133.手向けの花


 ずずずず、とほとんど空になったオレンジジュースをストローで吸う。

 どうしてかというと間を持たせるためだ。


「………………」


「……ご趣味は……」


「…………え?」


「や、なんでもない……」


 ミサキは激しく後悔していた。目の前で黙り込む少女……ライラックを喫茶店に誘ったことそれ自体ではなく、そもそも話が上手い方ではないのだから、こうしてマンツーマンで対面することはなかったのではないかと。相手も自己主張が乏しいタイプということもあり雰囲気がお通夜と化していた。

 とはいえジュースをすすって間を持たせるにも限界がある。


「あ、そうだ。ライラってわたしのことどこで知ったの?」 


「えと、動画で……ライラ、対戦動画とかよく見るから……」


「へー。誰のバトルが好き?」


「お姉ちゃん……」


「お姉さんもこのゲームやってるんだ。仲いいんだね」 


「……………………」


 ライラは下を向いて黙り込んでしまった。

 彼女の手元に置かれたオレンジジュースのコップの表面を水滴が滑る。さっきはかなり時間をかけて注文に悩み、結局ミサキと同じものを頼んでいた。

 

 姉の対戦をよく見るのに、仲がいいわけではない。だが先ほどの戦闘中はボイスチャットか何かで姉と話していたような気がする。

 何やら複雑な事情がありそうだったが、突っ込んで聞くのははばかられた。


「ライラ」


「お姉ちゃん、ライラどうしたらいいかな……え? でも……」


「ライラ? 聞いてる?」


「あ、その……ごめんなさい……」 


「いや全然いいんだけど……そうだ、ライラのクラスって何? 棺桶使ってたけど、珍しいよね」


「んと、ネクロマンサー……い、いちおうスペシャルクラス」 


「ネクロマンサー? っていうと死体を操ったりするあの?」 


 確かに腑に落ちる面はあるかもしれない。

 棺桶から骨や人魂のようなものを発射していたし……いや、本当にネクロマンサーのすることか?


「……そういうのもできる。でもあまりやらない」


「どうして? 強そうなのに」


「お姉ちゃんに怒られる……。お前のスキルは怖いんだって」


 ……まあ、確かにさっきの『骸の花嫁』との戦闘の時を思い出すと、死体がぞろぞろ出てくる様は中々にグロテスクかもしれない。しかしそうは言ってもスキルを使うこと自体を禁じなくてもいいような気はする。

 そして素直に従っているライラ自身はそれでいいのだろうか。


「さっき一緒に戦って思ったけどさ。ライラ強いよね」


「えっ!? ……そんなこと、ないよ……お姉ちゃんはライラのこと弱いって言うし……」


「ううん、さっき戦ったボス結構強いやつだったよ。それをあんな一気に倒しきれるってかなりすごいと思う」


 あのダンジョンの推奨レベルは70だった。その表記に大して意味はないと述べたが、それはそれなりに上位のプレイヤーにおいての話だ。70という設定は、具体的に言うと挑戦する際は当然レベル50以上にしたうえである程度優秀な装備とプレイヤースキルが要求される。

 少なくとも生半可なプレイヤーでは全く歯が立たない難易度だ。


「でもどうしてあんなダンジョンにひとりで来てたの? それこそお姉さんと一緒に来たっていいと思うんだけど」


「……あの、その……お姉ちゃん、ライラのこと嫌いみたいで……」


「――――」


 家族。

 仲のいい家族ばかりではないことはよく知っている。正しいかそうでないかに関わらず、そのあり方が人間の人生を蝕むものだということも。そんなものが当たり前に跳梁しているということも。

 ミサキは、よく、知っている。


 仲がいいに越したことはないとは思う。実際ミサキ自身、母親との関係は良好だった。たった二人の家族だったからこそ大切だった。

 だけどそれがどうしても敵わない家族というものもまた存在する。

 家族、血縁。それ以前に人と人だ。どうしたって合わないことはある。親子。きょうだい。形も関係も様々だが、血のつながりがある、そして同じ屋根の下で暮らす。それだけで何の努力もなく仲良くできるほど人間同士というものは甘くできていない。


「でもライラ、一緒にいたくてずっとくっついてたんだけど、昨日『ひとりで行かないと二度と一緒に行動しない』って言われて……」


「え……それは、」


「あ。ミサキー!」


 聞き捨てならない言葉の直後、聞きなれた声に思わず振り返る。

 喫茶店の入り口でフランが手を振っていた。ライラとどちらを優先するか迷ったあげくフランに曖昧に頷き、ライラへ向き直ると対面の席は空になっていた。


「あれ、いなくなってる」


「ミサキといたゴスロリチャイナっ子ならあたしが来た途端青く光って消えちゃったけど……悪いことしたかしら」


「……そっか。いや、大丈夫」


 青い光と言うことはログアウトか。

 かなり人見知りのようだったし、フランという知らない誰かが闖入してきたことで慌てて逃げてしまったのだろう。

 

「そうそう、翡翠とカーマの装備が完成したから呼んでみてくれない?」


「わかった。じゃあチャット送って……いいや、一度ログアウトして呼びに行ってくるよ。もしかしたら明日になるかもしれないから気長に待ってて」


 了解、という声を聴きつつメニューを操作するとライラと同じく青い光に包まれる。

 ほどなくして薄れゆく意識の中、ライラにはまた会わないといけないな、と決意した。





「……ライラ莉羅」 


 ログアウトを済ませ、消沈した様子で自室から出てきた前髪の長い中学生くらいの少女、紫紅莉羅しくれりらはそれよりも年上に見える少女に声をかけられ肩を跳ねさせる。今しがた学校から帰ってきたと思しきその少女は制服姿で弓袋を背負っているところを見ると、今学校から帰ってきたところなのだろう。


「あ……お姉ちゃん……」


 姉の姿を認めた莉羅は喜びと恐怖が入り混じった複雑な表情を浮かべる。それを見た姉は――紫紅珠華しくれみかは密かに、しかし確かに苛立ちを滲ませた。

 

「またゲームしてたのか」


「う……うん、あのねお姉ちゃん、莉羅ね、ひとりでダンジョン行ったよ……」


「嘘だな」


「え……? そ、そんなこと……」


「……私は忙しいんだ。お前の相手をしてる暇はない」 


 吐き捨てるように言い残して、珠華は自室へ入った。バタン! と当てつけのように音を立てて閉じられたドアに、莉羅は身をすくませる。

 莉羅と珠華。姉妹の関係は冷え切っていた。

 

「…………っ」 


 震える手を握りしめ、莉羅もまた自室に戻り布団を頭からかぶる。

 そうしていつものように助けを求めるのだ。


「……お姉ちゃん……莉羅はどうすればいいのかな……」


 呼びかける相手は姉の珠華――ではない。

 莉羅が作り出した架空の存在。優しく、頼もしく、困ったときは助けてくれる『理想のお姉ちゃん』。

 しかしその存在は沈黙を守っている。いや、最初から莉羅を助けてくれることはなかった。そんな脆いものに縋らないと、莉羅は立っていられなかった。


 優しい姉など知らないのだから、”それ”が何を言ってくれるかなどわかるはずもない。

 しかし――莉羅は思う。ならばこの『お姉ちゃん』はどこから生まれたものなのだろう、と。

 

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