84.傍らに咲く花


 フランはわたしのことをわかってくれている。

 だからわたしの葛藤も、傷も、なんでも受け入れてくれるはずだ――――


「っていうかありえないと思わないかしら。普通あのタイミングで手を振り払う? さすがにちょっと傷つくわよ、いくらあたしでも」


「はい…………」


「あたしもマリシャスコートを用意してたって言わなかったのは悪かったかもだけど、仮に攻撃が当たらなくても加勢するくらいはできるわよ。ひとりでなんでもできると……ねえ聞いてる?」


「おっしゃる通りです…………」


 ――――などということはもちろんなく、考えが甘すぎたと言わざるを得ない。


 ここはフランのアトリエである。

 ミサキは床に正座し、フランからお説教を受けていた。

 当たり前のことだが、いかなる心の傷があろうとも、本人が言及しない限り外から察するのは難しい。


「甘えすぎだぞわたし……いろいろと……」


「なんか言った?」


「んーん。ごめんね」


 説教はもう終わりっぽいと判断したミサキは、よいしょと立ち上がり、すぐ近くのソファに身を預ける。

 柔らかに沈む感触が懐かしく感じる。まだ数日開けただけなのに。

 それだけ通い詰めていたんだな、と自覚する。始めてここに来たときはなんといかがわしい家かと思ったものだが。


「あなたってほんと甘えるの下手よね」


「え」


 甘えすぎだと言ったそばからそんなふうに言われるとは。

 実際どうだろうか。自分ではそうでもないと思う。昨日だってフランとぎこちない感じになってしまったのが辛くて幼馴染のベッドに忍び込んですやすや寝ていたし。昨日に限らず仲のいい子と寝るのはよくあることだが。

 

 ただ、振り返ってみるとフランに対してそういう面を見せたことはあまりないような気がする。この世界ゲームにおけるミサキは、なんというか恰好を付けがちなのだ。


「他人に身をゆだねるのは苦手?」


 考え込むミサキの手に、何かが触れる感覚。

 見ればそばにしゃがんだフランが手を添えている。いつもの夏の太陽みたいな笑顔ではなく、慈しむように穏やかな微笑みを浮かべている。


 だからだろうか。

 普段より幾分か心が柔らかくなっていると感じた。


「…………誰かがわたしのために動いてくれるのは嬉しいよ。でも、それ以上に苦しい」


「どうして?」


「わたしへの善意が原因でその人が悲しい想いをしたとき、どうしたらいいのかわからなくなるんだよ。わたしなんていなければって……死にたくなる」


 今日出会った親子の時みたいに自分がそうなるのはまだいい。

 だが他人の善意をないがしろにしてしまうのはどうしようもない。償う方法がわからない。そして、そんな時に限ってその善意を与えてくれた人は『気にしないで』と笑うのだ。


「でも、でもね、だからって他人が差し伸べてくれた手を振り払うのも違うんだよ。誰かがわたしを大切に想う気持ちをないがしろにしたくない。本当に、もうしたくないんだよ、そんなことは」


 受け入れるのは辛いが、かと言って跳ね退けるのも苦しい。

 相手のことを大切に思えば思うほどどちらの道も恐ろしくなる。

 今までのようにゲーム上で装備を作ってもらうなどの協力を受けるくらいなら構わない。そんな日常のやり取りなら断然許容範囲だ。


 だが、マリスとの戦いは違う。

 あれはゲームだけに収まらない。この世界の法則システムを逸脱し、現実まで影響する恐れのある敵だ。

 そうでなくてもマリスとの戦いは現実以上の痛みを伴う。それだけで忌避に値する。


 ”本当の戦い”など生きていく上で経験するべきではない。


「だからわたしは強くなりたかった……誰の助けも必要ないくらい、全部自分でなんとかできるくらいに」


「…………それはどんなに強くなってもできないことよ」


 切り捨てるような言葉に反して、優しい声だった。

 ミサキにだってそんなことはわかっている。わかっていて、なお割り切ることができないのだ。

 だからフランは手を差し伸べる。自分で自分をがんじがらめに縛り付けて、どこにも行けなくなってしまった少女に向かって。


「前にあなた言ったわよね、『二人の方が効率的』――って。その理屈、自分に適用されないのはずるくないかしら?」


「それはっ! そう、かもしれないけど……」


「あなたはあたしのことを心配してくれているんでしょう。マリスと戦うのは危険だから。傷ついてほしくないから――でもね、奴らと戦って苦しむあなたを見るだけで、あたしは痛くて痛くてしょうがないのよ」


 俯く頭に手を乗せて優しく撫でると、ミサキは目を見開いて少し震えた。

 今、彼女が何を考えているのかはわからない。フランの言葉をどう受け取ったのかも、どんな考えを巡らせているのかも。


 それでも理解してほしかった。

 ミサキのことが大切で、放っておけないのだと。 


「どうしてもあたしの助けが辛いというなら、代わりにあなたは全力であたしを守りなさい。傷ひとつつけないくらいの気持ちでね」


「…………あは」


 王様気分に不遜な物言いをして笑うフラン。

 だが、それが今のミサキにとってはなにより心地いい。

 

 不安ならその手で守れ。

 何もかも自分の手でどうにかできないなら、せめて近くにいる相棒くらいは守ってみせろ。

 そんな『逃げ道』をミサキに与えてくれているのだ。


 それでもまだ。

 まだ、この手は震えてしまう。

 前に進むと決めてなおこの魂は怯えている。

 その手を取りたい。そして肩を並べて共に戦いたい。

 そうして天秤を傾けようとすると――ひやりと。心臓が冷水に晒されるような心地がするのだ。


『ねえ』

『また同じことを繰り返すつもり?』

『お前はそうやって懲りずに大切な人を危険に晒すんだね』


 そんな声が聞こえる。

 他ならぬ自分の声が。


 以前もこうして差し伸べられた手を取ったことがあった。

 その時の自分はこれ以上ないくらいに追い詰められていて、それでも自分一人で成し遂げないといけないことがあって――その天秤の上で揺らいでいた。


 人の心。善意。愛。

 今ではパートナーと呼べるほどの関係を結んだ園田みどりという名の少女がもたらしたそれを、結果的にミサキは受け入れた。


 そして……その結果彼女を失いかけた。

 すべてが終わってしまう寸前まで堕とされた。

 取り返しのつかない大破壊を、他ならぬミサキ自身の手でもたらすところだった。

 絶望し、自ら命を断とうともした。

 今でも目をつむるだけでまぶたの裏に蘇る鮮明な記憶だ。

 

 だから強くなりたかった。

 VRMMOという世界でなら、本当の戦闘が、命を遣うことなく行えると思ったから。

 この現代社会において、強くなる方法はこれ以外にないと思った。


 どこまでも届く腕。

 どんなものでも掴める手。

 どこまででも跳んでいける脚。


 それさえあればきっと――この胸に座する欠落も消えてくれるのだろうかと思っていた。


 だが、今こうしてまた選択を迫られていると、いったい自分が求めていた強さとは何だったのかと問いたくなる。

 目の前に差し伸べられた手は、いくら強くなろうが、振り払うことも掴むことも自分には難しい。

 だからきっと”そういうこと”なんだろうと思った。


「たぶん強いっていうのは、クラスとかステータスとかスキルとか装備とか、そんなのは関係ないんだね」


「そうね。きっとそう」


「わたしは弱い。でもその弱いわたしを見て、知って、受け入れる。そうやって乗り越えないと、わたしの欲しい強さはいつまでたっても手に入らない」


 失うことばかりを恐れていては何も手に入らない。

 だからこの震える手を伸ばす。フランの手を掴む。

 

「だからずっとわたしのそばにいて。いなくならないで。わたしも……わたしも頑張るから……!」


 喪失だけを想像するのではない。

 望む未来を思い描き、手繰り寄せる。そうしなければ何も始まらない。

 声が震える。まだ怖い。だがそれでも信じたかった。


 その想いが通じたのか、フランは自信たっぷりに笑う。


「もちろん。あたしとあなたの二人ならどんな相手だって勝てるに決まってるもの!」


 フランがそう言うならきっとそうだ。

 ミサキもまた笑みを浮かべて頷く。

 マリスという規格外へと、その手を努力でもって届かせた少女と一緒なら、不可能などありはしない。


「ていうか心配し過ぎなのよミサキは。ほら!」


 勢いよく唐突に、フランはミサキを思い切り抱き寄せる。

 頭が胸元に埋まり、とくとくと一定のリズムを刻む鼓動がフランの胸の奥から伝わってくる。


「ちょ、恥ずかしいってば」


「いいから」


 頭を抱きかかえられて撫でられているという状況が照れくさくて、脱しようとばたばた暴れる。

 だがフランの腕力は思いのほか強く抜け出すことができない。

 いや、もしかしたら、身を委ねていたいという本音がミサキの力を緩めていたのかもしれない。

 それくらい心地よかった。


 温かな花の蜜のような香りに包まれ、ミサキは少しだけ微睡まどろむ。


「…………優しい音だね。ドキドキとかしないの? こんなに可愛い子を抱きしめて」


「んふふ、ないわよ。だってあなた妹みたいなものだもの」


 そんなふうに思われていたのか、と少し驚く。

 いつもなら文句のひとつでも言うところだが……今のミサキにそんな気はない。

 それくらい安らいでいた。初めて見せた弱みを受け入れてもらえて安心したから。


「大丈夫よ。あたしはここにいるからね。何があっても……あたしはあたしのまま、あなたの隣にいるからね」


「うん…………」 


 この鼓動は偽物だ。

 プログラムで構成された『そう感じられるもの』でしかない。ただフランのコンディションを読み取って再現された感触と音でしかない。


 だが、それがなんだというのか。

 例え偽物であっても、この鼓動はフランが今ここに存在するからこそ感じられるものだ。

 フランがここに居なければ、こうしてミサキが安らぐことも無い。


 そうやって人の心を動かしているなら、偽物だって本物になる――そうミサキは信じているのだった。

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