69.薄闇駆ける暗器


 チェックポイントを通過し転送されたミサキが降り立ったのは鬱蒼とした森林だった。先ほどいた荒野とはまったく毛色の違う場所である。

 

「なるほど、そういう感じね」


 つまりこのレースイベント専用エリア『ミリオン・マラティーニ』はチェックポイントごとに複数のエリアに区切られている構成なのだろう。いったい何エリアで構成されているのかはわからないが。

 おそらく各エリアに試練が設定されており、それを突破すればチェックポイントにたどり着けるということ。さっきの荒野エリアの試練は超広範囲地雷原だった。


 結局速さだけで勝負を決定するつもりはないということだ。考えてみれば当たり前で、明確にスピードが数値化されるゲームという舞台では番狂わせは起きにくい。

 だったら単なる一本道にするはずがない。


 この森林エリアの試練はいったいなんだろう――そう考えていると、ちょうどいいタイミングで目の前に半透明のメッセージウインドウがポップアップした。


「うわびっくりした。……ええと」


 突然のことに驚き、軽く仰け反った後まじまじと見つめる。

 そこにはこう書かれていた。


『敵を10体倒せ!』


「端的すぎない?」  


 まず敵とは。

 そういうところからわからない。

 雑魚敵、いわゆるMobでもいるのだろうか。


「うーん……とりあえず歩いてみようか……よっと」


 ひとりごとの途中で唐突にしゃがみこむミサキ。

 その頭上を刃が通過した。立ったままだったら首が飛んでいたところだ。

 素早く後ろの敵から距離を取り、向き直って構える。


「…………なぜ気付けた?」


 ミサキを背後から襲ったその短い銀髪の男はみるからにアサシンと言った風貌だった。

 黒っぽい軽装で身を包み、口元をこれまた黒いマスクで隠している。鋭い三白眼には敵意と困惑が宿っていた。


 全く音は無かった。そんなことができるスキルを、ミサキは寡聞にして知らないが――少なくとも目の前の彼が静かに忍び寄ってきた以上は存在するものなのだろう。

 

 よく見ると彼の頭上には薄く7という文字がホログラムで表示されている。ふと上を見てみるとミサキの頭上には0が表示されている。もしかするとこれが『敵』を倒した数なのだろうか。


「なんとなく死ぬ気がしたから」


「そんなわけないだろう。どんなスキルを使ったんだ」


 ほんとに勘なんだけどなあ……とぼやくミサキ。

 耐久力に難のある彼女は自分を狙う気配――敵意や殺意に対して非常に鋭敏になっていた。


 あえて言語化するならば、プログラムによって一定の感覚で揺れる音を出すよう設定されている木々のリズムが一瞬崩れた。その違和感を感知したミサキは『気配』として受け取った――彼女自身はそこまではっきりと自覚して気配を察知したわけではないが。あくまでもなんとなくレベルのものだ。

 

 じりじりと距離を計りながらお互いに【インサイト】を発動させ、お互いのステータスを閲覧する。

 アサシン男の名前はシュナイダー、クラスはハイドローグ。

 聞いたことのないクラスだ。攻略wikiでも見たことがないのでスペシャルクラスだろうか。


「…………お前、本当にクラスがないんだな。噂通りか」


「でもけっこう強いよ。……ってわたしは思ってるよ」


「知っている。よく聞く名前だからな」


 そう呟くシュナイダーは姿勢を蜘蛛のように低くし、真っ赤な刀身のナイフを構える。

 きっとこの人は強い。そう直感したミサキは深い集中に入る。気を抜いて勝てる相手ではない。そもそも第一エリアを抜けている時点である程度の強さは持っているだろう。 


「討伐数ゼロか。あまりおいしくはないが、ここでお前を倒せば少しくらいは名が上がるかもな」


「……? なんでもいいよ。早くやろう」


 話していると忘れそうになってしまうがこれはレースだ。うかうかしていると先頭との差はさらについてしまう。

 だからここで要求されるのは――短期決戦ただひとつである。






 木々の隙間を駆け抜ける二つの影が火花を散らす。

 ミサキは自分の顔に向かって投擲されたナイフを首を振ってかわす。


「……っぶないなあもう!」


 一瞬も気が抜けない。

 一定の間合いを保っていないと鋭いナイフが突き立てられるのは目に見えているが、だからといって距離を取れば無限にナイフが飛んで来る上に、そもそも徒手空拳のミサキは近づかなければ攻撃を当てられない。

 

(すっごく速いよこの人!) 


 見た目と装備からわかってはいたが、軽装と短剣をはじめとした軽い武器に加えて素早さ重視の育成……いわゆるストライダービルドと呼ばれる、ミサキと同型のプレイヤーだ。


 ストライダービルドは理論値だけの産廃――そういった評価は過去のものになりつつある。サービス開始からしばらく経って、プレイヤーたちはアバターの扱いにも慣れてきた。それに従って運用難易度の高さから敬遠されてきたストライダービルドを実用するものも少しずつだが増えた。環境は推移しつつある。他ならぬ、プレイヤーたちの進歩によって。


「…………【ステルス】」


「また消えた!」 


 シュナイダーが発動したスキルによって、彼の音も影も形も消えて無くなる。これがハイドローグの固有スキル、【ステルス】だ。効果時間は短いが、驚異的な隠密性能を発揮できる。

 途端に訪れた静寂――しかしそれを破るものが現れた。


「うわあミサキだ! ど、どうしよう、ここで倒せば大金星? いやでも逃げた方が……」


 がさがさと茂みから現れたのは指揮棒のようなステッキを持ったメイジ系クラスと思しき女性プレイヤーだ。どこか落ち着きがなく、突然の鉢合わせにしどろもどろになっている。頭上の数字はミサキと同じく0だ。

 闖入者に対応を迷っていたのはミサキも同じで、しかしとりあえず『目の前の彼女をどうすればいいか』という案件からはすぐに開放されることとなる。


「…………邪魔だ」


「あ、え?」


 突如姿を現したシュナイダーが、女性プレイヤーの背後からその首を容赦なく切り裂いた。ダメージエフェクトが炸裂し、崩れ落ちた女性プレイヤーは消滅した。

 直後、シュナイダーの頭上に光る数字が7から8に変化する。やはりあの数字は討伐数ということで間違いないらしい。


「わー、容赦ない」


「当たり前だろ。勝負の邪魔だ」


「そうだね。じゃあ再開しよ!」


 ドン! と強く地面を踏みしめる音。同時に一息でシュナイダーの眼前へとミサキは迫る。

 だがその直後。すでにシュナイダーは大きく後ろに飛び退り、ついでとばかりにナイフを投げつけている。

 頬をかすめた刃に肝が冷えたが、ミサキは臆さずさらに前方へと踏み出す。


「ほあちゃー!」


 見よう見まねの中国拳法……っぽい動きで踏み込みと共に肘鉄をみぞおちに叩き込む。

 付け焼き刃とは言えミサキのスピードから繰り出された攻撃は恐ろしい速度。よって常人ではそう反応できるものではない。

 直撃――しかも人体の弱点にヒットしたことでシュナイダーのHPが大きく削られる。ストライダービルドの唯一といっていい弱点である耐久力の無さが如実に出た。


「ごはっ……!」


 現実では絶対にやってはいけない危険な攻撃だが……ここは仮想現実バーチャルリアリティ。痺れるような痛みとダメージのみで済む。

 だからシュナイダーは素早く体勢を立て直し、返す刀で逆手に持ったナイフをミサキの首に向かって振るう。


「…………っ!」


 無理矢理に頭を後ろに下げたものの無傷とはいかなかった。一筋の傷が首に刻まれる――薄皮一枚が切り裂かれた。ダメージは微量だが、まともに当たれば危うく即死しているところだった。

 全く気が抜けない。一瞬でも止まれば、ないし判断が遅れればその時点で負ける。特にこの近接戦闘では。


 シュナイダーのナイフは容赦なく急所を狙ってくる。だが、逆にだからこそ狙ってくる場所がわかる。確かに当たれば大ダメージは免れないが、彼の眼は急所にしか向いていない。

 

 首をはじめとした太い血管がある場所――バーチャルといえどある程度人体の構造を反映しているこのゲームではそういった場所を攻撃すると通常よりはるかに高いダメージが期待できる(もちろん的確に狙うには高い技術と取り回しのいい武器が必要だが)。


 しかし弱点しか狙わないことがわかっていればそこがつけこむ隙になる。


ったぞ!」


 突如がら空きになったミサキの胴体――そこにある心臓へと、勝利を確信して突きこまれたナイフを持つ右手が途中で止まる。

 ミサキが手首をつかんでいるのだ。


「ふふ、取った」


 にやりと笑うミサキを目の前にし、同時に膨れ上がった危機感にシュナイダーは鋭く息を吸い込んだ。一刻も早くこの手を振り払わなければ――いったん距離を取らなければ。そんな考えから身体がこわばり、しかしもう遅かった。


 ぐわん、と視界がブレる。


「おわっ」


 とっさに出た間抜けな声を恥じる暇もない。

 蹴り上げられて空中に浮いているということを数秒遅れで理解した。

 そして理解できたからと言ってどうすることもできない。


「はあっ!」


 一閃。

 目にも止まらぬ回し蹴りが炸裂し、吹っ飛んだシュナイダーは猛スピードで近くの樹木に叩き付けられる。叩き込まれた運動エネルギーによって数瞬の間貼り付け状態になったシュナイダーの目前にミサキが踏み込む。

 とっさに【ステルス】を発動し、シュナイダーの身体が消失していくが――動けない状況では意味がない。

 

「やめ――――」


「やめない!」


 全力の右ストレートが胴体に直撃した。

 クリティカルを示す深紅のダメージエフェクトが飛び散り、シュナイダーごと衝撃を受け止めた木はミシミシと悲鳴を上げた後、真っ二つに折れ、木くずという名の亡骸をあたりに散乱させた。


「があああああッ!」


 地面に叩き付けられたシュナイダーは何回も転がり、やっと停止する。

 起き上がる気配はない。


「ぐっ……ああくそ、ここで終わりか」 


 倒れたまま悪態をつくものの、もうHPはゼロだ。数秒もしないうちにアリーナのエントランスへと送還されるだろう。

 

「楽しかった。またやろうね!」


「…………嫌だよ」


 喜色満面なミサキに心の底から嫌そうな顔をしたかと思うと、青いポリゴンの破片となり、シュナイダーはミサキの目の前から消滅した。

 そんなに拒否しなくても……と唇を尖らせるミサキだったが、あることに気付く。


「おー、数字増えてる」 


 ミサキの頭上の数字が0から4になっている。

 シュナイダーを倒したからだろうか――いや、ただ討伐したにしては増えすぎだ。おそらくすでにポイントを持っているプレイヤーを倒すと、相手が持っていたポイントの半分を取得できるという仕組みなのだろう。

 

「うん、これなら思ったより早く抜けられそう!」


 そういうルールならやることは決まった。

 

 先人に倣え――すでにポイントを持っているプレイヤーを片っ端から闇討ちするのが早そうだ。

 それに気づいたミサキは、とても悪い笑みを浮かべていた。

 初手でリンチされそうになった彼女の頭の中からは、とっくに『容赦』という二文字が抜け落ちていた。

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