90.Bluer than Sky
きっと嫉妬していたのだと思う。
カンナギ。金髪王子。見目麗しく、爽やかで、他人から好かれるカリスマを持つ男。
彼が相棒であるフランにアプローチをかけていたり、仲良くしていたり、そんなことだけが気に入らなかったのではない。
最初からわかっていたのだ。
この男は人として、このゲームのプレイヤーとして、自分よりも上位の存在だと。
だから怖くて怖くて仕方がなかった。彼にフランをとられてしまったらと思うと胃がねじれるような心地がした。
でも。
もしかしたらと、思うことがある。
フランは本当にすごい女の子だ。そんな子の隣に居るべきは自分ではないのでは――と。
もしかしたら。
他の誰かの方が相応しいのではないかと。
カンナギはおもむろに剣を逆手に持ち替えたかと思うと、その切っ先を振り下ろす。
「【サージ・トーピード】!」
地面に突き刺した地点から五方向に地を這う電撃が放たれる。
弾速は極めて速い――しかしこの遠距離からなら対応が間に合う。
ミサキは電撃の間を縫うように駆け、技後硬直でしばしの間固まっているカンナギへと一気に距離を詰める。
「やああっ!」
顔面を狙った上段蹴りがあと数センチというところで腕甲に阻まれる。
双方の武器にはリーチ差がある。防がれはしたが懐に飛び込めばこちらのものだ。ミサキは両の拳を握りしめ、嵐のようなラッシュを開始する。
だが、それらはひとつとしてカンナギに届くことはない。
「さすがに速い、だが!」
カンナギは驚くべきことに携えた白金の剣ですべての攻撃を凌いでいる。
暴風雨がごとくミサキの四肢から繰り出され続ける連撃はひとつひとつを目でとらえるのが難しいほどの速度で、実際に防戦一方になっていることは間違いない――しかし。
「当たらない……!?」
そもそも”防戦一方”になっていること自体が本来ありえない。
素手で戦うミサキの、他にないアドバンテージのひとつが手数の多さである。単純な話、長剣よりも拳などの方が素早く何度も攻撃できる。
しかしカンナギは軽やかなステップで距離を調節し、最低限の攻撃だけを防御することで凌いでいる。
あまりにも的確で、容赦のない防御。
「君と知り合ってから、君の戦いをよく見ていた」
「なにを……」
「がむしゃらな乱打に見えて、その実君の攻撃には明確なパターンが存在する。自覚はあるかい?」
思わず手が止まる。
その隙へとカウンターで剣が振られ、攻撃範囲から慌てて逃れる。カンナギも『とりあえず攻撃してみた』という風で、本気で当てるつもりはなかったようだ。
「……気にしたことない」
「ミサキさんの攻撃は、躱しにくい角度から、ガードが間に合わない速度で繰り出される。だがわかってさえいればどうとでもなる」
そんなことはない、と思う。
わかっていてもなお防げない攻撃をしているのだから。
だから、これはカンナギの驚異的な反応速度や正確な体捌きも要因としてあるのだろう。
「さあ……次は僕の番だ。【ブリッツ・シュラーク】!」
直後、カンナギの姿が消える。
速すぎて目が追い付かないのではない。本当に消滅して――動揺のさなか、頭上からぱちぱちとはじけるような音が聞こえた。
真上。瞬間移動したカンナギは顔の横で構えた剣の切っ先を真下に向けている。
「やば、」
まさに落雷。
雷を伴い、眼にも止まらぬ速度で急降下したカンナギの剣が地面に突き刺さった。
目視できないまでも回避だけは――とっさにバックステップしたミサキだが、着地時の爆風で小さい身体はたやすく宙を舞う。
「うあっ」
なんとか空中でくるりと体勢を立て直し着地する。
爆風により漂う砂塵にカンナギの姿は隠れている。
「どこに…………」
「歪んだ光、裂ける空――――」
塞がれた視界のその向こうから歌うような声が聞こえる。
特殊なエコーがかかったこの声は、
「詠唱……ッ!?」
マジックスキル。
詠唱を必要とする分威力や攻撃範囲が強力な技だ。
だが、剣士系クラスの身でそれを口にできるクラスをミサキは聞いたことがない。
これが『勇者』。
万能という、スペシャルクラスの中では極めて特異な性質を持つ者。
「――――駆けろ……【レボリューション・スパークリング】!」
朗々と宣言されたスキル名と共に、砂塵が引き裂かれる。
放たれたのは雷の光輪。数は四つで、大地をホイールのように走りミサキへと襲い掛かる。
「左右各1、正面からふたつ」
瞳を高速で動かし、四方向から迫る光輪を補足する。
同時ではなく、ひとつひとつのタイミングは少しずつズレている。おそらく最初に発射されたものを回避すれば、そこへ次が飛んでくるのだろう、と推測する。
ならば安全地帯は――上。
膝を曲げることなく跳躍し、眼下を通り過ぎる光輪を見送る。
しかし、この選択は間違いだった。
「がっ!?」
右肩に痺れるような痛みが迸る。
視線をそちらへ動かせば、痛みの源には風穴が空いていた。
「…………【ボルテック・ピアース】」
カンナギの剣の切っ先から放たれた雷の穿光に貫かれた――そのことを落下しながら把握する。
狙撃と呼べるほどの遠距離攻撃はミサキのHPを二割ほど削り取った。射程が長い分威力は低めに設定されているらしい。
ダメージによって体勢を崩したことで地面へともろに激突する。
「…………うぐ」
落下ダメージはさほどでもない。回避する際に高く跳躍しなかったのが功を奏した。
しかしこのままでは勝ち目はない。多彩なスキルの連続に反撃もできないままだ。スキルを抜きにしたってカンナギのプレイヤースキルは相当に高く、まともにぶつかれば負けるのはミサキの方だろう。
どうすればいい。
いくら考えても糸口ひとつ見つからない。
こんな気分は久しぶりだった。
目の前に立ちはだかる圧倒的な壁を前に、鮮明な敗北の実感が這い上がってくる。
(ああ――強いなあ)
クラスさえあれば。武器さえあれば。スキルさえあれば――この戦いが始まってから何度羨んだかわからない。
もっと強くならなければとずっと力を渇望していて、そのために努力は怠らなかったが、以前から限界は見えていた。
ゲームである以上インフレはする。そして時間が経てばプレイヤーたちの技量も上がってくる。
ミサキのアドバンテージは日に日に消えていき、ビハインドだけは立派に膨れ上がっていた。
防御を無視する確定クリティカルで誤魔化してはいるが、ミサキの火力は相当に低い。
そもそも武器がない分、素のATKが大幅に劣ってしまっているのだから防御力を貫通しようが大したダメージアップにはならない。むしろそうしなければ話にならないと言える。ただひたすらに手数で補っているだけだ。
素手である以上リーチの無さも痛い。スキルが無いから遠距離攻撃も範囲攻撃も無い。
攻撃パターンの乏しさは自覚している。究極的には近づいて殴る以外の選択肢がミサキにはない。
彼女の一番の特徴であるスピードに関してもそうだ。
速さを制御できないから誰にもうまく扱えないとされていたストライダービルドは、最近は少しずつ数を増やし再評価の波が来つつある。最初はできないと思ったことも慣れてしまうのだ、人間という生き物は。
それでも単純な速さならミサキに勝る者はいない。それは確かだ。
しかし、それほどのスピードがはたして本当に必要だろうか。
プレイヤーたちがやっているのは徒競走ではなく、戦闘なのだ。速いだけでは勝敗は決まらない。
必要十分の――人間が反応しにくいレベルのスピードさえ確保すればそれで問題ないのではないか。
今回だけではない、今までの戦い全てを経てミサキはそんな考えを持つに至っていた。
それでも『これ』は自分だけの特権だからとしがみつき続けた。
日に日に自分が弱くなっているような気がして、どれだけ走っても焦燥感は振り切れなくて――ああ、そうだ、ランキングバトルに身を入れた理由だって『ちょうどいいから』というのは嘘だった。
ただ自分の力を確かめたかっただけだ。勝って安心したかっただけだ。
それでも自分の実力に確信が持てなくて――今。
勝てない敵と対面している。
最後まで諦めるな、と人は言うけれど。
勝負に負けるときは負ける前からそれがわかってしまう。
昔バスケをやっていた時のことを思い出す。
こちらが108点、相手が42点。残り5分。絶望的な点差だった。
相手チームはそれでも声を掛け合っていた。
『まだ時間あるよ!』
『取り返せる点差だよ!』
『最後まで諦めるな!』
そんな希望に満ち溢れたセリフを謳う相手チームの瞳を絶望が蝕んでいた。
その点差を覆せる程度の実力差なら、そもそもこんな点差はついていない。そのことを彼女らもわかっていたのだろう。
結局その試合は勝った。
波乱はなく、怒涛の追い上げもなく、たださらに少しばかり点差が開き、順当に勝った。
結局こうなるんだとがっかりすらしていた。
自分が諦めたら後でなにを言われるか、とか。
スポーツマンなら最後まで正々堂々が当たり前、とか。
そんな規範に縛られて、諦めることすらできなくて可哀想にと思っていた。
そんな彼女たちを、当時のミサキは憐れんでいたけれど。
こうして『負ける側』になってみると彼女たちの気持ちがわかってしまう。
本当に自分は子どもだったのだと思い知らされる。今も変わらず子どものままなのだと嫌でも自覚してしまう。
彼女たちは絶望の淵にあっても希望を捨てなかった。
例え敗北が目に見えていても、一縷の望みに賭けていた。
それだけだった。
それだけのことをミサキはわかっていなかった。
あれから四年。
今のミサキに彼女たちと同じことができるだろうか。
こうして諦めかけている自分に立ち上がることができるだろうか。
それでも何とか勝機を見つけなければと立ち上がり、カンナギを睨みつける。
だが反対に、カンナギ本人は敵意の薄い瞳を……ひどく悲し気な色をその青い目に滲ませていた。
「君はもっと強いと思っていた」
ぴくり、とミサキの肩が震える。
「彼女に認められたんじゃないのか? なのにどうして君は諦めようとしているんだ」
頭に血が昇る。視界が赤く染まる。
はらわたが沸騰しているのだと錯覚する。
どうしてそんなことを――お前なんかに言われなければならないのか。
「僕にはゆずれないものがある。君にだってあるんだろう! だからここにいるんだろう!」
あるよ、当たり前でしょ。
その響きを唇が発することはなく、ただの吐息となって胸のうちから出ていく。
本当に、悔しくて悔しくて言葉もない。
カンナギの言う通りだ。
全く、敵を激励するなんてどうかしている。
そういうところが嫌いだった。
勝ち目のない強大な敵とは何度も戦ってきた。
結果的に勝つこともあったし、それ以上に負けてきた。
挑んだから、勝って負けた。
負けるつもりで戦ったって絶対に勝てない。
今まで勝ちを拾ってきたのは諦めなかったからだ。
そんなことはとっくにわかっていた。
「もしかしたら」
か細い声が口の端から漏れた。
意識していないままにこぼれた声は不明瞭で、よく聞こえないのかカンナギは怪訝な顔をしている。
それでいい。これは宣言でも何でもなくて、ただの独白だから。
「フランはあなたと一緒にいたほうがいいんじゃないかって。そっちのほうが相応しいんじゃないかって思ったよ」
ゆずろうかと何度も何度も考えた。あの子の隣を。
本当はずっと、自分に自信が持てなかったから。
努力は自己否定の痛み止めにはなっても、薬にはなってくれなかったから。
――――でも。
「でもやっぱり無理だよ……!」
どうしてもそれだけは。
こんな自分でも譲れなかった。
『あたしはここにいるからね。何があっても……あたしはあたしのまま、あなたの隣にいるからね』
頭から離れないあの子の香りが諦めることを良しとしなかった。
あの言葉をわたしが信じないでどうする。
それに――”限界は見えていた”?
勝手に見限るな。
自分の可能性を自分が信じてやらないでどうする。
『ミサキ』と『フラン』を――わたしが信じてやらないでどうする。
見上げれば電脳の青空。
あれがどこまでもは続かない有限のものだとわたしは知っているけれど。
わたしという自己に限界はない。そのこともまた、よく知っている。
「――――だから勝つ」
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