32.海嘯


「どいつもこいつも騒がしいったらないぜ。そう思わないか?」


 首をぐるりと回しながらエルダが言う。


「なに言ってんの、戦う場所にアリーナを選んだのはエルダでしょ」


 少し呆れたようにミサキは答える。

 フィールドを囲う観客席は、開戦の時を今か今かと待ちわびて、怒号のごとき歓声を送っている。集まった音は個々の意味を失い、まるで波のように押し寄せる。


「まあ――そうだな。別にアタシは劇場型ってわけでもないが……今回に限っては話が別だ。前回と同じ状況で、お前と戦いたかったんだよ」


「なら今回もわたしが勝つよ」


「どうかな。お前も強くなったみて―だが、アタシはもっと上を行く」 


 少しずつ。しかし確実に空気が張り詰める。

 その変化を敏感に察知した観客たちは、徐々に喧騒を収めていく。

 熱が飛ばされたわけではない。蔓延していた熱気は内部で圧縮され、爆発の時を今か今かと待ち受けているのだ。

 そしてその時は二人の頭上に現れたカウントダウンホログラムによって示される。


「変わったね。前戦った時はもっと息苦しそうにしてたよ」


「そうでもねーよ。今だって必死だ」


「そっか。わたしも大して変わってないし、そんなものなのかもね」


 ミサキが上に視線をやると、もう間もなくバトルが始まることがわかった。


「じゃあやろうか」


「ああ」


 それきり何も言わない。

 各々武器を構え――そして。

 試合開始のブザーが鳴り響いた。


「ふッ!」


 途端、ミサキの姿が掻き消えた。

 前回と全く同じ――速度に任せて撹乱し、不意打ちする戦法だ。

 あの時よりさらに上がったスピードは、以前よりもなお速くエルダに到達するだろう――上から見ていた観客たちはそう確信した。


 改めて――ミサキというプレイヤーの強みは、言うまでもなく速さだ。

 しかし本当に肝要なのは、速さを制御する動体視力と体術にある。

 相手に向かって駆け寄り、殴る、蹴る――そんな単純な動作だが、これが可能なのは人間の走行速度が大して速くないからで、動体視力が自分の速度についていけるからできることである。


 もしこの速さが人間の限界を超えていたらどうだろう。駆け出し、ある程度の距離になったら腕を振りかぶり、相手へと拳を突き出す。それだけの動きが可能だろうか。速さによっては腕を振りかぶった瞬間相手を通り過ぎている、なんてこともありうる。


 だがミサキはこの速度を自在に活用する。四輪車しか乗ったことのない人間が突然フォーミュラカーに乗った時のような速度の差を、彼女はいともたやすく乗りこなす。


 それは生まれ持った動体視力によるもので、あるいは彼女がリアルで積んだ特異な経験によるもので、あるいはこのゲームを始めてから費やした鍛錬の成果に由来するものである。

 なんにせよ一朝一夕では会得できないものではあったが、だからこそ鮮烈な強みとして彼女の速さは機能していた。

 だが。


 ガキンッ!


「…………はえー奴はよ」


 エルダの後頭部に向かって振り下ろされようとした脚は、背中に回したカトラスにガードされている。ぎちぎち、と拮抗し、それ以上動かない。体勢的に不利なのはエルダの方だが、防ぐ剣はびくともしない。彼女の高い攻撃力はミサキのそれを大きく凌駕しているからだ。


「とりあえず相手の背後を取ろうとするんだよなァ!」


 カトラスによってミサキの脚は跳ね上げられ――いともたやすくバランスを崩す。

 すかさず左手のワイルドハントから放たれた数発の弾丸がミサキの胸部に命中した。


「痛……!」


 地面に転がるミサキを、エルダは挑発するように銃をくるくる回しながら見下ろす。

 

 『とりあえず背後をとる』――そう言いはしたものの、エルダにはミサキがそうするであろうという予想に収まらない確信があった。もちろん速さに反応できたわけでもない。

 

 速さを活用した不意打ちは言うまでもなく強力で、一朝一夕で対策出来る類の戦法ではない。わかっていても間に合わない、という点が強みだからだ。


 そこでエルダはこう考えた。

 きっとあいつはまた同じ戦法をとってくる、と。

 あいつは強い。だったらその時もっとも有効な戦法を採用するはずだ、と。


 そしてこうも考えた。

 同じ戦法を使うにしても、全く同じようには攻めてこないだろう、とも。

 前回は左側面から攻撃してきた。なら次は?


 戦闘前に少し話してわかったことがある。

 ミサキは自分のことを全く下に見ていない。

 対等な、倒すべき相手として見ているだろう。


 油断していない相手ほど付け入る隙の無い相手もいない。

 しかし、それはそれで、相手の動きを予測する材料になる。


 ミサキなら、きっと最も有効な方向から攻撃を仕掛けてくるはずだ。

 正面はない。側面もない。対応がしやすい前面180°からはきっと攻めてこない。


 真上、というのも考えた。以前とどめを刺された時の攻撃を思い出した。

 だがこれも可能性から排除した。空中では走れないのでスピードが出しにくく、察知された時のリスクが大きいからだ。


 最後に残ったのは背後だ。

 人類共通の弱点。死角。それ以外ない、と戦闘開始直前にエルダは結論付けた――とはいっても大部分は欠かさず行ってきたイメトレの成果だったが。


「あは……エルダが強くて、すっごく嬉しい」


 立ち上がるミサキは笑っていた。

 銃弾は当てることができたが大したダメージにはなっておらず、以前倒した相手がここまで強くなって挑んできたことに喜びを隠しきれないといった様子だった。


「こちとらお前を倒すことだけ考えてやってきたんだぜ。まだまだこんなもんじゃねえ、笑ってるうちに倒しちまうぞ」


「それはそれは――楽しみだね」


 獰猛な笑みを浮かべる二人のプレイヤーは一瞬の溜めの後、再びぶつかり合った。

 

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