138.誘い水のふちで


 基本的にミサキはゲームをしているとき、すこぶる機嫌がいい。


「ふんふんふふーんふんふふーん」


 アクションゲームでとんでもない初見殺しを喰らおうが、格ゲーでラグがひどい相手に当たって試合にならなかろうが、FPSで相手に屈伸煽りされようが、ゲームがエラー落ちしてセーブデータが消えようが、大して怒ることはない。なんだよもー、くらいのものだ。


 だからこの『アストラル・アリーナ』にいるときはもう大変ご機嫌で、鼻歌どころかスキップでもしそうなくらいには楽しんでいる。他の誰かといるときはこういった面は鳴りを潜めているが。

 ちなみに今はエルダとの練習試合スパーリングを終えた帰りである。


「いやー勝った勝った。楽しかったなー」


 いい経験になった、とご満悦。

 対エルダではいまだ無敗。とはいえ力の差があるわけではなく、常にギリギリの勝利だ。実力は僅差と言ってもよく、いつ負けてもおかしくはない。それでもミサキが負けないのは窮地に立たされたところからの巻き返しが凄まじいからだ。

 ピンチ。土壇場。そんな状況に立たされた際、ミサキはいつも以上の力を発揮する。追い詰められるほどに鋭く研ぎ澄まされる感覚が彼女のパフォーマンスを上げるのだ。


 ただ、ミサキ本人としてはそういった自分の性質があまり好きではなかった。


 逆境に強いだとか。

 火事場の馬鹿力だとか。

 土壇場でとんでもない力を発揮するだとか。


 つまりは追い込まれないと全力が出ないということでもあるとミサキは思う。

 常に実力を限界まで発揮できるのが最善であるはず。


「まだまだ伸びしろがいっぱいだ」


 エルダと戦っているとどんどん成長しているのが実感できる。

 それは相手もそうだ。こちらに勝とうと追いかけてくる。

 いつかエルダに負けるかもしれないと焦燥を覚えることもあるが、それならそれでもっと強くなればいい。

 

 ただ少し気にかかったのは――いつもは悔しそうに『次は勝つ!』と去っていくのに今回は、


『………………またな』


 苦虫を噛んだような表情でそうこぼした後、静かにアリーナを後にした。

 その様子に少しだけ胸騒ぎを起こしたが、内面に深入りできるような間柄ではない。

 今度エルダと仲のいいシオに普段どうしてるか聞いてみようかな、と考えていた時だった。

 ミサキの肩がぽんぽんと叩かれる。


「ん?」


 振り返るなりぎょっとした。

 やせた頬にぼさぼさの髪、虚ろな目の下には深い隈。

 明らかに店売りの安い装備を適当に組み合わせましたみたいな防具を身にまとい、ミサキを見下ろしている。


「あの…………」


 逃げ出した。

 ギュン! という音がしそうなほどの勢いで一息にトップスピードへ到達。全速力で走り去った。

 さっきまでのご機嫌は完全に霧散した。


(ふ、不審者だー!)


 本当に怖い。

 中学のころ駅でテカテカのおじさんに付きまとわれた次くらいには怖かった。


 



 一気に駆け抜けて、東区から西区までやってきたミサキはどこかの酒場の屋根の上にいた。


「ふう……とりあえずここまで来ればいいでしょ」


 一息つく。

 思わず全力で走った結果こんなところまで来てしまった。だがここまではさすがに追ってこられはしないはず――そう思っていたのに。


「あの…………」


 そばから掛けられた声に悲鳴を上げる寸前だった。

 誇張なしに飛び上がり、そのまま流れるように駆け出そうとする。

 

 なぜ? どうして? ……いや、理由などどうでもいい。

 気にするべきはどうやって、だ。このホームタウンはそれなりの広さを誇る。外周を周るだけでも何時間かはかかってしまうくらいの面積はあるのだ。


 そもそもミサキのスピードについて来られているのがおかしい。

 この埒外の現象は――と考えてマリスの存在に思い当たる。

 また出たのか、ととっさに戦闘態勢を取ろうとする彼女をその男は必死に止めようとする。


「ま、待ってくれ!」


「いーやー!!」


「頼む、待ってくれ――神谷さん」


 ぴた、と。

 その言葉に足が止まる。

 神谷。その名前がミサキのリアルにおける名前であることを知っている者は少ない。

 翡翠にカーマ、あとはラブリカ。そして、


「……もしかして白瀬さん?」


 その問いに、彼は安堵したように頷く。

 白瀬。この『アストラル・アリーナ』の製作・運営を担うパステーション社の最高責任者というのが彼の肩書だ。






 広大な森林エリア。

 その中でも人の来ない泉のほとりに二人は座り込んでいた。


「あの、ほんとごめんなさい逃げちゃって……」


「いやいいよ……僕ももう少しちゃんとした格好をするべきだったし……それに不審者扱いは慣れてるしね……」


 なんでも突貫で仕上げたアバターだそうで、初期装備だと目立つかもしれないと考えた結果あのちぐはぐ防具をそろえてきたらしい。それにしてももう少し何とかならなかったのかとは思う。

 

「それで今日はどうしたんですか? 話すなら通話とかでも良かったんじゃないかと思いますけど……あっ、えとその、白瀬さんもお忙しいと思いますし」 


「ははは、確かに忙しいけどね。たまにはこうして直接……バーチャルで直接と言うのもおかしな話かもしれないが、まあ、会って話しておかないとな、と。毎度オフィスまで足を運んでもらうのもなんだからね」


 パステーション社はミサキの最寄駅から何駅も離れた場所にある。

 そこで働いているならまだしも、確かに何度も通うには地味に辛い距離だ。


「それで、話って?」


「うん、何と言うか……最近どうかな」


「普段あんまり会わない親戚のおじさんみたいなこと言いますね」


 思わず苦笑する。

 天涯孤独の身であるミサキには親戚という間柄の人間はいないが、何となくの想像だ。

 

「そうですね……最近はマリスも出ないし平和です。このまま居なくなってくれたらいいのに」


「……そうだね。僕も心からそう思うよ」


 システムを超越した存在、マリスは現在鳴りを潜めている。

 もう出現しないのか、それとも何らかの目的があって潜伏しているだけか。

 元凶の素性や目的が判明していない以上、後者の可能性を捨てることはできない。まだ予断を許さない状況だ。


「今更だが、僕は君に大変な依頼をしてしまったのかもしれないね」


「そうですね。本当に大変です」


 本当に厄介な相手だ。

 神出鬼没で対策がろくに取れない。

 どこで誰に感染するかまったくわからないし、その経路も多岐にわたる。

 最近はミサキ自身が感染する羽目になった。


「だけどわたしで良かったって今は思います。それに……フランもいますから」


「…………そうか。以前はフランさんのことを疑うようなことを言ってすまなかったね」


「いーえ。なんだかんだ……あは、怪しい子ですからね」


 素性がわからないのはフランも同じ。

 だけどミサキは彼女を信じている。自分の相棒は、マリスをばらまいたりするような子ではないと。

 フランがいなければどうなっていただろう、とたまに思う。もしかすると潰れてしまっていたかもしれない。

 ひとりとふたりでは天と地ほどの差がある。


 そうして笑うミサキに、白瀬は頷く。


「死んだ友人のために作ったゲームではあるけど……ユーザーが安心して楽しんでほしいという気持ちは本当だ。だから僕は犯人を許さない。許してはいけない」


 白瀬のぼんやりとしたまなざしに決意の光が宿っていた。

 これからもマリスの大本は追い続けると呟く。


「……じゃあ僕はこれで。僕が言うのもなんだけど、楽しんでいってくれ」


「もう行くんですか?」


「ああ。実は業務を抜けてこっそり来たんだ。帰ったらみんなに叱られるという仕事が残っているのさ」


 ひらひらと手を振って、白瀬はログアウトした。

 こんな大人にはならないように、という言葉を残して。

 

 青い光が完全に消え去るのを見届け、ミサキはぐっと伸びをする。

 

「さてと。じゃあ目いっぱい楽しみますか!」


 マリスがいない今のうちに、全力で。

 この世界の創造者はそれを望んでいる。

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