103.神へ静寂をもたらす者
四方向から迫る雷の光輪を紙一重で回避しながらミサキは考える。
カンナギがスキルを多用し始めた。こちらが何かを狙っていることに気付いている、と。
そしておそらくその内容にまでは気づいていないだろうと。
「貫け、【ボルテック・ピアース】!」
カンナギが突き出した剣の切っ先から鋭い尖光が放たれる。
起動コードにとっさに反応したミサキは真下からのアッパーカットによって軌道を逸らす。30度ほど角度を変えたレーザーは頭頂部をかすめてどこまでも飛んで行った。速い弾速の上に無限の射程――以前撃ち抜かれた経験から、ミサキは戦闘開始から常に注意を払っていた。
強力無比な攻撃の数々は一度喰らっただけでも致命傷になりかねない。仮に耐えたとしても追撃を免れるのも困難だ。
だから無傷で勝つくらいの気概で挑まなければならない。はたから見れば優位を取っているように見えるかもしれないが、崖っぷちなのはミサキの方だ。
だからこそ。
劣っているならそれ以外の要素で埋めるしかない。
思えば最初からそうだった。
クラスが無く、素手を強要されたからスピード偏重の戦法になった。火力不足を補うために確定クリティカルを考案した。
そうやって必死で周りとの差を埋めて、食らいついて。
いつの間にか自慢できるくらいには強くなっていた。
誰かから憧れられて、応援されるくらいには。
「がんばれせんぱーいっ!」
聞き覚えのある、甲高い声が届く。
カンナギの攻撃を凌ぐことに精いっぱいで目を向けることはできないが、見なくてもわかる。ラブリカだ。
全身ピンクが印象的なミサキファンクラブの初期からの会員で、リアルではミサキの後輩。そんな彼女はこのバトルに駆け付けてくれていた。
それ以外にもシオや、くまや、とろさーもんや、エルダは――来ていないみたいだけれど。
彼ら彼女らが見守っている。
それにシュナイダーも、撮影ドローンを飛ばしている。ミサキに憧れている
みんな、ミサキを見ていた。
誰かに見られながら戦うということに、ミサキはあまり慣れていない。
いや、今までも公式戦などでは大勢の観客からの視線を受けて戦っていたのだが、彼らはミサキの知らない誰かで、無貌の大衆でしかない。だからそれを意識することはあまりなかった。
だが今は――まばらな観客席にはミサキの知る人々がいる。
ひたむきに勝利を願ってくれている。ここに来ている以上は、きっとそうだ。
(うん……)
悪くない。
接近してきたカンナギの振り下ろした剣を、全力の横殴りで弾く。
「…………がんばろうって思うよ――――」
「【ブリッツ・シュラーク】!」
期待を背負っている。
それに、フランだってもちろん見てくれている。ミサキが勝利すると願ってくれている。
だったら、その願いは叶えたい。いや、絶対に叶えなければならない。
カンナギが瞬間移動したのを見て、すぐさま真上に跳躍。
オーバーヘッドキックの要領で蹴り飛ばす。
「がはっ!」
数十メートルほど吹っ飛び、一度バウンドしてなんとか体勢を立て直すカンナギ。
その頬は焦燥に引き締められている。だが、
「勝ってリーダー!」「負けんじゃねえ!」「立ってくれーっ!」
「ナギてめえ負けたら承知しねえぞ!」「諦めんなー!」
その頬が緩む。
彼の率いる軍団が――ギルドのメンバーもまた、喉を枯らして自分たちの長へと想いを投げかけている。
勝ってくれ、と。
ただ純粋に。
その想いに呼応するかのように、カンナギの身体が黄金のオーラを放ち始める。
グランドスキルの発射準備が整った証拠だ。おあつらえ向きに距離まで離れている。
以前は見ただけで敗北を確信したその輝き。
しかしこの今に至っては――ミサキに笑みを浮かばせる。
「わたしが勝つ!」
「僕だよ!」
カンナギも答えるようにして獰猛な笑みを浮かべる。
剣を大地に勢いよく突き刺し、右手を掲げるとそこへ轟音を響かせて雷が落ちた。
びりびりと波動が伝わってくる。空間ごと揺れているのがわかる。
負けることを確信して、その上で勝とうとした前回。
今回は、勝つためにここに来て、勝つために戦っている。
きっとこれは最大のピンチだ。カンナギのグランドスキルはまさに必中必殺。対象をどこまでも追尾する超高速の雷はどんな敵も逃がさない。
いろいろ考えた。どうすれば勝てるか。どうすればあのスキルを破れるか。考えて考えて――出た結論は。
「ステロペス。アルゲス。ブロンテス――――、っ!?」
発動コードを唱え始めたカンナギは気づく。
ミサキが何故かこの状況でメニューサークルを立ち上げていることに。
その唇が動く。距離が離れている上に右手で唸る雷の音に遮られて声は届かず、何を言っているのかわからない。
だが彼女は笑っていた。
「ありがとう。最後のヒントをくれたのは……カンナギ、あなただった」
開いているのは装備画面。
素早く指を動かしたかと思うと、ミサキの全身が――いや纏っている装備が一瞬輝き、直後消滅した。残ったのは上半身のインナーとショートパンツのみ。
(――――まさか)
「だああああああっ!」
身軽になったミサキは足元を全力で殴りつける。すると爆発的な砂塵が広がった。余波でいくつもの石柱が砕けて消滅していく。半径数メートルほどの範囲を黄土色の煙幕がすっぽりと覆ってしまった。
その状況がもっともよく見えている人物――このバトルを配信している客席のシュナイダーが思わず口を開く。
「そうか、装備重量…………!」
このゲームの走行スピードやジャンプ力などの機動力は、ステータスよりも装備の重さが強く影響する。その仕様を知っていたカンナギが前回の戦いでとった選択が、ミサキのスピードについていくために防具をすべて脱ぎ捨てるというものだった。今回も最初から防具を装備してきていない。
そして今回はミサキがその戦法を取ろうとしている。
耐久力のないミサキを守る命綱が消えて――しかし、それは同時に。
彼女の枷が外れたということを意味していた。
シュナイダーは、バーチャルにおいて存在しないはずの胸が高鳴るのを感じていた。
ミサキの鮮烈な速さに魅了された彼は焦がれる。
(…………なあ、見てるか。あいつはまたすごいことをする気だぜ)
中継でこの試合を見ている同志たちに心の中で語り掛ける。
なによりも憧れた彼女が、その速さを極限まで高め、無敵と呼ばれたスキルに立ち向かおうとしている。
最初は速さを求めてもうまくはいかなかった。
スピードに振り回され、ただ走るだけのことがこんなにも難しいのかと思い知らされた。それでも憧れることはやめられなくて、彼女の対戦動画を幾度となく見た。時たま更新される攻略wikiの立ち回り指南記事も何度だって読み返した。それを書いているのが当のミサキだとは知る由も無かったが。
そうしている内に同志とも出会えた。このゲームが、もっと楽しくなった。
…………思春期特有の自意識から、未だミサキのファンクラブに入る勇気は持てないままだったが。
それでも期待せずにはいられない。
シュナイダーはドローンを操作する手に、無意識に力を込めた。
そしてカンナギもミサキが速さを求めて装備を外したことを見抜いていた。
どういうつもりかはわからないが、これさえ放てば絶対に勝てる。
絶対無敵。最強のスキル。何があろうとこれだけは打ち破れはしない。絶対に。
「――――放たれるは絶命の雷。撃ち抜け、【ケラウノス】!」
突き出した右手から七色七条の雷が放たれる。
強大にして迅速。その雷はミサキへと一斉に襲い掛かる――はずだった。
「なに……?」
それはカンナギにとって異常な光景だった。【ケラウノス】は対象をどこまでも追尾し、着弾すればオーバーキル級のダメージを与えるスキル。これまで一対一という状況でしか使って来なかったが、その時はいつも七条の雷が揃って同じ軌道で敵に向かっていた。
なのに今は。
七条の雷はバラバラになり、全く違う軌道でミサキが隠れているはずの砂塵の中へと襲い掛かる。
凄まじい速度で宙を駆ける雷は瞬く間に砂塵を引き裂き――隠れた少女の姿をさらけ出す。絶対に当たる。逃げようとしたって追いつく。そういうスキルだ。
だがカンナギは再度目を疑うことになる。
「……………………!?」
今度こそ驚愕で言葉を失う。
そこには、砂塵の中には、何人ものミサキがいた。
「なんだあれ!?」「ぶ、分身……!」「ニンジャだ!」
何人では足りない。何十人ものミサキが立っている。
七条の雷がそのミサキたちに直撃するたびにその分身は消滅し、標的を失った雷は瞬きほどの間迷うような揺らめきを見せ、すぐに近くの分身へと向かう。
そして、そうしている間にも凄まじい速度で分身は増え続けていく。
この間、実に0.1秒以下。
異様な光景が続く。
その一瞬にも満たない間にカンナギは考えを巡らせる。
(分身……? 確か忍者というスペシャルクラスはそのようなスキルを使えると聞くが……彼女には当てはまらない。だとすれば残像か。あの驚異的なスピードで残像を作りだしている……いや、しかしただの残像に【ケラウノス】が惑わされるはずはない。ならばなぜ……)
誰もがその光景に驚愕する中、ただひとりだけ。
ある意味ではこの場で最もミサキに近い人物が――シュナイダーがそれに気づいた。
「残像じゃ、ない」
マスクに覆われた口元は笑っていた。
あまりにも荒唐無稽で、しかしその技を考えたことがあったから。
冗談で考えたそれはどこまで行っても机上の空論でしか無くて、仲間内でもネタにしかならなかった。
理論上は可能だと主張しながら、その言葉が不可能と同義であると知っていたから。
ミサキが今行っているのは、単純なことだ。
ただ走って、止まって、走って、を繰り返すだけ。
それだけ。
そんなことは誰だってやっている。
ゲームの中に限らずとも、現実でだってだいたいの人はやっている。
ただし、それを描画速度が全く追いつかないスピードで敢行した場合は話が別だ。
ミサキは機動力を上げるパッシブスキルはほとんど取り切っている。
それはただ最高速度を上昇させるためのものだけではなく、動作にメリハリをつけるためのものが多い。
少し例を上げれば【ステアリング】【スタビライザー】【サドンストップ】――名前だけではピンと来ないかもしれないが、平たく言えば方向転換精度の向上および減速緩和、加速力上昇、急停止による減速力上昇――等々。
これに現在のミサキの速さを乗せたうえで、走っては止まるを繰り返して場合どうなるか。
「システムがあいつのいる場所を誤認してるんだ……!」
猛スピードで走り、1フレーム――このゲームにおいては60分の1秒にあたる――だけ急停止。直後そこから走り去り、また止まる。そうすることで、アバターの現在地を規定する座標システムが『そこにミサキが存在し続けている』という誤った計算結果を導き出し、それに付随してアバターの姿を描き出す描画システムがその場所にミサキの姿を描き出す。
こうして、『当たり判定を伴った虚像』が無数に生み出される。”そこにいない”のに”そこにいる”を同時に実現した結果、強力な追尾力を持つ【ケラウノス】すら騙して見せる。
ミサキの速さがシステムを越える。世界を欺く。
「くっ……しかし、本体はどこに――――」
首だけを動かしてあたりを見渡すカンナギ。
しかし見えない速度で移動しているからこそのこの現状。
見つかるはずもなく――しかし。
「…………あと10秒」
懐。
ぞわり、と背筋が凍る心地がした。
気づけば宙に浮いていた。
数え切れないほどの数の拳を一瞬にして叩き込まれたのが、辛うじてわかった。
「ぐ、ふ……っ!」
一瞬だけ。
インパクトの瞬間に、一瞬だけミサキの姿を目視できる。
直後、衝撃と共に吹き飛ばされる。今度は蹴りだ。ガトリングと見まごうほどの密度で集約された打撃がカンナギのHPを削り取っていく。
空中を、何もないところでバウンドするように。
四方八方、あらゆる方向から叩いて均されるような打撃。カンナギの身体は地上に降りることなく打撃の牢獄に囚われている。
いつもなら抵抗ができただろう。なんなら【ブリッツ・シュラーク】による瞬間移動で無理矢理空中コンボから抜け出すことだってできたかもしれない。
だが、
「ずっと見てたよ。君のスキルを」
連撃の最中、もはやどの方向かも判別がつかない状態で、その声は聞こえた。
「気になってたんだ。どうして君は勝った後あんなにも長くファンサしてるのかなって」
カンナギは、毎回【ケラウノス】でとどめを刺す。
そして勝った後、しばらくは観客席に笑顔を振りまき続ける。
ずっと、その場で。
「――――技後硬直をごまかすためだったんでしょ? それも15秒ものなっがいヤツをさ」
「……!」
スキルには終了後硬直時間が存在する。
それはスキルによって違うが、基本的には強力であるほど長い時間が設定されている傾向にある。
【ケラウノス】の場合は実に15秒。完全に動けないというわけではないがその間、攻撃・防御・移動が不可能になる。これは戦闘において絶望的だ。それだけの時間硬直が持続するとなると、サンドバッグになってしまうことは必至。
ミサキはそこを狙った。【ケラウノス】を放った時こそが――それだけが、勝利への道筋だと確信して。
だからこそ虚像を作り出し凶悪な追尾能力を惑わした。その隙にがら空きの本体を叩くために。
ミサキが攻撃していることで虚像の増産は止まっている。しかしまだ全滅には至っていない。
「だから――ここしかないんだ! あなたを越えるためには!」
全力のアッパーによってカンナギの身体が高く打ち上がる。
それを目視したミサキは一度着地し、恐るべき速度で跳躍。もう彼のHPはほとんど残っていない。
その直後。雷が全ての虚像を消しつくした。最後のひとり――本体のミサキへと迫る。今や神速と呼べる彼女を上回るスピードで。相手がどれだけ逃げようとそれ以上の速さに自己修正する。カンナギ本人も知る由のない【ケラウノス】の隠された能力だ。絶対に命中するという触れ込みは伊達ではない。
だが追いつかない。
追いかけても、それより速く。
「――――――――!」
振り抜いた拳が、カンナギの顔面を捉え。
わずかに残っていたHPが完全にゼロに達した。
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