34.着港



 いちど、瞳を閉じる。



 エルダは本気だ。

 本気で自分に勝とうとしている。

 攻防を重ねるほどに彼女の想いがわかる。伝わってくる。

 

 だからこそ負けられないと思った。

 最強になるために乗り越えなければならない最大の敵がエルダだ。ここを避けては通れない。

 

 それに――今も観客席で見てくれているであろう相棒フランに格好悪いところは見せられない。

 あの子が誇れる自分であるために。選んだことを、後悔なんてさせないために。

 

 だったら今までみたいな”試合”に臨む心ではダメだ。

 もっと、もっと、もっと――力を鋭く研ぎ澄まさねば。


 思い出せ。

 試合でも勝負でもない、殺し合いという名の戦いを。


 一瞬の気の迷いが生死を左右する。

 ダメージエフェクトとは違う、本物の血飛沫。

 その中で感じた、確かな高揚。


 このバトルも同じだ。

 負けても死ぬことこそ無いが――失うものは大きい。


 賭けているのはこれまでの時間だ。

 この世界に来てから培ってきた全てが、この瞬間に集約されている。


 絶対に勝つ。もう弱い自分はこりごりだから。

 相手が強ければ強いほど、絶対に負けるわけにはいかないから。


「――――――――」


 鋭く、ひとつ息を吸う。

 再び瞼を開くと――ミサキの纏う雰囲気が一変していた。

 

「…………ッ!?」


 びりびり、と空気を伝ってきたのが何なのか、エルダにはわからない。

 その一瞬で『蛇ににらまれた蛙』という言葉の意味を肌で理解した。

 自分が相手にしている者がいったい何なのか。どういう名前の、どういう生き物なのか――本当にこれが、同じ人間から発せられる殺気なのか。


 そう、殺気。

 日常生活ではまず味わうことのない感覚を、海堂香澄エルダは味わっていた。

 ミサキの中に眠っていた”何か”を起こしてしまった。


「…………それでも」


 震える手で、右手のカトラスを力任せに握りしめる。

 

 以前戦った時は、正直言って最初から敗北を確信していた。

 明らかに持っているものが違う……なまじエルダ自身が強かったこともあり、その差を如実に理解できてしまった。

 しかし負けるわけにはいかなかった。たとえ望んではいなくとも、エルダはギルドを率いる立場だったから。だから力を振り絞って戦った。結果、紙一重のところまで食らいつくことはできた。


 そして今は。

 

(――――シオ)

 

 対峙するミサキの、その向こう。

 観客席にいるシオを見る。

 すると、ずっとうな垂れていたシオが顔を上げた。

 

 声にしないその呼びかけが届いたわけではないだろう。

 しかし確かにその時、二人の視線は交差した。


(なんて顔してんだよ) 


 小さな手を握りしめるシオは、泣き出す直前の子どもみたいに表情を歪めている。

 何がそんなに不安なのか、それとも悲しいのか――ここからではよくわからなかった。


 本当に、自分は変えられてしまったのだと思う。 

 最初はただの敵愾心だった。自分を倒したミサキを乗り越えないと、という焦燥感に駆られてひたすらに努力を繰り返してここまで来た。

 

 でも今はそれだけじゃない。

 

(アタシは――お前にすげえって思ってほしかった。見直してほしかったんだ)


 シオに認めてほしい。

 それが、それだけが、いつの間にか立派な理由になっていた。

 だから。


「――――負けるわけにはいかねーんだよ」


「わたしもだよ!」


 ミサキのグローブが蒼く輝き、エルダのカトラスが紺碧に煌めく。

 お互いのHP残量を鑑みればあと一撃でもまともに喰らえばそれで決着がつく。

 よってここで繰り出すのは最大の攻撃でなければならない。


「【メイルシュトローム】ッ!」


「イグナイト!」


 エルダが繰り出した、水流の渦を剣に纏わせた鮮烈な突きと。

 ミサキの放った、蒼炎をブースターとし加速した彗星のごときキック。

 その双撃が激突した。


 爆発。相殺。


 ふたつの技は全く同じ威力で、爆風によって弾かれたようにお互い転がる。


「「まだだあああああっ!」」


 声をそろえて咆哮を上げる。

 まだ終わりじゃない。腕も足も残っている。相殺されたことでダメージもほぼない。

 このHPいのちが尽きるまで戦える。


 一直線に突撃するミサキ。

 凄まじい速さ――だが、真っすぐ突っ込んでくるなら見える。

 なぜならずっとこの速さに勝つために戦ってきたのだから。


「【カタラクト】!」


 上から下に振り下ろす水属性の斬撃スキル。

 完璧なタイミング。懐に飛び込んでくるミサキの頭を両断する軌道。

 だが。


「ああああっ!」


 当たりはした。しかし寸前でミサキが身体を無理やりにねじり、結果――捉えたのはミサキの右肩。斬り飛ばされた右腕が視界の端でくるくると宙を舞う。

 身体の欠損によってHPが激しく減少を始める。だが、完全に尽きるまでにはわずかだが時間がかかる。

 残り少ないミサキのHPが削れていく。全損まで残り0.5秒もない。


 だが、スキルを使用した直後のエルダの身体は技後硬直によって行動に大きな制限を受ける。

 そしてその隙をミサキは見逃さない。残った左手を硬く握りしめ、その拳をエルダへと振りかぶり――――


「負けないで、エルダさあああああああんっ!!!!」


 ぴくり、とエルダの指先が動く。

 その声に全身が震えた気がした。

 

 ――――そんな大声、一度だって聞いたことはなかったよ。


 その声をずっと求めていた気がする。

 負けないで、だって――思わず口元がほころぶ。


(……ありがとうな、シオ)


 技後硬直で動けないのは体勢だけだ。身じろぎくらいなら行える。

 そして、それだけで充分だった。


 左手の《ワイルドハント》の銃口は、ずっとミサキに照準を合わせている。【カタラクト】を回避し、今にもとどめを刺そうとしているミサキのいる場所へ。


「【パイレーツ・カノン】」


 紅蓮の閃光と蒼の拳が交差する。

 その威力に大爆発が引き起こされ――フィールドは大規模な砂塵に包まれた。


  

 誰も、何も言えなかった。

 口をつぐみ、息をのみ、このバトルの行き先を見守っていた。

 

 やがて砂塵は晴れる。

 少しずつ、その影が見えてくる。

 

 立っているのは二人。

 エルダの撃った弾丸はミサキの胸を貫き、ミサキの放った拳はエルダの腹部に直撃していた。

 

「どう、なったんだ……?」


 観客の誰かが耐えきれずに漏らした言葉――その答えはすぐに現れる。


『DOUBLE DOWN』


 そのホログラムは静かに、しかし雄弁に結果を語る。


 引き分け。


 どっちつかずのその結末に、観客席は激動した。

 歓声が巻き起こる。拍手が鳴り響く。


 ふたりのプレイヤーの矜持を駆けたバトルは、双方が立ったまま終結した。





 アリーナを出たエルダは、すぐにその少女を見つけた。


「シオ」 


「あ…………」


 待っていたシオは、しかし顔を背ける。

 ばつの悪そうな顔で地面を睨みつけている。


「悪い、勝てなかった」


 それに反してエルダは晴れやかな表情だった。

 どうしようもなく悔しい。しかし全てを出し切ったのだ。


「わ、私は……本当は……」


 勝ってほしくないなんてことを本気で思っていた。

 離れたくなくて、内心にそんな我がままを抱えていた。

 そんな自分に慰める資格も称える資格もない――そんなふうに自分を責める。


 そんなシオのうなだれた頭に、ふわりと静かな重みが与えられる。

 思わず見上げるとエルダがその手をシオの頭に乗せていた。まるでなく子どもを慰める大人のように。


「アタシさ、ほんとは負けてたんだよ。最後【カタラクト】を躱されて……もうだめだって一瞬思っちまった。でもあの時声が聞こえたんだ」


 シオが、戦うエルダへと絞り出した必死のエール。

 黙っていることはできなかった。なぜならシオはエルダの努力も思いもそばで見てきた、ただひとりだったから。


「だからとっさに銃爪を引けた。まあ引き分けだったけどさ――アタシは満足してるんだ。だから」


 柔らかく微笑むエルダ。

 その表情には、PKギルドのリーダーだったころの面影はもう無い。


「ありがとう、シオ。これからもよろしくね」


 少しだけ柔らかな口調。

 それは少しだけリアルのものに近く――海堂香澄とエルダが地続きであることを、シオは理解した。

 

「私も、」


 だが。

 そうして開こうとした口が遮られる。


 ズン…………!


 最初は地震かと思った。

 しかしこの電脳の世界にそんなものは無い。

 この世界そのものが揺れているのだ。


「な――なんだよコイツは……!?」


 エルダたちの目の前に『何か』が現れる。


 誰も予想できなかった事態がこの世界に起こり始めようとしていた。

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