51.イミテーション・インフルエンス


 ――――また学校で、なんて言ったくせに。


 ラブリカと気まずく別れた次の日、神谷ミサキが学校で彼女と……姫野桃香と会うことはなかった。ここ最近は毎日のように顔を合わせていたのに今日に限っては影すら見当たらない。

 避けられているのかもしれない。もしかしたらこれでしつこい勧誘からもおさらばできるのかもしれない。そう思うとせいせいしなくも無かった。


 そのはずなのに、少し寂しいと感じてしまうのは自分勝手だろうか。

 

 別に特段仲良くしていたわけではない。

 向こうから好き勝手やってきて、いつものやり取りをして別れる。そんな毎日だったから。

 だからこちらから会いに行くのも気が引けた。先輩がわざわざ後輩の教室に行くのは目立ってしまう。

 それ以前に彼女が何組なのかすら聞いていない。


 当たり前のことではあるが、姫野という後輩のことを何も知らないのだ。

 こうやってお互いに会う意志がなければ簡単に途切れてしまう関係だということにようやく神谷は気付いた。





 例によって例のごとく、放課後。

 神谷はミサキとして『アストラル・アリーナ』のホームタウンに降り立った。


「さてどうしよっかな。とりあえずアトリエに顔出して……ん?」 


 今日は妙に視線を感じる。気のせいでなければ行きかうプレイヤーがこちらを見ている。

 歩きながら横目で見てくるものもいれば、立ち止まって仲間と何やら言葉を交わしているものもいる。

 ミサキはそれなりに有名プレイヤーなので周囲の視線を集めるのは特に珍しいことでは無いのだが、なんというか視線の質が違うのだ。


 いつもは好奇心や羨望が多分に含まれた、もしかしたら憧憬なり嫉妬なりも合わさったものを向けられていて、それは特に不快なものでは無い。目立ちたがりでもないミサキはそういった扱いが好きではないが、慣れてしまった今では気にしてはいない。

 だが今向けられているのはそれらとは似て非なるものだ。

 粘ついているとでも言えばいいのか――あまり気持ちのいいものではない。

 まるで値踏みでもされているかのような、視線によって自分の何かが消費されているような気がした。


 正直言って不愉快ではあったが、心当たりがまるでなく、彼らに確かめるわけにも行かない。仮に自意識過剰だったら赤っ恥だ。それにこんなことでログインしてすぐこの世界を出るのも馬鹿らしい。

 ミサキは息をひとつ付き、アトリエへと足を運ぶことに決めた。






「おじゃましまーす。フラン今日は……」


「ミサキっ!」


「おおう」


 アトリエに入った瞬間家主のフランに詰め寄られる。

 いったい何があったのか切羽詰まった様子で、少し見上げた位置にある白い眉間にはしわが刻まれていた。


「ちょ、ちょっとちょっとどうしたの。落ち着いて」


「落ち着いてらんないわよ! 今日突然あなたの変な噂がそこら中に広まってる。開発者ってやつと癒着してるって」


「え…………」 


 そんなことはしていない――とは言い切れない。

 実際運営会社に呼ばれ仕事を受けたわけだから繋がりはある。


「ミサキが強いのはそのおかげだって。唯一素手で戦ってるのも特別なアバターを与えられてるからだって……そんなわけないのに……」


 フランの言う通り、ミサキは運営から特別な恩恵を受けているわけではない。むしろ逆だ。今のミサキがあるのは初めてこの世界に来た際、エラーを起こした結果だ。

 ミサキが強いのはそのハンデを補おうと必死に試行錯誤と努力を重ねてきたから。


 ひとつため息をつく。

 そうか、実情を知らない周りから見ればそう見えてしまうのか、と。

 少しだけ昔のことを思い出した。

 強さが原因で孤立してしまった中学の時のことを。


 それにしても、やっと得心がいった。

 今日ログインした際、周囲から投げかけられていた視線はそう言うことだったのか。

 ミサキの悪評がこの世界に広まってしまっているのだ。

  

「やー、ごめんね」 


「……は?」


 突然の謝罪にフランは怪訝な表情をする。

 意味が分からなかった。


「わたしこのアトリエの広告塔なのに……看板に泥塗っちゃった」


「――――」


「あは、それにしてもなんでバレたんだろ、やっぱりビルに入るところ見られてたのかな? やっぱりリアルとアバターの外見が一緒だとこういうことも」


「……………………いでしょ」


「ん?」


 ぼそり、と口から落とされた言葉はか細く、ミサキの声とかぶさって聞き逃してしまった。

 俯いていたフランが弾かれたように顔を上げる。


「そうじゃないでしょ!?」


「フラ、ン」


「あたしのアトリエよりあなた自身のことを気にしなさいよ! あんたが強いのはそれだけ頑張ったからなのに、どいつもこいつも好き勝手言って……!」


 フランは怒っていた。

 ミサキ自身、もしかしたらフランには怒られるかもしれないとは思っていた。アトリエの風評にも影響が出てしまうから。

 

 しかしその想像は全くの見当違いだった。

 今、フランはミサキのことだけを思い怒りをあらわにしているのだ。


「自分の努力を踏みにじられて、話のタネに好き勝手消費されて……なのにどうしてあなたは平気そうなのよ、どうしてまず気にするのがあたしのことなのよ……」


 ミサキは瞬きを何度か繰り返した。

 きっと今日ずっとフランは怒っていたのだろう。

 それは他ならぬミサキのためだ。噂を流した者も、それに翻弄される大衆たちも許せなかったのだろう。

 フランの白い手がミサキのシャツの袖をつかむ。震えている。


「……だってフランはわかってくれてるでしょう?


 固く握られたその手を取り、袖から外す。


「わたしがそんなことしないって、正々堂々努力して強くなってきたって」


「……当たり前よ」


「だから噂なんてどうだっていいんだよ」


 ミサキは笑っていた。

 こんなのどうでもいい、気にすることなんかじゃない、と。


「わたしはね、いい人じゃない。だから大切な人たち以外ははっきり言ってどうでもいいんだよ。見えないところにいる人たちにどう思われようと、どう扱われようと、気にならない。だからフランもあんまり気にしないで」


 ね? と、まるで小さな子どもを諭すように小首を傾げるミサキ。

 フランは自分がミサキの大切な人の範疇に入っていることに喜びを覚えたが、しかしそれとこれとは話が別だった。

 ミサキだってフランにとって大切な存在なのだ。そんな子が好き勝手に尊厳を踏みにじられている現状を受け入れることは出来そうになかった。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る