163.星のカンタータ


 思えばわけがわからないまま始めた戦いだった。

 このゲームを始めた時はこうなるなんて夢にも思っていなかった。


 突然現れた無敵のモンスター、マリス。

 偶然にもそれに対抗する力を手に入れ、戦うことになった。

 最初は運営に依頼されて、という理由が大きかった。


 でも、後輩がマリスに感染し、その脅威と実態を垣間見た。

 楽しみにしていたイベントや大切な戦いを邪魔されたこともあった。

 そんなことが積み重なり、絶対に許してはおけないと、いつか元凶を見つけて叩きのめしてやると誓った。

 ミサキはゲームが好きだ。だからゲームを楽しもうとするみんなを害する悪意が許せなかった。


 …………ただ。

 

 なら誰かのために戦っているのか、と問われると。

 それは違うかも、とミサキは思う。

 だってこのゲームを一番楽しんでいるのは自分だという自信があるから。

 そして、その楽しみを一番邪魔されているのも自分だから。

 何よりも、自分のために戦っているのだ。


 ――――だから、この戦いを不正だと言われようが、悪だと謗られようが、間違っていると否定されようが。


 それはいい。

 思うところはあるが、いい。おかしな力を使っているのは事実だから。

 褒められるためにやっていることじゃない。身近な人たちが分かっていてくれればそれでいい。

 

 でもただひとつ。

 絶対に許せなかったのは、フランのアトリエという居場所を奪おうとしたことだ。

 




 突き出された”敵”の剣を強く握りしめる。

 ぎちぎちと食い込む刃はミサキの手を傷つけることはない。フランの作ったグローブ《アズール・コスモス》が守ってくれている。

 

「……正義を振りかざして、誰かを傷つけて。それで何が救われるの?」

 

「っ!」


 間近に睨み据えるミサキの瞳には戦意を通り越して殺気が宿っていた。

 恐ろしいほどの威圧感。剣を握る手の力を、ユスティアは思わず緩めそうになる。

 

「わたしは別に正しくないし、正しくありたいわけでもない。でも――こんなわたしにだって守りたいものくらいあるんだよ」


「…………何が、守りたいですか。そうして誰かを傷つけているのはあなたでしょう!」 


 そう叫んだ瞬間、正義のためだ、と呟いた父の姿がおぼろげに浮かぶ。

 ぼんやりした輪郭は実像を結び、そして――それは、今の自分とそっくりな姿をしていた。

 唇がわななく。いつからこうなってしまったのだ、と愕然とする。


 悪を裁き、正義を示し。

 それはもともと何のためだった?

 自分はいったい誰のために『ユグドラシル』を作ったのだ。


「そうかもね。あなたの言っていることは、たぶん正しい」


 ぐい、と力任せに剣が引っ張られ、それに伴い身体が大きくつんのめる。

 とっさに体勢を立て直そうとした腹に爪先が突き刺さり、ユスティアは吹き飛ばされる。


「がはっ! げほ、げほっ……!」


「だけど、もうそんなことはどうでもいい。わたしはあなたを叩きのめすつもりでここに来たんだから」


 ずっと蓄えてきた静かな怒りが今、少しずつ漏れ出している。

 正義を掲げた理不尽をミサキは許さない。


 立ち上がったユスティアとミサキは地面を力強く蹴り、同時に動き出す。

 先に仕掛けたのはリーチに勝るユスティアだ。様々な角度から繰り出されるスキルが、青い剣光を伴ってミサキへと襲い掛かる。

 

 しかし、そのことごとくをミサキは完全に捌く。


「どうして通じないんですか……っ」


「確かにあなたは強いよ。初級スキルと言ってもサイレントで発動できるまでにはかなり努力したんだと思う。でも!」


 斬撃を掻い潜り放たれたカウンターの拳が顔面を捉える。

 ひるんだところにさらに二発。そこで苦し紛れの反撃に振り下ろされる剣――【カタラクト】を飛び上がりながら膝で弾き、そのまま空中で回し蹴りを側頭部に叩き込んだ。


「……あくまで初級なんだよ。単純でモーションが見切りやすいから何が来るか判断できちゃう」


「そんなばかな……」


 ありえない、と零す。

 モーションから発生までせいぜい0.2秒だ。これを見切るなど、ありえるはずがない。

 たとえできたとしても一瞬一瞬で正しい対応をし続けるなど人間技ではない。

 今さらになって目の前にいる少女がランキング三位であることを思い出す。この実力は不正によるものではない。今、彼女はあの力を一切使っていない。


 ぐっと歯を食いしばり、とにかく攻撃を繰り出そうと顔の横に構えた剣の切っ先をミサキへ向ける。突進突きスキル【ペネトレイト】。モーション成功の証に刀身が青く輝く。

 だが、


「ぐっ!」


 その肩をすばやく掌底で突かれ、体勢を崩すとその輝きは失われる。

 負けじと次のスキルを放とうとするが、それも潰される。


「初動で見切られている……ッ!?」


 肩を。手首を。足元を。

 発動モーションのことごとくを中断させられる。

 サイレントスキルの弱みはここだった。一度劣勢になると発動を阻止され続けてしまう。


「モーションが分かればそれを止めればいい」


「だったら……【ホーリーセイバー】!」


 初めての通常発動。

 ユスティアが剣を掲げると、空中に巨大な光の剣が生み出されミサキへと振り下ろされる。

 とっさに真横へ走るとすぐ横で轟音と共に爆発的な衝撃が巻き起こる。

 爆風に吹き飛ばされそうになりながら振り返ると、砂塵を引き裂いて光の剣が横薙ぎに追ってくるのが見えた。


「さあ、遠隔操作の剣はどこまでもあなたを狙い続けますよ! これをどう対処し」

 

「こうして――――」


 遮るように呟き、真上に宙返り。

 眼下で地を這うように通過しようとしている剣を確認し、「イグナイト」と呟いた。

 途端ミサキの右腕のグローブから蒼炎が迸り、その拳に推進力を与える。


「――――こう!」


 驚異的な加速で上から下へと放たれた蒼い拳が光の剣を砕き割る。

 

「な…………!」


 動揺、そして――技後硬直。ユスティアはしばしその場に縛り付けられる。

 そして当然、ミサキはその隙を見逃さない。


 一息で距離を詰めたミサキのジャケットがはためき、渾身の拳がユスティアへ炸裂する。

 ノックバックしたところに踏み込みもう一発、さらに一発。畳みかけるような攻撃に吹っ飛び、ユスティアは何度目かの地面を味わう。


「……どうして、どうして適わないんですか……!」


「強くなりたくて頑張ったからだよ。弱いまま戦っても悲しい思いをするだけだって……わたしは知ってるから」


 そう零した瞬間、ミサキの全身から黄金のオーラが迸る。

 あたりに爆風が巻き起こり、渦を巻いていく。


「それは……まさか」


「グランドスキル。わたしがこれまで培ってきた力のかたち、見せてあげるよ」


 空を掴むがごとく、頭上へ向かって手を伸ばす。すると広がる青空は星々の輝く宇宙へと姿を変えた。

 景色すら一変する現象に、観客たちがどよめきを発する。


 ミサキが強く拳を握りしめると、星が瞬き宇宙そのものがそこへ向かって吸い込まれていく。

 渦となり、凝縮され、その小さな手へと宿る。

 すると見る間に手の中の宇宙は真っ白な光へと塗り替わる。


「この手に宿るは創星の輝き」


 囁くような、しかしよく通る声で起動コードを口にする。

 輝く右手を腰に構え、そのまま全力で地面を蹴った。

 純白の光が尾を引き、まるで彗星のごとく一直線にユスティアへと迫る。


「…………、…………ぁ」


 スキルを発動しようと開いたユスティアの唇は閉じられ、剣を携えた腕がだらんと下がる。

 目前に迫る莫大な輝きに対抗する術はもうない。


「――――【ビッグバン】」


 光の拳が無防備なユスティアを捉えた。

 瞬間、極大の爆発が巻き起こり――すべてを覆い尽くした。







(…………ああ) 


 白に塗りつぶされる視界の端でゼロになるHPを眺めながら、ユスティアは心中で呟いた。

 もしかすると、自分は最初からこうなるとわかっていたのではないかと。

 だからアトリエを奪うなどという迂遠な手段に出たのではないかと。


 それでもこの戦いを受けたのは、あの時ラブリカの起こしたデモを見て、もしかしたら自分は間違っているではないのかと一瞬でも思ってしまったから。

 だから――きっとそうなら。仮にミサキが正しかったのだとすれば。

 こうして、止めてくれるのではないかと……期待していたのだ。おそらくは。


(私は、なんて愚かな――――) 


 横たわる地面の感触と、確かな敗北を感じながら、正義を掲げた者はその瞼を下ろした。

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