95.最低の結末


 ミサキとカンナギの決闘を強制的に中断させ現れた虚空の穴。

 そこには誰かがいた。


 最初、ミサキはマリスが襲来したのだと思った。いつものパターンなら奴らが現れていたからだ。

 だが、そこにいたのは人間だった。

 全身がマリスと同じく真っ黒だがモンスターではない。


 近未来的なデザインのスーツの上から、コウモリの羽根を思わせる形状のケープを羽織っている。

 顔はわからない。仮面――というよりはフルフェイスヘルメットのようなもので隠されている。

 高い身長と、全身の骨格からおそらく男性。しかしそれ以上のことは判断できない。


 観客も、カンナギも、ミサキも、息を飲んでいる。 

 この状況を正しく把握できないでいる。どうして、何が起こって、これからどうなるのか。この場にそれがわかるのは誰もいない。

 いや――ひとりだけ。


「……………………」


 その男はおもむろに穴から出て地面へ降り立つ。

 彼の姿はあまりに黒すぎて、周囲の全てから浮いていた。

 しかし男はそんなことは歯牙にもかけず、首を動かして周囲を見渡す。


(何かを数えてる……?)


 観客席をぐるりと見回しながら指さし確認。

 検分――と呼ぶのが相応しい行動。

 何か嫌な予感がする。


 刹那、ミサキとカンナギの視線が交差する。

 数十秒前まで命の取り合いをしていた者同士ではあるが――カンナギもまた、この状況の異様さを感じ取ったようだった。

 頷きを交わし同時に動き出す――だが。


「…………ッ」 


 カンナギが少し遅れた。

 数字にすればたったの一秒。その様子にわずかな違和感を覚えながら、拳を握りしめミサキは走る。

 一直線に、黒い男へ向かって。


「やあああっ!」


「はあっ!」


 カンナギの方が男に近かったこともあり、男へとほぼ同時に肉薄。それぞれ攻撃を繰り出す――しかし。

 それが届くことはなかった。

 

 外した、ではない。

 躱された、でもない。


 すり抜けた。

 もしやホログラムかとも思ったが違う。

 マリスのように別位相にそんざいしているというわけでもない。

 単純に当たり判定が存在していない。ミサキはそう感じた。

 

「なぜ当たらない!?」


 驚愕するカンナギはバックステップで距離をとる。

 懸命だ。得体の知れない相手に対してがむしゃらに攻撃したところで効果は期待できない。

 こうした状況で様子を見るのは正解と言えるだろう。


「【インサイト】……やっぱりだめか」 


 情報を見ようとしたが、やはり敵わない。

 本来【インサイト】を使用すると対象の身体に照準のようなものが表示されるのだが、それすらない。

 姿が見えているだけでシステム上は存在していないのと同じだ。


 黒い男はミサキの方を一瞥だけして両手を軽く振る。すると前触れなく、エフェクトもなく、突然その手の中にいくつものカプセルが出現した。

 アイテムは基本的にメニューサークルを経由しないと物体化できない。なのに男は手品のように取り出して見せた。明らかに逸脱している現象に動揺しかけたミサキとカンナギだったが――それより。

 半透明のカプセルの中で揺れる、タールのように真っ黒な粘液が見えた。


「なん、」


 もう男は放り投げるモーションに入っている。

 カプセルはいくつだ。パッと見で数えられる数ではない。

 ここにはたくさんのプレイヤーがいる。マリスの”苗床”には困らない。

 阻止できない。触れられない。見ているしかない――――こんな惨状を。


「……………………いいかげんに、しろ」


 花びらのように空中へと舞い散るいくつものカプセル。それぞれに少しヒビが入ったかと思うと、内部の黒い液体が飛び出した。空中でうごめく液体はそれぞれが観客席に狙いを定め、次々にプレイヤーたちへ取りついていく。

 

 阿鼻叫喚。

 叫び、逃げ惑い、錯乱する。混乱が感染していく。

 黒い液体は膨張し、プレイヤーを包み、そのアバターを歪曲させていく。

 取りつかれたプレイヤーたちは苦し気に身じろぎしたかと思うと、みな一様に二足歩行のサンショウウオのような姿に変貌した。


「な……なんだこれは……これが噂の黒いモンスター!? 人間じゃないか……」


 うろたえるカンナギが遠くに見える。

 胸のうちで渦巻く感情の嵐が少しずつ目の前の景色を押しのけていく。

 悲しいのだろうか。混乱しているのだろうか。困惑しているのだろうか。

 いいや、どれも違う。


 ミサキはこれ以上ないほどに怒っていた。

 

「――――いい加減にしろ!!」 


 本気の怒声が喉から出る。

 ここまで怒りをあらわにしたのは生まれて初めてだったかもしれない。 


 こんな時に、ましてや決着が着こうというときに乱入しなくてもいいだろう。

 確かに負けそうだった。いや、確実に負けていた。それは地団太を踏みたくなるほどに悔しい。

 でもそれは自分が弱かったからで、相手が強かったからだ。

 それには納得している。感情では納得できないが、理性は納得している。

 だからこそ邪魔しないでほしかった。最後まで戦わせてほしかった――負けさせてほしかった。

 当然の敗北を受け入れたかった。


 だからこそこの状況が腹立たしい。

 この戦いを見ていた観客席のみんなも、戦闘中は意識できなかったが、きっと楽しんでくれていたはずだ。

 なのに今は恐怖と混乱の坩堝で逃げ惑っている。マリスにされた者もいる。

 何の目的があるのかは知ったことではない。だがどんな理由があろうと人のまっとうな楽しみを奪うことは許しがたい。

 特に、このゲームという世界において。 


 黒い男は役目を果たしたとばかりに空の穴へと飛び入る。

 もう何も見ていない。自分が感染させたマリスも、その場にいたカンナギも、ミサキも。

 ふざけるな、という五文字が口の端から漏れる。


「お前は! いつか絶対にお前だけは殺す! 他人のことを好き勝手に踏みにじるってことがどういうことか教えてやるから!!」


 きっとほとんど負け惜しみにしか聞こえなかっただろう。

 黒い男も一切目を向けはしなかった。

 それでも今ここでミサキは宣言する。

 いつか必ず、と。


「ミサキーーっ!」


 そんな時、聞きなれた声が響く。

 観客席ではすでにマリシャスコートを纏ったフランが対処に当たっているのが見えた。

 ミサキは無言で頷き、首に巻いたマフラー、《ミッシング・フレーム》を空中へ放り投げる。


界到かいとう!」


 起動コードを叫び、宙を舞うマフラーをつかみ取るとその身体を覆い尽くし、一瞬で装着が完了する。

 『マリシャスコート:シャドウスフィア』。通常の攻撃が通じないマリスに対抗する唯一の手段である。


「ま、待ってくれ! 僕も戦――――」


「ダメ! さっさとここから出て!」


 カンナギの言葉を遮ったミサキは足に影を纏わせ跳躍する。

 ことここに至っては、強い弱いの問題ではなく力を持っているか否かが重要だ。いかに強いカンナギと言えどマリス相手では戦力にはならない。


 目指すは観客席。

 うごめくマリスは両手で数えられないほどの数。


 いろいろと考えたいことはあるが……とりあえず彼らを倒してからだ。

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