとは思うけど……もしかして取ってきてってこと?」


「わあさすが! 察しがいいですね」


 げんなりする。

 面倒だし、自分で取りに来ればいいのにと思うし、寮暮らしだなんて言わなければよかった。

 とは思いつつ壁掛け時計を確認する。まだおやつの時間にもなっていない。暇はある。


「……わがままお姫さま」


「えへへ、褒め言葉です」


「まあいいや。たまには先輩らしいことしてあげるよ」


「やった!」


 やけに喜ぶな? と思いつつ、通話を切る意志を示すとなぜか少し慌てた様子で、


「あ、その。もしかしてお忙しかったりします?」


 と、気遣わし気な声色で。

 少し笑みがこぼれてしまう。小悪魔ぶるわりになり切れないのが一番かわいい。そんなことを言えば頬を膨らませてしまうだろうが。


「ううん、大丈夫。今日は夜まで暇だから。で、どこに忘れたの? 定期入れ」


「部室棟の女子更衣室です。番号は――――」


「ふんふん」


 視線でアカネに行ってもいいかと確認すると、ひらひらと手を振る。

 好きにしろ、とのこと。


「――――じゃあ行くよ。またあとで」


「はーい♡」


 赤い受話器に触れ、通話を切る。

 まったく、という愚痴が思わずこぼれた。


「ニヤついてきもっ」


「きもって……え、そんな顔してた?」


「かわいい後輩ヤッホー! って感じ」


 マジか、と苦笑いする。

 思っていたより浮かれているらしい。後輩というものがまともにできるのは初めてで、しかも自分を慕ってくれているとなれば格別だ。出会った当初はまあまあ苦手な相手だったような気がするのだが。


 クローゼットを開け、外出用の私服とモッズコートを身に纏う。


「あんたのゲームやってていい?」


「いーよー。行ってきます」


「行ってらっしゃい」


 据え置きゲーム機のコントローラーに手を伸ばすアカネを尻目に自室を後にした。





 がらんどうの更衣室から言われた通り定期入れ(なんかふわふわしたピンク色のやつ)を回収し、最寄り駅まで気持ち速足で歩いて、到着。なんだか道のりが長く感じた。

 入口の階段を上がって改札口に着くと見覚えのあるツインテールを発見した。


「おーい」


「あっ、先輩!」


 ぱたぱたと尻尾を振って駆け寄ってくる子犬を幻視した。いや、神谷の方が身長は低いが。

 喜色満面といった様子だ。この子いつも嬉しそうなんだよなあ、と微笑みつつ、定期入れを差し出す。


「どうぞ。こんどからは気を付けてね」


「はーい、ごめんなさい。……で、なんですけど……」


「ん?」 


「デートしましょう!」


 それはもう満面の笑みで。

 12月23日、クリスマスイブ、のイブ。

 神谷は初めて後輩からデートに誘われた。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る