148.FIRST:交差する刃


 気持ち悪い――と。


 そう思ったのはいつだったか。

 最初からだったような気がするし、そうでないような気もする。

 まだ無邪気だったころは目の前にいるものとその来歴まで目がいかなかった。


 思慮深さは身を滅ぼす。

 考えなければ物事の本質に気づくこともなく、苦しむこともない。 

 だから。


 私はこうして”正しさ”に身を浸す。

 誰かの抱く正義に依存して、思考を放棄して、ひたすらに逃避する。

 



 

 海に放り込まれたみたいだ。

 歓声の渦のさなかに立ったカーマが最初に持ったのはそんな感想だった。

 このゲームを始めてから翡翠と二人で緩くやってきた彼女にとって、こうしてアリーナを舞台に戦うのは初めてのことだった。


「多いのね、暇人……」


 学校に行っていないカーマには言われたくないだろうが、アリーナには大勢の観客が押し寄せていた。

 実際、話題性としては悪くない。正義を謳う自警ギルド『ユグドラシル』と、それに対抗するミサキたちという構図は見ておくに値する。ただでさえミサキの知名度が高いのだからなおさらだ。事情を詳しく知らない者たちからはまたギルドに喧嘩売ったのか、などと言われているが。


 戦場を見渡すと、一辺2mほどの足場が空中の至る場所に浮いている。今回はこの足場を利用した空中戦を想定されたフィールドということだろうか。

 そしてカーマの反対側にはすでに先鋒戦の相手、リコリスがいる。


 二人はゆっくりと歩み寄り、中央で向かい合って立ち止まる。


「早めに降参してもらえるとありがたいんだけど」


「……はあ?」


 つんと見下ろすカーマの挑発に、リコリスもまた睨み返す。

 早くも一触即発の空気が漂い始めていた。それを察した観客も、一人、また一人と息をひそめていく。

 

 リコリスは青と黒を基調にした軽装を纏い、右手には氷のように青白く、柄の先端に青い宝玉が埋め込まれた剣、左腕には小盾を装着している。

 重装すぎず軽装甲過ぎない、全体的にステータスのバランスを意識した構成だ。


「わからない? あんたはあたしには勝てないって言ってんのよ」


「試合前からよく喋るな。緊張でもしてるのか?」


 双方の眉間に皺が寄る。

 その様子を観客席で見ていたミサキは、うわあ……と軽く引いている。


「カーマめちゃめちゃ怒ってるじゃん……」


「……姉妹のこと、カーマちゃんにとっては見過ごせないでしょうからね」


「姉妹? どうして?」


 事情を知らないフランが首を傾げるが、ミサキと翡翠は揃って迷った末に首を横に振る。

 

「ごめん、ちょっとデリケートな話でさ」


「今度直接聞いてみるといいかもですね。きっと教えてくれると思います」


 そっか、と返してフランは戦場を見下ろす。

 眼下で対戦相手と対峙している――そしておそらくブチ切れている、彼女。

 赤黒い軍服に身を包んだ彼女は今、何を思ってあの場に立っているのか。


 勝ちたい。

 相手を打ちのめしたい。

 それとも……また別の想い。


 カーマは両手に携えた双剣を握りしめる。

 フランが製作してくれた武器、銘を《パラレルエトランゼ》。

 これまでは適当に手に入れた武器を装備していたが、ようやく納得のいくワンオフ装備が手に入った。

 武器の性能だけで勝敗が決まるとは思わないが、これなら負ける気がしない。


 頭上のカウントダウンホログラムはすでに3を表示している。

 瞬きの間に、始まる。


「……ミサキ連合先鋒、カーマ。真っ二つにしてあげる」


「『ユグドラシル』先鋒、リコリス。凍て死ね」


 名乗りの直後、頭上の数字がゼロになり――刃が激突した。

 カーマの双剣による連撃を、リコリスの剣と盾が凌いでいく形。

 

「改めて言わせてもらうけど――あんた姉なのに妹に対してあれは無いんじゃないの!」


 拒絶し、突き飛ばし、見下した。

 自分に縋る妹をなんとも思っていないかのような――いや、明確に疎ましく感じているような所業。

 カーマにとってはそれが許せなかった。


「黙れ。姉だ姉だと……私はなりたくて姉になったわけじゃない」 


 小盾でカーマの剣を弾き飛ばし、剣を逆手に捧げ持ったかと思うとリコリスはその唇から呪文を紡ぎ始める。

 エコーのかかった声色――マジックスキルの詠唱だ。

 同時に剣の柄の宝玉が輝き始める。


「到来する純白の脅威――――」


「やばっ」


「【ホワイト・ウェイブ】!」


 大質量の雪が津波のように襲い掛かる。

 正真正銘の雪崩が無から生じ、真っ白な壁となってカーマへと迫りくる。


「【スクランブル・――――」 


 起動コードを口にする途中で雪崩が容赦なくカーマを飲み込んだ。

 ズズ…………という低く重い音を立てて、超規模の雪は侵攻を止め、結合し、巨大な白い氷塊と化す。

 直径60mほどもあるフィールド全域が覆われてしまった。


「……あっけない。大きな口を叩いていた割にはこの程度か」


 その様子を空中の足場からリコリスが見下ろす。雪よりも凍てつく眼差しで。

 そして観客席のフランは激しく狼狽していた。

 

「カーマっ! いきなりこんな……なんでミサキたちは落ち着いてるのよ!?」


「なんでって……」 


「……ねえ?」


 しかしミサキと翡翠は動じない。

 何を心配しているんだと笑いさえする。

 まだ付き合いが浅いフランにはわからない。だが困惑する中、その耳が異音を捉えた。


「…………ん?」


 同時にリコリスもそれを聞く。

 何かを削るような音。それは少しずつ鮮明に、そして大きくなっていく。


 そしてその音を笑顔で聞くミサキは静かに呟いた。


「わたし、カーマほどしぶとい子を他に見たことないよ」


 氷塊が砕かれる。

 否、貫かれる。


「――――ディバイド】ォッ!!」


 凍結した雪崩そのものを双剣による連撃で貫いて、カーマが飛び出した。

 そのままリコリスとは別の足場に着地する。同時に眼下で雪が消滅していくのが見えた。


「これで勝ったとでも思った? あたしを倒したいなら、雪とかヌルいのじゃなくて氷河期くらい用意しなさいよ」


「…………不遜!」


 お互いノーダメージ。

 まだ戦いは始まってすらいない。

 

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