155.死服


 翡翠……リアルの園田みどりは家族と実質的に絶縁している。

 幼いころから身に余る教育と暴力を与えてきた父。

 共に暴力を受けながら内心では娘を愛すことなく、高校入学と共にあっさり姿を消した母。

 本当に絶望的な環境で、咽び喘ぐように生きてきた。


 園田は寮に入ることでそんな家庭から抜け出した。

 しかしやっと自由を手に入れたと思ったのもつかの間、父が連れ戻そうとしてきたこともあった。

 そんな時に助けてくれたのは神谷だった。必死になって大の大人相手に噛みついて守ってくれた。

 

 今思い返しても胸が温かくなる。

 神谷のあの行いに、どれだけ助けられたことか。どれだけ救われたことか。

 

 そして、今眼前にいるのはそんな自分と近い境遇を持つ者。

 園田は――翡翠は、そんなライラックへ手を差し伸べたかった。

 どれだけエゴとそしられようと、どれだけ拒絶されようと、何かを変える一助になればと思わずにはいられなかった。





 右手の銃で空を薙ぎ払うようにして数発の弾丸を放つ。

 必然的にそれらは対戦相手――ライラックとは見当違いの上空へと飛んでいく。


「……なに……?」


 畳みかけるように翡翠は前方へ向かって無造作に弾丸をばら撒く。

 全てが的確に相手を狙っていた先ほどとは違い、ほとんどの弾が狙いを外している。

 困惑するライラックだったがこれならかわすのは難しくない。自分を狙っている弾丸に対し身をひねって避け――そこで気づく。

 避けた先に別の弾丸がある。

 

「…………っ!」


 無理やり身体をひねると、弾丸が袖ごと腕を浅く裂いた。

 無理な回避がライラックの体勢を崩し、そしてそこにも次の弾丸が『置いて』ある。


(この人……!?)


 慌てて立ち上がろうとしたライラックの腿に弾丸がついに着弾し、ダメージエフェクトを散らす。

 思わず膝をつくと、その耳に空気を切り裂くような音が届いた。


 空。

 見上げると、降り注ぐ弾丸が見えた。

 最初に放った弾丸が曲射によって今落下してきたのだ。

 

 ダメージによって体勢を崩されたライラックに回避する術はない。

 ズドドドッ、と数発の弾丸が身体のあちこちを穿った。


(…………もしかしてさっきまでは本気じゃなかったっていうの…………?)


 まるで狩人。

 獲物のあらゆる動きを先読みし、そこに弾丸を撃ちこんでいく。

 躱されることまで織り込み済み。追い立てるようにして逃げ場を絞り込み本命を確実に当てる。

 一発一発の威力は小さいものの、これだけ撃ちこまれればHPは大きく削られる。


 翡翠は本来、争いを好まない。

 暴力を振るうことの意味を彼女は良く知っているからだ。それがたとえゲームの中であっても。

 しかし、それが絶対に負けられない戦いであったならば、翡翠は躊躇いなく、容赦なく、慈悲もなく、敵を討つ。


「降参してほしい――とは言いません。私はあなたを絶対に倒します」 


 ぴたり、と銃口を座り込むライラックの額へ向ける。

 ライラックは震える唇を引き結び、必死に翡翠を見据えた。彼女の澄んだエメラルドグリーンの瞳にひどく憔悴した自分が映った。

 勝てるなどとは、微塵も思っていないような表情だった。


「…………そうだよね、お姉ちゃん」


「…………?」


 ここで。

 ライラックは初めて、自分の中に創り上げた空想の姉ではなく、今は別のところからこの戦いを見ているであろう本当の姉へと語り掛ける。


「こんなライラじゃきっと愛してもらえないよね」 


 ならば変わるしかない。

 今の自分が駄目なら、これまでとは違った自分へと。

 ライラックはおもむろに傍らの棺桶、《デストルディア》に手を掛けた。


 まずい、と嫌な予感が現実になる前に翡翠は引き金を引こうとして、


「――――【軍屍ぐんし渇亡かつぼう】」


 間に合わなかった。


「ぐっ……!」


 勢いよく棺桶が開き、そこからどす黒く澱む瘴気が溢れ出す。

 吹き飛ばされた翡翠はなんとか空中で体勢を立て直して着地するも、波のように迫りくる瘴気から逃れるために数回バックステップを繰り返した。

 どんな効果かわからない。触れるだけでも効果が発揮されるかもしれないと考えた翡翠だったが、それは結果的には杞憂となった。


 超広範囲の地面を覆うように広がったその瘴気から、人の姿をした化け物が次々に出現したからだ。

 黒ずんで溶けかけた皮膚。抜けた髪。零れ落ちる眼球。意志薄弱で緩慢な動き。


「ゾンビ……!」


 【軍屍・渇亡】は大量の亡者を召喚するスキル。

 姉のリコリスには気持ち悪いから使うなと言われ封印していたそのスキルを、ライラックはこの試合において使った。

 誰も知る由のない、本人ですら自覚していない少女の前進。

 この戦いを経て、少しずつライラックに変化が訪れていた。


 このスキルを使えば。

 この試合に負ければ。

 今よりもっと嫌われるかもしれない。愛してもらえなくなるかもしれない。


 だが。

 もうなりふり構わない。

 とにかくどんな手を使っても目の前の相手を倒す。


「みんな、頑張って……っ!」


 ライラックの号令に呼応し、ゾンビ軍団は口々にうめき声をあげたかと思うと翡翠へと迫る。

 その数は目算で100を超えている。そして、ゾンビにしては思いのほか足が速い。

 なだれ込んでくる亡者の大群に対し、翡翠は毅然と銃口を向ける。


「なかなかの迫力ですね!」


 掴みかかろうとしてくる手をひらりとかわしつつ、近くのものから眉間に弾丸を命中させる。 

 しかしそれでは止まらない。仰け反りはするものの、ゆっくりと体勢を立て直して歩き出す。

 少しずつ逃げ場が無くなっていく。


 翡翠は一瞬だけ瞑目し、


「換装!」


 双銃を変形させる。

 ボストンバッグのように両手で提げる形式のガトリング。

 すぐに銃身が高速で回転し始め、凄まじい弾幕をばら撒いた。


 足りなかったのは火力。

 血肉と粘液の中間のようなものが次々に飛び散り、まるで別のゲームになってしまったかのような情景が広がっていく。その壮絶な絵面に、顔をしかめる観客が散見されるほどだった。 

 双銃では倒れることのなかったゾンビたちは、圧倒的な物量によって蹴散らされていく。

 

 その弾幕の主は、悠然と歩を進め、ライラックのもとへと近づいていく。

 その周囲には原形を留めなくなったゾンビの残骸が黒い煙を上げていた。

 時間にして数十秒。それだけで、あっさりと虎の子のゾンビ軍団は殲滅されてしまった。


「…………手札はこれで全部ですか?」  

 

 その形を双銃へと戻した《フラクタルネイバー》の片割れを突き付けて呟く。

 しかしライラックは笑っていた。いつも何かに怯えていたライラックが笑顔を浮かべていた。


「わからなかったんだ」


「…………」


「どうして誰もライラを愛してくれないのかな。どうしたらお姉ちゃんはライラを愛してくれるのかなって」


 ぎこちない笑顔だった。

 心からのという枕詞はとてもつけられない。口の端を曲げ、目を細め、歯を見せて。最低限、笑うという動作の必要項のみを満たしたような。

 笑うことに慣れていない――否、今までまともに笑うことができなかった子どもの笑顔だった。


 しかし彼女にとって初めての笑顔だった。


「わかったのはついさっき」


 ゆらり、と空気が変わる。

 翡翠は知らず知らずのうちに息を止めている自分に気づいた。


「……これまでのライラは愛してくれないなら、変わるしかないんだって。もっともっとすごいライラになれば、そうすれば――何かが変わるのかもって思ったんだ」


 風が吹いた。

 そう翡翠は感じたが、それは誤りだ。

 倒れたゾンビの発する瘴気が一点を――主であるライラックを目指している。

 

 がくん、と足の力が抜け、思わず翡翠は膝をつく。

 

「【死套しとう】」


 黒い瘴気が完全にライラックを覆い隠す。

 途端、傍らの棺桶がまるで怪物の大口のように開き、瘴気ごとライラックを喰らった。


「……いったい何が」


 何とか立ち上がった翡翠だが、その身体からは力が失われている。

 まるで極限まで披露した直後のような、と考え、そこで気づく。

 自らの身体から漏れ出す白い霧のようなものがあの棺桶に吸い込まれていく。


「これじゃまともに戦えませんね……」 


 呟いた瞬間、棺桶がどろりと溶け、ぼろきれのような黒い装束を纏ったライラックが現れた。

 その装束の端もまたドロドロで、したたり落ちた粘液が地面に染み込み溶かしていく。

 そして今もなお翡翠の身体から白いなにか――おそらく生命エネルギーのようなものを吸い続けている。

 

 ゲーム的な処理だと、【死套】を纏ったものの近くにいると永続的に固有のデバフが付与される、ということになる。


「ライラは勝つ。新しい自分になるために!」


 袖の粘液が溢れ出してライラックの両手を覆ったかと思うと、それは硬質な黒爪へと姿を変えた。

 

「……私だって負けるわけにはいかないんですよ!」


 もうただの試合ではない。

 おそらくは、変わり始めたライラックという少女の未来をかけた戦いになるだろう。

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