139.桃色包囲網


 姫野桃香という少女のことを一口に語るとすれば、可愛い後輩だ。


「あ、いた。おーい」


 彼女との関係も、気づけば随分と当たり前になった。

 初めは異物でしか無かったものが、いつの間にか履き慣れた靴くらいの位置に収まっている。思えばそれは不思議な感覚で、しかし人間関係というものは往々にしてそういったものなのかもしれない。


「……あれ、聞こえなかったのかな。おーい!」


 姫野について知っていること。

 学年は一つ下。

 バスケ部。

 とても部活熱心。

 あざといが、小悪魔にはなりきれない。

 そして大変に懐いてくれている。


「行っちゃった。でもこっち見たと思うんだけどなあ」


 ……と、思っていたのだが。

 

 



「最近桃香がよそよそしいんだよね……」  


 昼休みの教室のざわついた喧騒の中、自作の弁当をつまむ手を止め、神谷は深いため息をつく。

 よそよそしいというより避けられているといった方が正確かもしれない。


 明らかに目が合っているのにどこかへ去ってしまう。当然向こうから会いに来ることも無くなった。前は何もなくても嬉しそうに尻尾を振って寄ってきたのに、と神谷は不満げに唇を尖らせる。


「沙月、なにかしたの?」


「単に忙しいからかもしれませんよ」


 神谷と同じ内容の弁当を口に運ぶ光空と園田。

 どちらも姫野の存在は知っている。たびたび彼女が神谷のもとを訪れていることも。

 しっかりと言葉を交わしたわけではないが、姫野が神谷を慕っていることははたから見ていればすぐにわかる。だからこそ現状は不可解だった。


「忙しいにしたって何にも言ってこない子じゃないと思うんだよ」 


 ただでさえいつもはチャットアプリでこれでもかと通知を飛ばしてくる後輩である。

 他愛ない話、スタンプの連打、『アストラル・アリーナ』の誘い等々――枚挙に暇がない。

 だというのに今はぷっつりと連絡が途絶えていた。とりあえず姿は確認できるので体調が悪いということはない。というかジャージ姿で部活に行っているところをつい最近見たところだ。


「嫌われたとかだったりして、あはは」


「えっ…………」


「そんな世界の終わりみたいな顔しないでよ沙月……冗談だって」


「ダメじゃないですか光空さん、この人友達に嫌われるとか離れていくとか特大地雷なんですから!」 


 目を潤ませ始めた神谷を二人でしばしあやす。

 非常に小柄であることも相まって、たまにこの子は赤ちゃんなのではないかと錯覚するときがある。 


「連絡は入れてみたの?」


「ううん、まだ。返信こなかったらどうしようかと思って……」


「なら今チャット送ってみましょうよ。私たちが見守っててあげますから」


「それがいいよ。骨は拾うし」


「陽菜はなんで失敗前提なのさ。……まあ、そこまで言うなら」


 面と向かって会いに行くよりはまだ気が楽だ。

 何度か書いて消してを繰り返し、悩んだ末に『最近どう?』『パンダが逆立ちしているスタンプ』『パンダがサムズアップしているスタンプ』『カモノハシが二足歩行しているスタンプ』を送った。


「それはいったいどういう感情なの……?」


「せめてパンダで統一してほしかったです」


「あと『最近どう?』もざっくりしすぎだと思う」


「沙月さんって……いえ、なんでも……」


「そこまで言わなくてもいいじゃあああああん!!」


 がくん、と天井を仰ぐ。

 最近二人に辛辣さがアカネから移ってきているような気がする。

 

 ともあれ、送ってしまったものは仕方がない。

 そのまま三人で返信を待つことにする。


「あ、既読ついた」


「早っ」


「…………」


「…………」


「……………………」


「……………………」


「えっと、返信は?」


「…………ない」


 再び天井を仰ぐ。

 ついに既読スルーを喰らってしまった。


「えっと、ほら、偶然忙しいときに開いてしまっただけかもしれませんし!」


「フォローありがとうみどり……優しさがしみるよ……」


「うーん、やっぱり直接会いに行ったほうがいいと思うんだけどな」


「それはちょっとまだ怖いっていうか」


「だったら外堀から攻めましょう」


「外堀?」


 つまりはですね――と続ける園田の講釈に耳を傾ける。

 納得した神谷は次の策を開始するのだった。





 別のクラスに入る時はどうしてこうも国境を越えるような気分になるのだろう。

 教室の扉の窓からとりあえず中を確認する。

 

 策というのは単純明快、桃香のバスケ部の先輩に話を聞きに行くというものだ。

 三年は引退しているから選択肢は絞られる。そのうえで後輩の先輩ということは、つまり同級生。

 神谷たちのクラスには運悪くバスケ部がいないので、こうして隣のクラスを訪れたというわけだ。


「…………よし」 


 意を決してドアを開くと教室にいた生徒たちの視線をある程度集める。

 少し鼻白んだが、そこまで動揺はしない。『アストラル・アリーナ』で有名人ということもあり、見られることには慣れてしまった。

 軽く教室内を見渡し、目当ての人物を探すとすぐに見つかった。顔の広い光空に聞いていた通りの外見で、数人で固まって談笑しつつ購買のパンにかぶりついている。


「佐田さーん」


「ん?」


 振り返った彼女は仲間に断ってこちらへ歩いてくる。

 ベリーショートの髪に、バスケ部らしく高い背丈。引き締まった全身はアスリートそのものだ。

 

「神谷さんじゃん。どうしたんだよ」


「わたしのこと知ってるの?」


「ははは、まあな」


 笑う佐田に驚いていると、彼女の仲間――おそらくバスケ部の部員たちまで近づいてきた。


「えー神谷ちゃん!?」「ちっちゃい!」「聞いてた通りかわいいー!」


「やっ、ちょ、撫でないでっ!」 


 わらわらと囲まれたかと思うといきなりもみくちゃにされる。

 身長差のせいで大人と子どものやりとりのようだった。


「こらこら、やめなってお前ら」


 佐田がやんわり注意すると『はーい』と素直に手を引っ込め席へと戻って行った。

 なんだったんだいったい、とわずかに荒れた息を戻す。


「ごめんな。前から神谷さんのことはよく聞いてたから、絡めて嬉しかったんだよあいつら」


「聞いてたって――――」


 神谷はゲームの中ではかなりの知名度を誇るが、こと現実に至っては特別目立つことをしているわけではない。

 それがここまで知られている、それもバスケ部相手となるとやはり……


「うちの桃香マネからな。もうことあるごとに先輩が先輩がってさ、あたしらもあんたの先輩だっての」


 からからと笑う佐田。

 ああ、姫野は部活で愛されているんだなというのがそれだけでわかった。


 とはいえ自分のことが話に出されまくっているというのはなかなかに気恥ずかしいものがあった。

 

「ね、参考までに桃香がいつもどんな話してるか教えてほしいな」


「それは自分で聞いた方がいいんじゃないかな」


「むー……まあいいや。その桃香のことなんだけど、最近なにか変わったこととかない?」


「うーんそうだな、ちょっと元気が無いように見えたけど」


「ちょっと?」


 ここまで露骨に避けられているとなると何か重大な理由があるのではないかと考えていたが、聞く限りはそうでもないのかもしれない。

 いや、その『ちょっと』というのが佐田の主観でしかないことを考慮すると鵜呑みにもできないが。


「桃香がどうかしたのか?」


「や、その……なんだろ。避けられてるっていうか」


 なんとなく現状が認めがたくて口がもごもごする。

 『避けられている』と口にした瞬間驚くほどに胸が痛んだのがわかった。


「だから……同じ部活の先輩なら何か知ってるかなって思って……」


「なんかだいぶ堪えてるみたいだな。ただなー、言ってもあたしらは部活の先輩に過ぎないからな。プライベートまでがっつり仲良くしてるわけでもないんだぜ」


「……そっか」


 思わずうなだれる。望みが絶たれてしまった。

 これからどうしようか、と暗澹たる思いで俯いていると、


「……あのさ、あたしらずっとあの子のこと心配してたんだよ。ぱったり部活に来なくなってさ」


「ああ……」 


 桃香はもともとバスケに打ち込むスポーツ少女だった。

 しかし中学生のころオーバーワークが原因で選手生命を失い、それでも高校ではマネージャーとして関わろうとしたものの、自分にはできないバスケをしている仲間を見ていられなくなってしまったことがあった。


「でも神谷さんのおかげでまた部活に来てくれるようになった。それだけあの子はあんたに信頼を寄せてるんだ」


「…………」


 信頼。

 そんなものを寄せられるようなことが、果たして自分にできただろうかと自問自答する。

 ただ必死だった。結果上手く収まっただけで、運が悪ければどうにもならなかったかもしれないと今でも考えてしまう。


「だからあの子を信じてやりなよ。ちゃんと顔合わせて話せばきっと分かり合えるはずだよ」


「佐田さん……」


 ああ、こういうところが部長に選ばれた理由なんだろうなと思う。

 後輩のことをよく見ている。自分も、姫野にとってこんな存在になれたら。


「ありがとう。自信ないけど、とりあえず頑張ってみるよ」


「おう! がんばれ!」


 そうだ、困難を前に足踏みするなどらしくなかった。

 どんなステージでもまずは挑戦。失敗したって何度でも諦めずに立ち向かう。

 それが神谷のスタンスだ。

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