56.界到


 私がラブリカとして『アストラル・アリーナ』を始めたのは、言ってしまえば現実逃避のためだったが、なんだかんだで友達もできたし、可愛い衣装を着たりもできるし、なにより自由に駆け回ることができるのが嬉しくて、正式サービス開始でもこの世界で遊んでいた。

 仮想空間であるこの世界は現実のままならなさを忘れさせてくれる。しがらみも何もない、ここでの自分は現実の自分とは別人だとさえ思っていた。


 そんなある日のことだった。

 友人たちにアリーナへ行こうといきなり誘われた。困惑する私に、彼らは何やら興奮した様子で説明してくれた。

 なんでも有名ギルドのリーダーに喧嘩を売った人がいて、これからアリーナで非公式バトルが行われるだとか。

 私はミーハーなところがあるので、なるほどそれは面白そうですねだとかなんとか言ってついていった覚えがある。


 アリーナで繰り広げられていた戦いを見た私が思ったのは『どこかで見たことあるような気がするな、あの子』だった。こう思うのは二度目だったが以前とは少しだけ意味合いが違う。

 ギルドリーダーに挑んでいる小さな方……彼女のことはこのゲームの草原エリアで見たことがある。だがそれよりももっと前、はっきり言ってしまうと現実で知っているような気がしたのだ。草原で見た時は大して興味が無かったこともあり、ピンと来なかった。


 だがこうして戦っているところを見ると――やはりなにやら引っ掛かりを感じる。どこかですれ違いでもしただろうか。

 それにしてもよくよく見てみれば、まあなんて小さくてかわいらしい子だろう。年下だろうか。この世界で一番かわいいのは自分だと信じて疑っていなかった私からすれば(でなければラブリーモモカ、略してラブリカなんて名前は付けない)地味にショックな出来事だった。


 こうして私の中での彼女――ミサキはどうでもいい誰かから気になる子に変わったのだった。

 



 チェーンソーのような激しい振動音は、蜂のマリスの両腕から発せられていた。

 槍のような両腕はうなりを上げてフランを執拗に狙う。


「っぶな!」


 直撃コースの槍をわきの下に通すことで紙一重でかわす。

 前のカラス人間と比べてスピードがかなり高い。一瞬でも気を抜けば串刺しにされてしまう。

 

 先ほどのラブリカとの戦いでフランのHPは大きく削られてしまっている。耐えられて1発、運が良ければ2発、3発以降は確実にお陀仏だ。

 マリスの攻撃でデスすれば数時間リスポーンできなくなる。それだけと言えばそれだけなのだが……フランはそれに不穏なものを感じずにはいられなかった。

 本当にそれだけで済んでいるのだろうか。何か裏で途轍もないことが行われているのではないか。

 このマリスを――プレイヤーをマリスと化すあのカプセルを作りだしたと思われる『誰か』にはいったいどういう意図があるのだろうか。ただ暴れさせるのが目的だとは思えない。


 フランにとって何かを作るというのは目的ありきだ。目的を達成するために必要なものを作りだす。

 あの黒い粘液――どう作ったのかはわからないが、そうそう簡単に生み出せるような代物ではない。だからそこには明確な目的があるとフランは考える。

 今のところ見当もつかないが。


「あーもうどうすりゃいいってのよこのまっくろすけすけ女王蜂!」


 悪態を叫び、必死で逃げ惑う。

 アイテムはもうあまり残っていない。もしあっても効かないので意味がない。アトリエに帰ってこの状況でも使えそうなものを取ってくるかという考えが頭をよぎったが一瞬で捨てる。こんな奴を連れてホームタウンに帰ろうものなら前回の二の舞だ。


 ミサキを呼びに行くにしてもどこにいるのかわからない。アトリエから出て行ってそのままだ。諸事情でフランはチャットの類が一切使えない。よって呼び出すこともできない。

 どんづまりだった。


 救いだったのはこの草原エリアの見える範囲に誰もいないこと、そしてこのマリスがフランしか眼中に無いらしいということだろうか。

 見た目は完全にモンスターと言えども素体――ラブリカの意志が行動原理に強く反映されているのかもしれない。


「逃げるわけにもいかないし、なんとか時間を稼いで……あとはどうにか……」 


 来るかもわからないミサキを待つしかない。

 あの子さえいればこの状況からの逆転も狙えるはず――しかし。


 逃げ惑うフランに苛立ちを覚えたのか、蜂のマリスは背中の薄羽を震わせる。

 振動は加速度的に速くなり、そこから発せられる音がフランを襲った。


「…………っあ…………!」


 思わず耳を塞ぐ。

 平衡感覚があっという間に失われ、まともに立っていられない。

 思わずその場にうずくまったフランへと、高速で接近したマリスがその鋭い腕を突きこむ。


「…………っ!」


 ふらつく足を無理やりに動かし、紙一重でかわすと金色の髪が何房か持っていかれ、ポリゴンの破片になって消滅する。

 受け身も取れずに転がったフランの方へ、マリスの首がぐりんと回り、追撃を行う。


「あぐっ!」


 今度は避けきれなかった。

 槍の腕がフランの脇腹を浅く抉りダメージエフェクトが弾ける。

 傷口にはノイズが走り、途轍もない痛みを与えてくる。この世界ではあり得ないリアルと同等以上の感覚。


「つ、あ…………」


 視界が真っ赤に染まる。HPはもう無きに等しい。

 凄まじい痛みで意識が遠のく。視界が黒く塗りつぶされていく。

 ぼんやりとした頭で全身の力が抜けていくのを自覚した。


 目に映るおぼろげな景色に、こちらへとゆっくり歩を進めるマリスの姿が見えた。

 笑ってしまいそうなほどに速い心臓の鼓動と呼吸音だけが鮮明に聞こえる。


 ここまでか。

 このまま何もできず殺されてしまうのか。


(アレさえ完成してれば…………)


 もうどうにもならない。

 このまま殺されて、それでどうなるのだろうか。

 わからない。わからないということは、怖い。

 身体の芯が冷たくなっていくのがわかる。


 痛いのは嫌だ。

 死ぬのも嫌だ。

 フランは生まれて初めて本気の恐怖を感じていた。 


「やめてよ……おねがいだから……」 


 その懇願はマリスには届かない。聞こえた上で無視しているのかもしれない。

 フランは諦観と共に瞼を閉じ、その時を待って――――


 ふわり、と。


 風にさらわれたような気がした。


「あー間に合ったあ!」


 抱き上げられていると気付いたのはその声を聴いてからだった。

 

「み、ミサキ?」


「うん、わたしだよ」


 恐る恐る目蓋を開き、少しだけクリアになった視界であたりを見回すとマリスから少し離れた位置に移動したのがわかった。

 一瞬で抱き上げられ、ここまで下がったということだろうか。


「どうして…………」


「走ってきた」


「いや手段じゃなくて」


 理由を聞きたかったのだが、と言いたいところだが、この赤い空だ。ミサキもマリスの出現を察知してここに来たのだろう。もしかしたら運営のサポートを受けてのことかもしれない。


「で、なんでフランが襲われてるの」


「ラブリカと戦ってたんだけど、倒したらマリスになったのよ」


「ええ!? 何をどうしたらそうなるの」


「それは……ああもう今はそれを説明してる場合じゃないでしょう!」


 視線の先には何やら唸っているマリス。

 今にも襲いかかってきそうで、確かにのんびり話している時間は無さそうだった。


「そうだね。とにかくあのマリスを倒さなくちゃ」


 なんでこんなことになっちゃったんだか、と密かにこぼし、ミサキは首に巻いた灰色のマフラーを外して手に持つ。

 その名は《ミッシング・フレーム》。前回戦ったマリスから採取した黒い結晶を素材とし作り上げた装備だ。そのままではなんの効果も無い、平凡な装飾品でしかないが――ひとつのワードをスイッチに隠された機能が発動する。


 使うのはもちろん初めてだ。

 ミサキは深く息を吸い込み――意を決して口にする。


「――――――――界到かいとう


 途端、《ミッシング・フレーム》が意志を持ったように動き出し、回転し、竜巻のようにミサキの全身を覆った。目もくらむような発光に、フランは腕で顔を覆う。

 少女の身体を取り巻くマフラーは鼓動のようにひときわ大きく膨張したかと思うと、一気に収縮し、全身に定着する。


 現れたミサキは先ほどとは全く違う姿だった。

 上半身を覆うタンクトップのようなボディスーツと、下半身のショートパンツはどちらも白。その上からまるで拘束具のように黒いベルトのようなものがいくつも取り付けられている。パッと見、ピアノの鍵盤のような印象を与えてくる様相だった。

 元から装備していたグローブやブーツもその色を漆黒に染めていて、なぜか頭頂部からは長い兎の耳が生えていた。


「…………『マリシャスコート:シャドウスフィア』」


 静かに呟くミサキ。

 《ミッシング・フレーム》の効果――それは、マリスに対抗するための外装を装備者に纏わせるというものだった。フランがミサキと会えない間に魂を込めて作り上げた決戦兵器。

 

 フランは目の前のミサキを倒れたまま見上げる。

 そこにいるはずなのに、どこにもいないような感覚――前にマリスを倒した時と同じ、希薄な存在感を持ってミサキはそこにいる。

 それを持って錬金術士は成功を確信した。無敵のマリスに対抗できる、唯一の力がここにある。


「さて、ラブリカ」


 トントンと軽やかにその場でステップを踏む。

 前方には蜂のマリス。ミサキの変化に共鳴するかの如く耳障りな羽音を上げる。

 

「痛くするけど――嫌わないでね」


 その言葉が開戦のゴングになった。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る