第四章 這いよる悪意

39.Welcome!


『もうあいつひとりでいいじゃん』


 ああ、まただ。

 

『ウチらいらなくね?』


 もうこの夢は見ないとばかり思ってたのに。


『あんただけで勝手にやっとけよ。ついてけねーし』


 わたしは何も見えてなかった。

 楽しい楽しいってそればっかりで、後ろを振り返ったりもしなかった。


『部活なんかに本気になんなよ』


 わたしは本気だった。

 本気だったから上手くなれたと思ってたし、だから楽しかったし、みんなもそうだと思ってた。

 でも。


『あーあ、なんでウチら※※※なんてやってたんだろ。萎えたわ』


 四角く区切られたフィールドを、一心不乱に走って、走って走って走って走って――ふと、背後を見てみると、そこにはもう誰もいなかった。

 手の中を滑り落ちたボールが、固い床でバウンドして、どこかへと転がっていく。


 この世の中にわたしと同じ人なんて誰ひとりいなくて。

 その時のわたしは、そんな常識さえもわかっていなかったのだ。







「んん…………んーー…………」


 ぱちり、と目を開く。

 こんな時ばかりは自分の寝起きの良さを恨めしく思う。

 怠い上半身を起こすと、背中にかいた寝汗が冷える。枕もとに転がっていたスマホを拾い上げて時間を確認すると、目覚ましに設定した時刻の五分前だった。

 都合のいい体質だと喜べばいいのか、それとも。


 嫌な夢だった。

 すでにその輪郭はおぼろげになりつつあるが、何の夢を見たのかは覚えている。

 荒唐無稽な内容ではなく、神谷沙月が、昔経験したことをリフレインした夢だからだ。夢は忘れるものだが、その記憶自体は鮮明に残っている。


 とは言っても引きずっているわけではない。

 その問題はもう過去の出来事でしかないし、嫌な思い出くらいの意味しか持たない。

 だから久々に振り返ったその記憶は、神谷沙月の気分を少しだけ暗い気分にさせただけだった。





「行儀悪いわよ。スマホ置きなさい」

 

「んあい」


 学生寮の居候であるアカネに注意されてもどこ吹く風。聞こえているのか、聞いていて無視しているのか、神谷は朝食のベーコンエッグをかじりながら手元の端末に執心していた。

 液晶画面が映し出しているのはネットニュース。見出しは『世界初のVRMMO『アストラル・アリーナ』長期サービス停止!?』だ。


 例の無敵モンスターが出現し、その影響か数時間の間意識不明になったプレイヤーが数人確認された。それが原因で『アストラル・アリーナ』運営は原因を調査するため長期メンテナンスを開始し、その上終了の目途は立っておらず、原因の所在に関してネット上では議論が紛糾していて――というような内容だ。


 意識不明といっても実際にはあのモンスターにキルされたプレイヤーが数時間リスポーンせず、それに伴ってログアウトができなくなっていた、というだけの話だ。

 だけの話、と切り捨てるにはいささか異常な事態ではあったが。


 当の”被害者”たちは現在、何事もなかったかのように日常生活に戻っている。彼らは一様に病院で検査を受け、全員が異常なしと判断された。不気味なくらいに何の影響も無かったのだ。殺された瞬間の前後の記憶が無いこと以外は。


 あのモンスターの正体はいまだにわからないままだ。

 バグか、それとも悪意あるプレイヤーの持ち込んだウィルスの類か、それとも運営の用意したイベントの一環なのか――世界中から注目を受けているゲームだからこそ、話題には事欠かない。


 今頃運営の人たちは大変だろうなあ……と神谷はぼんやり思う。

 彼女は、あのモンスターが運営が作ったものだとは思っていなかった。もちろん断言はできないが、その判断の材料がこのスマホの中にはあって――――


「聞きなさいってば!」


「あ、ちょっとスマホ返して」


「食べるときくらい落ち着きなさいよまったく……」


 アカネはぷんすか怒りながら神谷と同じベーコンエッグの最後のひとかけらを口に放り込み、飲み込む。

 

「あんた今日何時に出るんだっけ」


「10時くらいにしようかな。ちょっと早めに出とこう」


「ん」


 アカネは端的な返事を残し、几帳面に食器を重ねてキッチンへと歩いて行った。


 彼女が置いていった神谷のスマホ。

 そこには、『アストラル・アリーナ』の開発・運営をしている会社からの招待メールが届いていた。





 電車で五駅。地下鉄に乗り換え、今度は七駅。

 到着した駅からすぐ見える位置にその会社はある。


「パステーション社……ここで合ってる、よね」 


「地味に遠かったわ……」


 やってきたのは、『アストラル・アリーナ』を開発したパステーション社のオフィスが入っているビルだった。

 あんな技術の塊みたいなゲームを作っている会社なのに、実際はごく数人で回しているらしい。すごい人たちもいたもんだ、と神谷は内心感嘆する。


 あのモンスターと神谷――ミサキの戦いを、運営は見ていたらしい。

 誰も太刀打ちできなかったモンスターを倒したのがミサキだということは、今のところ誰にも知られていない。しかし管理する側の、つまり神の視点で事態の推移を見ていた運営は一部始終を目の当たりにしていた。

 その件について話をしたいというのが先方の要件らしい。

 

 もしかしたら疑われているんじゃないか、という懸念はある。

 あのモンスターに傷をつけることができたのがミサキのみである以上、そこを疑うのは当然と言ってもいい。

 ミサキが今回足を運んだのは、疑われていた場合それを晴らす目的もあってのことだ。


 ……とは言えひとりだと心細いのでアカネを連れてきたわけだが。

 断られる覚悟で頼むと、「めんどくさ……まあいいけど」と快諾(?)してくれた彼女には感謝の念を禁じえない。


「出入り口まで来てくれって言われたんだけど……」 

 

「あ、あの人じゃない?」


 ビル入り口の自動ドア。そこが開き、ひとりの男性が出てきた。

 短い金髪に、日本人離れした精悍な顔つき。美青年という言葉が似合うその男はスーツを身に纏っていて……いや、あれはスーツだろうか。どちらかというとタキシードだとか、燕尾服みたいな言葉がふさわしい、というかよくよく見ればそれは執事服だった。

 漫画の中で見るようなイケメン執事が二人の目の前に立っていた。


「ご足労いただきありがとうございます。哀神と申します。本日は神谷様――と、ご友人もですね、案内を仰せつかっております」


「…………おお、あ、はい」


「こちらへ」


 何というか、彼の纏う謎の迫力に神谷は気圧されてしまう。反対にアカネは無言で睨みつけていた。


 彫像のように無表情のその執事はそびえ立つオフィスビルへと神谷とアカネを導く。

 いったい何が始まるんだ、と二人の少女は思わず身構えてしまうのだった。

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