35.紅を仰ぐ


 アリーナのバトルフィールドからエントランスに転送される。

 

「……………………」


 そこから一歩も動けない。

 ミサキの脳裏に、今しがた決着がついた試合の、最後の瞬間がぐるぐると駆け巡る。


 勝てると思っていた。

 相手がどれだけ強くなっていようが、自分なら越えられると確信していた。

 それだけ自分の努力を信じていたのだ。


 それが良くなかったのだろうか。

 慢心だったのだろうか。

 少なくともエルダの【カタラクト】を腕を犠牲にかわした瞬間『勝った』と思ったのは事実だ。だが彼女はそこからさらに次の一手を仕掛けてきた。


 結果は引き分け。

 負けてはいない。なのにどうしてここまで悔恨が胸を抉るのか。

 奥歯を思わず噛みしめると、ぱたぱたと地面を叩く足音が聞こえた。


「ミサキ!」


 長い金髪を振り乱して駆け寄ってきたのはフランだ。

 決着がついてすぐに様子を見に来てくれたのだろう。


「いい勝負だったわ。おつかれさま」


「…………勝てなかったけどね」

 

 ねぎらいの言葉に、そんなことしか言えない。

 自分でも余裕がなくなっていることがわかる――さりとてこの胸の疼きは収まらない。

 こんな敗北感は久々だった。


「ごめん。フランからもらった装備があったのに……」


「なに言ってんの、そんな――――」


「こんなんじゃダメなんだ」


 フランが投げかけようとした慰めを遮る。代わりに溢れだしたのは黒くてぐずぐずの、煮凝りみたいな後悔。


「前は勝てた。なのに今回は勝てなかった。どんどん追いつかれてる」


 それは、自分よりもエルダの方が成長したということ。

 いつか来る、敗北の時への一歩。


 このゲームを始めて、運悪くハンディキャップを背負って――それでも工夫と努力でやっていけると思っていた。

 しかし今、ミサキは明確な壁にぶつかっていた。

 いつか自分の戦いが通用しなくなるその時が、周囲に置いて行かれるその時が、おぼろげな予感ではなく明確な質感を持って眼前に立ち塞がっている。


「わたしは……もっともっともっともっと強くなって、それで……そうしないといけないんだ」


「ミサキ…………」


「もう嫌なんだよ、力が足りなくて手が届かないのは」


 どうしてそこまで――と言おうとした口をつぐむ。

 力が足りなかった。弱かった。届かなかった――助けられなかった。

 ミサキの言う『強い』というのは、なんというか、心の問題なのだと思っていた。未熟だから母を失ったという事実を受け止めきれなかった、とか。


(ちがう、の――?)


 もしかしたら。

 彼女が言っているのはそのままの意味で。


 それは例えば力だとか、技術だとか、そういった戦いに際して求められる部分が足りなかったという意味なのではないか。

 ならば、この世界においてこの子だけが未だ戦場の最中にいる。


 いや。

 違う。


 そんなことは重要じゃない。

 今までミサキがどういう道を辿ってきたかというのはこの際関係ない。

 重要なのは、今ここにいる、この世界を走り続けてきた彼女がこれからどうするかという点だけだ。


 友人として、相棒として。

 自分がこの子にかけてやれる言葉は何か。


「ミサ――――、……っ!?」


 ずずん、と地の底から突き上げるような揺れ。

 地震ではない。一度大きな振動があり、そのあとは静かだった。

 しかしその代わりというべきか、アリーナの外から叫び声のようなものが聞こえてくる。


 何かが起こっている。

 その予感に、ミサキとフランは無言で頷き合い、アリーナの出口に足を向けた。






 空が真っ赤だった。


「な……にこれ」


 夕暮れの空は、まるでサイレンのように赤く明滅している。

 それは以前ミサキが初ログイン時にエラーを起こした時とよく似ていた。 

 しかし二人はそんな異常な情景に目もくれない。

 今見るべきは、眼前の、その威容。


「なんでタウンにこんな奴がいんのよ……!?」


 ホームタウンはこの世界でどこよりも安全な場所だ。

 敵モンスターは一切出現せず、プレイヤー同士のバトルも行えない。だから街中で戦闘が起きることは絶対に無い。世界観の上では、魔力障壁で守られているだとかそういう設定はあるらしいが今はそんなことが問題なのではない。


 今気にすべきは――ミサキたちの眼前にいる、巨大なモンスターだ。


 頭がひとつ。腕が二本に足が二本。二足歩行。

 辛うじて人型だ。だが全身を黒い羽毛に覆われ、二本の腕は、腕というよりほぼ翼。両足には鋭いかぎ爪があり、頭部はカラス。

 それに加え身体のあちこちから黒紫の粘液を滴らせ、しかもその粘液には頻繁にノイズが走るという有様。

 

 ゲームに共通する基本的な仕様に、敵の造形パターンは全体の敵の種類に比べて非常に少ない、というものがある。

 単純に色違いで強い個体を出したり、骨格を流用したり……工数を減らすために昔から使われてきた手法だ。

 それはこのゲームでも例外ではない。

 ドラゴン系、ゴーレム系、スライム系……よく似たモンスターがこの世界には何種類もいる。


 しかしこのカラス人間は違う。

 こんな型のモンスターは見たことがないし、聞いたこともない。


 カラス人間は先ほどから甲高い叫び声を上げながら暴れ狂い、逃げ惑うプレイヤーや、立ち向かってきた勇気あるプレイヤーを片っ端から薙ぎ倒している。

  

 いや、それだけではない。

 あのモンスターの攻撃で、周囲に立ち並ぶ建物や道までもが破壊されている。マップ自体に干渉することはできないはずなのに。

 

 この敵は明らかにおかしい。

 そう直感したミサキたちは、この敵を討伐するため一歩踏み出し――直後、すぐ近くのアリーナの壁に激突した何かを見て目を疑った。


「エルダ!」


 飛んできたのはエルダだった。

 腕は捥げ、もうHPは残っていない。今しがたまで戦っていたのがわかる。


「に……にげろ……あいつには……勝てない」


 死に体で、それだけ言い残してエルダは消えた。おそらくはタウンのリスポーン地点に送られているだろう。


「…………っ」


 エルダにそこまで言わせるなんて。

 ミサキは歯噛みする。自分に対してあれだけ喰らいついてきた相手が何もできずに負けたという事実が飲み込めなかった。

 

「そうだ、シオは?」


 フランがあたりを見回すと、カラス人間の足下――そこにシオが倒れているのが見えた。

 おそらくエルダはシオを庇って戦い、そして負けたのだろう。

 

 仰向けになったシオが短剣を握っているところを見ると、彼女も戦おうとしたのだ。だが勝てなかった。

 こんな相手をどうすればいいというのか。


 暗澹たる思いに背中が曲がる。

 しかしそこに強い衝撃が与えられた。


「なに下向いてんのよ!」


「フラン…………」 


 背中を思い切り叩かれたのだ、と気づく。

 この異様な状況で、彼女は不遜に前を向いている。


「いい? よく聞きなさい」


 フランは迷いのない口調で紡ぐ。

 励ましでも、おだてでもない、ただの事実を。


「勝とうが負けようが引き分けになろうがあんたの強さは変わらない。あんたをずっと見てきたからわかる。ミサキは強いわ」


 いつだって上だけを見て歩んできた。

 強くなることだけを考えて。

 そんなミサキを、フランはよく知っている。


「でもそんな風にしょぼくれてたら弱いままだし強くもなれないでしょうが。っていうかあんたってこういう状況を、むしろ喜ぶような女だったでしょ。違う?」


 強い相手。得体の知れない相手。

 そんな敵と戦う時、ミサキは笑う。

 勝敗以前に、その戦い自体を心から楽しんでいた。今までのミサキはそういうプレイヤーだった。


「ああもうわかったよ!」


 何もかもを振り払うかのようにミサキは駆け出す。

 別に持ち直したわけではない。それでも、動かなければやってられなかった。

 胸中に渦巻くアレコレは戦ってから考える。

 だから今は、


「わたしが相手だ!」 


 この敵で憂さ晴らしをしよう。

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