48.追いかけて追いかけられて
アトリエのドアを開くと、ソファに倒れるフランがいた。端的に今の状況を表すとこうだ。
何かあったのだろうか、とミサキは慌てて駆け寄る。
体調が悪いのかもしれない。身体に一定の域を超える異常が現れた場合自動的にログアウトされるという仕様はもちろんあるのだが、この時の神谷は頭から抜けていた。
「フラン大丈夫? ねえちょっと」
力任せに肩を揺らすと、「うぅん」というようなうめき声。
とりあえず死んではいないらしい。
「誰よマジ……つあれてんらから起こさふぁふぁんぅ……」
口元がふにゃふにゃで何を言っているのか半分くらい聞き取れ無かったが、とりあえず体調が悪いわけではなさそうだ。とにかく眠いのだろう、きっと。
「わたしだよわたし。わたしわたし」
「んぅ……ん……」
「うわまた寝た」
少しだけ起きたかと思ったが、すぐに静かな寝息を立て始めた。
こうして見ると、寝てるときはおとなしい美少女のように思えなくもない。もちろん実際は違うが。
「うーん……まあ寝てるならしょうがないか……」
フランを抱き上げ、ベッドに寝かせてやる。
この電脳の世界ではどこで寝ようと変わらないし、そもそも睡眠に意味は無い。それでも寝ているなら寝るべき場所で、と思ったのだ。
とりあえずまた機会を改めることにしたミサキは音をたてないようにアトリエを後にした。
「んーどうしようかな。急にやることなくなっちゃった」
細い路地に差し込む傾きかけの日差しを浴びながらミサキは伸びをする。
今日はフランと一緒にいるつもりだったので、それがいきなり取り上げられてしまうとどうすればいいかわからない。
おもむろに指を鳴らすと青い半透明な端末が手の中に出現した。
この端末は現実世界にあるミサキのスマホと同期している。つまりはゲーム内でも現実のスマホが使えるということだ。今回のメンテナンスの際追加された機能である。
素早く端末を操作し『アストラル・アリーナ』公式アプリを開く。このアプリは主にアリーナのでのトーナメント開催時刻や参加状況を知るのに使われている。もちろんここから参加申請をすることも可能だ。
「うげ、埋まってる」
もうすぐトーナメントが開かれるらしいが、参加枠はすべて埋まってしまっているようだった。メンテ明けということで闘争に飢えていたプレイヤーたちが殺到しているのだろう。
メンテ中はあれだけやる気に満ち溢れていたのに、いざ始まると何をすればいいかわからなくなってしまう。ゲームがしたいというよりフランに会いたかっただけなのかもしれない。
深くため息をつき、空いた方の手で指を鳴らすと端末は消滅する。
この際トーナメントを観戦するのも悪くないかもしれない、と顔を上げた瞬間だった。
「うわエルダ」
「……なんでいんだよここによ」
前方から歩いてきたのは赤髪の女プレイヤー、エルダだった。
不快そうに顔を歪め、ミサキを見下ろしている。
「つーかうわってなんだよ」
「いや別に……」
エルダはミサキのライバルだ。
お互いにそれを口にすることはないが、確かにそう思っている。
ただそれはそれとしてミサキはエルダのことが実は少しだけ苦手だった。背が高いし、ガラが悪いので戸惑ってしまう。
「というかエルダこそなんでここにいるの?」
「アタシはそこのアトリエに……」
「店主なら寝てるよ。わたしもいま会いに来たところだったんだけど、なんだかお疲れみたいで」
「あー? ……マジかよどうすっかな」
がしがしと後頭部を乱暴にかき回すエルダ。なんの用かはわからないが、恐らくは武器かアイテムの依頼あたりだろう、と予想した。
「…………」
「…………」
少し気まずい時間が流れる。
特に仲良しというわけではないし、何なら敵同士と言えなくもない。
だが今日に限っては違った。フランと話せなくて少しだけ人恋しかったのかもしれない。
だからこんなことを言ってしまった。
「あのさー、わたしと今からアリーナいく?」
「あん?」
歓声を間近で聞くのは初めてかもしれない。
「うるっせえマジで!」
「いやーあはは、戦ってる時だとそうでもないんだけどね」
アリーナの観客席にミサキとエルダは並んで座っていた。眼下のバトルフィールドでは今まさに試合が行われており、ほぼ満員の観客が声援という名の怒号を送っている。
正直血の気が多すぎる、と思う。
勢いで誘ってみたもののどうすればいいのかはわからない。
再三いうが仲がいいわけではない。何が好きで何が嫌いで普段何を考えて生きているのかももちろん知らない。
共通点と言えばバトルくらいのもので、だからここに連れてきたのだが、それで話が弾むわけでもない。
「…………エルダってさあ」
「あん?」
「なんでわたしに勝ちたいって思ったの」
ミサキは強い。
この世界で一番とは断言できなくとも、かなり上位の方に位置しているのは間違いない。誰と戦ってもそうそう負けることはないだろう。
思えば昔からそうだった。『やればできる』の極地にいるような子どもで、努力の仕方を見つける嗅覚、努力への意欲、そして努力に対する成長度が異様に高い――そんな少女だ。
そんなミサキは『努力しているのだからこれくらいはできて当たり前だ』と謙虚さにも似た無自覚な傲慢を持っていたし、それを無意識に自覚していたから何かに打ち込み過ぎるということも無かった。
それが最悪の形で発揮されてしまったのが中学のバスケ部における例の顛末で、彼女は自分の努力が他人を踏み潰すことがあると知った。
そしてそれが孤独へとつながるということも。
エルダは違う。
負けても諦めずに立ち向かってきた。それが内心嬉しかった。
「そんなの負けたからに決まってんだろ。負けたから今度は勝ちたいって思ったんだ」
「勝てないかもとは思わなかったの?」
「お前がそれ言うのかよ……まあ、そうだよ。お前に負けてからずっと勝つことしか考えてなかった」
「ふーんそうなんだ。ふーん」
「んだようぜーな、ニヤニヤしやがって」
舌打ちしてフィールドに目を落とすエルダ。
怒らせてしまっただろうか。そうかもしれない。倒したい本人からこんなことを聞かれたら鬱陶しくて仕方ないだろう。
エルダが本気で自分の背中を追ってくれることが、恐ろしくも嬉しくて、頬が緩むのを抑えられない。
今でも思い出すあの試合。
走って走って、振り返ると誰もいなかった。敵も味方も自分を遠巻きに睨んでいて、誰も自分に追いつこうなんて考えてもいなかった。
でも、今。
ここにライバルが確かにいる。いてくれる。
そう思うだけで、胸の奥が少しだけ暖かくなるのだった。
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