47.ReStart


 神谷はずっと後悔している。

 しかし過去は過去だ。都合よく当時の部活仲間に再会するだとかそういったことも起こらない。

 ただ、もう部活には入らないと決めていた。


「んもー、先輩ったら素直じゃないんですから!」 


 なのにこれはどういうことなのだろうか。

 どうしてこの後輩はさっきから腕に抱き着いて胸を押し当ててくるのだろうか。

 歩きにくくて仕方ないのだが。


「いやだからね……バスケ部はやだって話でね」


「そんなこと言ってえ、球技大会ではすっごく楽しそうだったじゃないですか」


 授業と授業の合間にトイレに行って帰ろうとしたらこれである。

 ここ最近、この後輩……姫野桃香に付きまとわれていた。


「バスケは好きだけどバスケ部がいやなの」


「そんなことありますう? 大丈夫ですよ、部員の皆さん優しいですし」


 蜂蜜に角砂糖をしこたま溶かしたような甘ったるい声。

 自分の見目の良さがわかっているのだろう表情の作り方。

 誘惑されているのだろうな、と感じる。まあそれで揺れるかというと別の話だが。


 微妙に周囲の視線を集めながら廊下を歩いていると、階段の入り口に差し掛かった。


「ほら、授業始まるよ。1年は下の階でしょ」


 神谷が囁くと、姫野は組んでいた腕をするりとほどいた。至極あっさりと。


「……残念ですがそのようです。また会いに来ますね」


 いや来なくていい、という言葉を飲み込んだ神谷の目の前で、姫野はぴょんと跳ね階段をひとつ降りる。

 両足で着地して、足元を見たまましばし停止。まるで足場の確かさを確かめているかのような仕草だった。

 そのままぴょん、ぴょん、ぴょんと何段が降り、振り返る。


「次こそは首を縦に振らせてみせますから」


「時間の無駄だよ」


「無駄な努力なんてないですよ?」


 それでは、と軽く会釈を残し姫野は去っていった。

 少しだけ物悲しさを覚える。

 彼女の願望が叶うことは無い。どんな策を凝らしても、神谷の中ではバスケ部への感情が完結してしまっているからだ。


 苦い記憶で、後悔していて、反省も嫌というほどした。

 だがそれだけだ。未練はもう無い。わざわざ今さら部活に入ってまで思い出を再生産やり直したいとは思えない。

 だから、この話はこれで終わりなのだ。

 どんな手練手管を使おうが何かが変わることは無い。


 ただ、誤算だったのは。

 姫野桃香という後輩の執念と、神谷の不運をを甘く見ていたということだった。

 


 


 とは言いつつも、何はともあれ。

 待ちに待ったメンテ明けである。


 未曽有の事態により事実上のサービス停止を余儀なくされた『アストラル・アリーナ』だが、このたびようやく開放である。


「……よっと」


 懐かしい浮遊感と共に電脳の街に降り立つ神谷沙月ミサキ

 身体の感覚を確かめつつあたりを見回す。


「なんかもう懐かしいや」


 この世界から離れていたのはせいぜい十日程度のはずなのに、見慣れた風景も嫌に新鮮に映る。

 別段変わっているところは無いのだが。

 

 しかし意外と早くメンテナンスが終わったな、とは思う。

 白瀬さんたちが頑張ったのだろう。もろもろ問題もあっただろうに。

 

「…………やっぱり人減ったかな?」


 以前とそこまで変わりはない。

 だが、少しだけ往来を歩く人々が少なくなっているような気がする。このゲームの危険性が問われたことからくる先入観によるものかもしれないが。

 とは言いつつも、問題にしているのは一部の声の大きい人々だけなのでそこまで気にしてはいないが。


 しかし例の黒いモンスターについてはこれからまた出現する可能性があり、それを討伐するのはミサキの仕事だ。これ以上この世界が活気を失わないためにも、もっと強くならねばならない。

 とりあえずは身体の感触を取り戻すためにダンジョンに潜るなどして――と。そこまで考えて思い出した。


「そうだ、アトリエ行かなきゃ」


 あの黒いモンスターと戦った際に入手した黒い結晶はフランに預けてある。彼女が調べてくれているはずだ。

 ただ今日はメンテ当日。明けた時刻は正午だが、学生である神谷ミサキは放課後になってようやくログインできた。


 フランがリアルでどのような生活をしているのかは知らないが、彼女にもあれからあまり時間は無かっただろう。そう考えると黒い結晶の調査もあまり進んでいないだろう。

 こういう時リアルでもチャットで連絡できれば、とは思うのだが、彼女はゲーム内外問わず文章によるやり取りを避けている。もしかしたら日本語が母語ではないのかもしれない。聞く話すはできても書くができないとか。


 などと言いつつもミサキの足は勝手にアトリエへと向く。

 本人は自覚していないが、黒い結晶がどうとかはこの際関係なく、友達に久しぶりに会えるのが楽しみに思っているのだ。


 だが――白瀬と別れる際にした会話が思い出される。



『君がよく一緒にいる――フランさん、だったかな』


『はい? あの子が何か?』


『彼女にはあまり関わらない方がいいかもしれない』


 ぴくり、と神谷の眉が動く。

 不愉快そうな雰囲気を感じ取ったのか、慌てて白瀬は手を横に振った。


『ああすまない、詳しくは言えないし、僕たちにも良くはわかっていないんだ。だけど……あの子は何かおかしい。もしかしたら……』


『あのモンスターに関係してるかもってことですか?』


 こくり、と頷く白瀬。

 冗談で言っているわけではなさそうだ。それに、他人の友人を悪し様に言うことを良く思っていないらしく、視線が泳いでいる。

 確証も無く、しかしそれでもこうして口に出すということは――フランにはそうさせるほどの何かがあるのか。

 ふう、とため息を一つ落とす。


『まあわたしもあの子のことはよくわかっていませんけど……よく知ってるなんて口が裂けても言えませんけど』


 出会ってからまだ大して時間が経っていない。

 それでも、少しくらいは知れたつもりだ。

 だから言う。弁護するわけではない。ただ、友人として彼女への所感を、白瀬の目を見てはっきりと。


『確かにお金稼ぎに執心してるし、リアルで何してるのかもわかんないし、利害で物事を考えがちですけど、あの子は、フランはいたずらに他人を傷つけるようなことは一度だってしませんでしたよ』


 ミサキにとって、フランを疑う余地など一欠片だって存在しなかった。





 こんこん、とアトリエのドアをノックする。

 返事は無い。


「いないのかな……?」


 恐る恐るドアノブに触れて捻ってみると抵抗なく回る。

 アトリエは中に家主がいさえすれば誰でも無断で入ることができるので、つまりフランは中にいるということだ。

 お客さんが来たときなどはかかさず返事しているフランが無言とは珍しい。もしかしたら調合に集中しているのかもしれないな、と思い勝手に入ることに決める。


 褐色のドアを押し開き、中へと一歩。

 内装は特に変わりない。怪しい薬品がたくさんに、大きな釜に、天蓋付きのベッド、そしてミサキがお気に入りのソファにフランが倒れこんでいて、


「ええ!?」


 黄金の川みたいに流れ落ちるフランの頭髪が薄暗いアトリエに影を落とす様は、絵になる美しさすら感じられる光景だった。

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