7.ステゴロ少女、アリーナに立つ
ミサキ――神谷沙月は目を開く。
あたりが薄暗い。ここは寮の自室だ。フランとの取引の後、ログアウトして
体感としては寝起きのような状態なのに、全く寝た気がしないこの感覚は、未だに慣れることはない。
凝った背中を猫のように伸ばす。
「……ばんごはん作らないと」
「おはようございます、沙月さん」
「うひゃあ!?」
ベッドの上からそのままの体勢で飛び上がりそうになった。
慌てて横に視線を投げると、そこにいたのは園田みどりという名の少女。
灰色の長いストレートに、エメラルドグリーンの瞳が映えている。
クラスメイトであり、同じ寮生でもある彼女は、神谷にとって大切なパートナーだった。
「…………だからね、起きたときに側にいたらびっくりするからやめてほしいって話でね」
「そろそろ帰ってくる頃かなあと思いまして。それにすやすや寝てる沙月さんかわいかったので仕方ないですよね」
いや聞いてない、とぶつくさ呟く神谷。
ふたりは夕食を寮の食堂ですませた後である。目の前には空になったカレーの皿が人数分。
「今日はいつもより遅かったですね。なにかあったんですか?」
VRMMO――『アストラル・アリーナ』をプレイしていることは既に伝えてある。
神谷自身、部屋にこもってゲームばかりするのはどうなのかとは思ったが、園田いわく時間を決めてやるなら問題ないとのことだった。
「ちょっと変な子に捕まっちゃって……」
魔女みたいな格好をした金髪錬金術士が脳裏をよぎる。
明日もまた会わなきゃいけないのか、面倒だなあ、などと考えていると、
「ふふ、でも沙月さん、なんだか楽しそう」
「え、そう? そうかな……」
むにむにと自分の顔を確かめる。
楽しそう……自分は楽しんでいるのだろうか。
「……まあ、そうかもね。なんだかんだ」
「嬉しいです。沙月さんが楽しそうにゲームをしてるの」
心から喜んでいるように、園田は笑った。
さて、三日後である。
学校から帰ってきてすぐにログインしたミサキは、アリーナのエントランスにやってきた。
「あらミサキ。遅かったわね、もう少しで締切よ」
受付のすぐ横に金髪魔女……いや錬金術士が立っていた。
どうやらミサキを待っていたらしい。
「フラン。わざわざ見に来たの?」
「うーん、そういうわけじゃないんだけどね。強いて言うなら逃げられないように見に来たって感じ」
「逃げないって。約束したでしょ」
「ふふん、それでこそね。目をつけたかいがあるわ」
もう勝った気でいるな、とミサキはジト目になる。
優勝すれば超有用防具、敗退すればフランのアトリエの宣伝隊長。ならばなんとしてでも勝ち上がりたい。
「そんなこと言ってていいの? 今のうちに財布の中身を確認しておいたほうがいいんじゃない?」
「あなたこそ、今のうちに覚悟を決めておくことをおすすめするわよ」
ばちばち、と二人の間で火花が散る。
ここまで言われたら絶対に優勝してやる――ミサキはそう心を固めるのだった。
全身が光に包まれ、フィールドに降り立つ。
前方にいるのが対戦相手の男だ。骨ばった細い体型に、ヤマアラシのように長く逆立った髪。右手には短剣を持っている。おそらくスカウト系のクラスだろう。
「てめえ! 船長を倒したチビじゃねえか!」
金属がこすれるような甲高い声が響く。
昨日戦ったエルダのギルドメンバーのようだ。赤いバンダナを付けていないからわからなかった。
「どうも。これでも成長中なのでチビじゃないよ」
「うるせえ! お前のせいで船長は出ていくしギルドは潰れちまったんだぞ!? どうしてくれんだよクソチビ!」
え、と内心驚く。
そんなことになっていたのか。そこまで望んだわけではなかったのだが……エルダにも何かしらの心境の変化があったのだろうか。
頭上に10という数字をかたどったホログラムが出現し、カウントダウンを始める。
「ごめんね、許して?」
「許すか!」
だよね、と肩を落とす。
とりあえず謝ってはみたが取り付く島もないとはこのことだ。
ただこの件に関してはミサキに非はない……はずである。
ミサキが勝ったら初心者狩りをやめると約束しただけで、ギルドまでやめろとは言っていないのである。
「てめえをぶっ潰せば船長も戻ってきてくれるかもしれねえからな……錆になってくれや」
エルダというプレイヤー、思ったより人望があったのかもしれない。
PKという目的ではあったが、彼女を中心としたまとまりのあるギルドだったのだろう。
そう考えると少しだけ罪悪感が湧いたので、気休めの言葉をかけてやることにする。
「大丈夫だよ、いつかまたエルダも戻って――――」
「またあのおっぱいを間近で見るためにも俺は勝つ!」
「…………」
前言撤回。
元から手加減をするつもりはなかったが、とりあえず罪悪感とかは捨てて良さそうだった。
試合開始のブザーが鳴る。
同時にミサキは猛然と駆け出した。
「は、速え!」
言い終わったときにはもう遅い。ミサキはそのスピードでもってヤマアラシ男の足元に潜り込んでいた。
相手が反応するその前に、小さな身体をバネのように動かし渾身の力で相手を蹴り上げる。
「うぎょあっ!?」
軽装が災いし、簡単に空中へと打ち上げられたヤマアラシ男は手足をバタつかせる。
だがもう遅い。空中で行動することは出来ない。
「らあああ!」
追いかけるように飛び上がったミサキは無数の拳を叩き込む。
相手の身体に攻撃が炸裂するたび真っ赤なダメージエフェクトが飛び散り、雨のように降りしきる。
一連の攻撃で大幅にHPを削り――しかしまだ終わりではない。このトーナメントのルールは
「これで――終わり!」
トドメにもう一度痛烈なハイキックを抉りこむように打つ。
その右足が脇腹に直撃し、観客席まで飛び――見えないバリアに激突して落ちた。
同時に鳴るのは試合終了のブザー。
一回戦はあっけなく決着した。
「ふうっ」
着地すると共に歓声が鳴り響く。
正直くすぐったい。これまで戦っているところを誰かに見られるという経験が殆どなかったものだから、まだ慣れないのだ。
(こんなのでアトリエの宣伝なんてできるのかな――――ってなに考えてるんだわたし)
そんなもの、やる気はないはずなのに。
その考えから目をそらすように観客席を見回すも、あの目立つ金髪は見当たらなかった。
帰ったのだろうか――と考えていると、身体が光に包まれる。試合が終わり、控え室に転送されるのだ。
瞬きの間に転送は終わる。
あまり広いとは言えない部屋だ。天井も床も壁も青白い立方体の部屋で、内壁から長椅子のようなものが突き出している。
とりあえず腰掛け一息つく。窓もなく、まるで牢獄のようだ。剣闘士じゃないんだからもう少しなんとかならないのかと思わなくもない。
今回のトーナメントに参加しているのはミサキ含め八人。つまり全部で三回勝てば優勝だ。ミサキはあと二回。
他の試合を見ることは出来ない。よって対戦相手を知るのはフィールドに転送され試合が始まるときだけだ。それまではここで待つ必要がある。
「……息つまるな……」
その声が狭い部屋に反響した。
二回戦の相手は全身が鎧に包まれている顔の見えない相手だった。
典型的な重戦士――ATKとDEFにステータスを割り振った、『ナイトビルド』と呼ばれる今の環境で流行っている型だろう。相手の攻撃を受け止め、カウンター気味にやり返す。要求されるテクニックが少ないことから初心者に人気の型だ。
しかし弱点として機動力がほぼ皆無。よってミサキは自慢のスピードを活かして翻弄し続け、ノーダメージで勝利。高い防御力もクリティカルの連打には意味を成さず、HPはあっという間に削り切られた。
「うん、結構いけてるかも」
横たわる鎧騎士を尻目に、手を開いたり閉じたりを繰り返す。
今までただ経験値を稼いでいたわけではない、戦法を試行錯誤し、
ミサキが積み上げてきたその努力は間違いなく実を結んでいる。
自分の実力を実感していると、鎧騎士だけが光に包まれ転送された。
どうやらこのまま決勝戦が始まるらしい。
ちなみにHPなどの心配はない。対人戦の場合、終われば自動で全快する。
と、鎧騎士と入れ替わるようにして光の柱が出現し、中から人影が現れた。
三角帽子にローブ。ウェーブのかかった金髪が広がり、青い瞳がきらりと光る。
仁王立ちで現れたその少女は、
「あたしが登場よ!」
「……フランじゃん……」
魔女……ではなく、錬金術士のフランだった。
今回、このトーナメントにミサキが挑むことになった原因。
ああ、と不覚にも合点がいった。ミサキが優勝を逃せばフランのアトリエの広告塔になる。ならばフラン自ら優勝を阻止しに来るのは自然なことだ。
あの時エントランスにいたのもミサキを待っていたわけではなく自分がエントリーするためだったのだろう。観客席にいなかったのも同じ理由。トーナメントの参加者だからだ。
「ふふん、どう? 驚いた?」
「うん、まあ」
「決勝まで来られてよかったわ。これでも頑張ったんだからね、あたし」
確かに、8人の小規模大会とは言え他のプレイヤーに勝ちここまで来たのは称賛すべきことだ。
一回戦は相手が参加賞狙いの初手降参勢という事もありうるだろうが、二回戦はそうもいかない。勝つ気で勝負に臨んでいる相手を打ち負かすというのは、適当に戦ってできることではないのだ。
「フランって強かったんだね」
「いいえ、錬金術士はステータスがかなり低めだし、あたし自身のレベルもそう高くはないわ。ただこのトーナメントってアイテムの持ち込みができるでしょう?」
フランの言う通り、トーナメントにはアイテムの持ち込みが可能だ。
大した量は持っていけないし、HP回復アイテムは原則禁止(泥試合になりかねないから)などの制限はあるが、基本的にはどんなものでも自由。ミサキも念のため状態異常を治癒する《浄化リキッド》を持ち込んでいる(ちなみにこのアイテムの存在が状態異常を付与するスキルの評価を下げている)。
「なるほどね」
「まあ、あんまり使いたくはないんだけれどね。もったいないもの」
そんな話をしていると、頭上でカウントダウンが始まる。
そろそろ試合を開始しろということか。
「ねえ、そこまでしてわたしが欲しいの?」
「もちろんよ。バトルの苦手なあたしが、そうでなければわざわざこんな所来ないもの」
どうやらミサキが思っていたより意志は固いらしい。
この機会に何とか懐柔して諦めてもらえないかと思っていたのだが……ここまで真剣な表情を見せられると、こちらも真っ向から受けねばならないだろう。
「よし、じゃあ戦おう。わたしが欲しいなら勝ち取って見せて」
「言われるまでもないわね!」
試合開始のブザーが鳴り響く。
ミサキの今後のVRMMO生活を左右する、運命の決勝戦が始まった。
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