29.氷上はためくジョリー・ロジャー
シオとエルダが言葉を交わさないままアンニュイな空気を共有していたその時。
視線の先で何やら海面が盛り上がっている。
「何だあれ」
「さあ……?」
首をひねっている間にも海は見る間に形を変え、山のように高くなり――爆発した。
巨大な水しぶきの中から現れたのは巨大な緑色のタコだった。その周囲の水面からは長く太い触手が一本、また一本と突き出していく。まるでイソギンチャクのように顔を出した触手たちはゆらゆらと踊るように揺れている。
「わ、わ……!」
八本目――最後に出てきた触手。
そこにはミサキがぐるぐる巻きにされていた。
身動きが取れないのかぐったりとしていて、というかよく見れば目を回している。おそらく海に潜った際この触手たちと遭遇し交戦したものの、海中ではまともに戦えず今の状況に陥ってしまったのだろう。
「あいつ何やってんだ……!?」
敵と定めた女が目の前で間抜けに死にかけている。
とにもかくにも倒さなければ、と剣を取り出す。隣ではシオも短剣を抜いた。以前のゴーレムとの戦いから、敵と遭遇したら戦闘に入る、という意識が身についている。
……とは言え、どうやって戦えばいいのかはわからない。
「クソ遠いな……!」
緑色のタコ――『テンペストパス』が触手を揺らしているのはエルダたちがいる砂浜から離れた海上だ。間違いなく泳いで行かなければならないだろう。
馬鹿正直に泳いでいけばミサキの二の舞だ。どうするべきか、むしろ放って帰ってもいいんじゃないかとエルダが考え始めた時だった。
「《かちこちカーペット》!」
海辺に響くソプラノ。
同時にタコの周囲の水面が一瞬にして凍り付いた。
思わず声のした方を見るとフランがこちらへ向かって走ってきている。
「ミサキはなんであんな感じになっちゃってるの?」
「あー……なんだ、見たまんま。海に潜ってしばらくしたらタコに縛られて出てきた」
「あほか」
深いため息をつくフランだったがすぐ顔を上げる。
「とりあえず床は作ったからあんたたちお願いね」
「えっ、フランさんはどうするのですか……?」
「あいつが凍った海面割るたびに、あー言ったそばから割られた……割るたびにまた氷を張りなおすからアタッカーしてね」
再び海面を凍らせるフランを尻目に、エルダは舌打ちでもしたいような気分になる。
どうして自分があんな情けないことになってる奴を助けなければならないのか。正直腹が立つ、立つが……ここで見捨てて帰ってもそれはそれでプライドが傷つく。
「くっそ、しゃーねー。いくぞシオ!」
「は、はい!」
砂浜を駆け、その先の氷面を踏んでさらに前へ。薄く海中が透けて見える氷の床は見た目以上に強度があるようだ。攻撃など耐久値を減らすようなことをしなければ、飛んだり跳ねたりしても絶対に割れない。そういう設定をされているからだ。
そんな氷面がエルダの前方から割られていく。タコの触手が氷をかき分けるようにして伸びてきていいるのだ。
しかしそんな直線的な攻撃が通用するわけもなく、エルダは華麗なステップでかわしつつ触手を切り飛ばす。黄色のダメージエフェクトが飛沫のように飛び散り、触手があらぬ方向へと飛んでいく。
(――――こんなもんよりあいつの方が100倍速かったよ)
さらに幾度も伸ばされる触手を回避し、切り裂き、エルダとシオはさらに前進する。
エルダはともかくとしてシオもなかなかに軽快な動きだ。フレンドになってからずっとエルダと行動していたこともありプレイヤースキルの成長はここのところ著しい。
もう少し。あと数m――そう二人の気が緩んだ瞬間だった。
タコが2本の触手を交差するように振るうと、いくつもの竜巻が発生した。まさに二人の眼前、鼻先。
とっさにブレーキをかけ――られない。氷の床では踏ん張りがきかない。
「く……【カタラク……ッ、ぐああああっ!」
「わあああ!?」
竜巻が直撃――大ダメージと共に上昇気流で空高く舞い上げられる。
自由落下をする二人はバランスを崩し空中でくるくると回る。回転する視界で何とか真下を捉えると、割れた氷の床から青い海面が見えた。このままでは水没してしまう。
「マジかよ……!」
砂浜からその状況を見ていたフランはとっさにカード型のアイテム、《かちこちカーペット》を投げようとして手が止まった。
この状況で床を作れば海には落ちないかもしれない。だがその代わり床に高所から落下した扱いになり、大幅にHPが削られる。ただでさえ竜巻のダメージが大きいことを鑑みると不用意に床が作れない。
フランは思わず腰のポーチに視線をやり、一瞬の躊躇のあと首を横に振った。
今は水没が最適解だ。『アレ』を出すべきではない――そう判断して。
「シオ……!」
懸命に手を伸ばすエルダ。だが突然の事態にパニックを起こしているシオには、その手も声も届かない。
直後、二人は高く白い柱を上げて海中へと沈んだ。
口から真っ白な泡が群れを成して上へと昇っていく。
その泡たちは次々に弾けて、ひとつとして水面に到達にすることはなかった。
まるで自分みたいだ、と思う。どれだけ足掻いても届かない。届く気がしない。バカらしくなるような努力にどれほどの意味があるのかもわからず、ただ何かに追われるようにして走っていた。追っているのは自分の方だというのに。
シオのこともそうだ。
彼女の事情を、まるで教師ドラマみたいに解決する日は一生来ないだろう。する気があるかどうかではなく、不可能だ。矮小な自分の手では彼女の寂しさを無くすことはできない。彼女の母親に代わりはいないのだから。
浮力がどこかへ行ってしまったかのように身体は水底へと真っ逆さまに落ちていく。少しずつ身体を冷たさが侵食していく。視界は先ほどからずっと赤く点滅している。このままだと酸素不足で死ぬだろう。
もういいか、と思う。
ここに来て、ミサキと鉢合わせて、シオと話して……ずっと無力感が纏わりついていた。
今まで抑えていたそれが今、あのタコに叩き落されて決壊した。
これ以上は一歩も動けない。
こぽ、という音がした。
傍らにいるシオからだった。
彼女もまたエルダと同じように沈んでいる。レベルを考慮するとエルダ以上に危うい状態であることは間違いない――いや、水面までの距離を考慮すれば助からないということがわかる。ここから必死で水面を目指して泳いでも、到達する前に間違いなく死ぬ。
ごぼ、ともう一度泡を吐いた。
自分が手を伸ばしているということを、伸ばしたあとに認識した。
海中をクラゲのように揺れるシオの指先にエルダの指が触れる。力を込め、手繰り寄せ、手をしっかりとつかみ取る。
(バカだ、アタシは……なに勝手に諦めようとしてる。アタシはこいつの……)
寂しさは消せない。埋められない。
それでも、その寂しさに寄り添ってやることはできるはずだ。慰めくらいにはなれるはずだ。その寂しさを、一時でも忘れさせることはできるはずだ。
それが大人だ。それが――――
(――――担任教師、なんだぜ)
「上がってこない……どうしようかしら」
海に落ちてもすぐに戻って来られるはず――フランはそう考えていた。
しかし待てども彼女たちは戻ってこない。水面が揺らぐこともない。視線を外せば緑色のタコは何が楽しいのか踊るように触手を揺らしている。連動してぐったりしたミサキも揺れる。
もうあたしがやるしかないのかしら……と決断しようとしたその時だった。
地鳴りがする。
「どこから……?」
海面に波紋が広がる。
そこはエルダとシオの二人が落ちた場所。
波紋は少しずつその感覚を狭めていく。
そして――声が聞こえた。
「【メイルシュトローム】」
先ほどタコが生み出したものとはけた違いの威力を持つ竜巻。
海水の渦によって形成されたそれが海面から飛び出し、タコを深く抉った。
「ギィィィヤァァァァ!」
初めて悲鳴を上げる緑のタコ。
触手をばたつかせ悶えると、その勢いでちぎれた触手からミサキが解放されそのまま海に落ちた。
「あ……まあいいか」
ぽりぽりと後頭部を掻き相棒の命を瞬時に諦めるフラン。
その視線の先には渦の中より現れた一人のプレイヤーの姿が。
赤いビキニをきらめかせ、左わきにシオを抱えたその人物の名はエルダ。華麗に氷の上に着地するとシオを横たわらせる。
「さーてタコ野郎。殺させてもらうぜ……って、なんだ?」
エルダの身体が青白く輝く。その目の前自動で現れたメニューウィンドウには[Class Extend]と表示されている。
おもむろにそれをタッチすると[スペシャルクラス:海賊が解禁されました]と記載されている。
「――――――――」
どういう運命のいたずらかはわからない。
狙っていたわけでもない。特定の条件を満たすことで転職可能になるクラス……それがどうして自分に?
そう考えて視線を下にずらすとそこには解禁条件も表示されている。
ひとつ目の条件は一定回数PKを繰り返すこと。
そしてもうひとつは――――『海中から仲間を救い出すこと』。
「は……ははははっ!」
なんだよそれ、と呟く。
そんな条件わかるわけねえ、と。
迷う理由は無い。
これが自分の手に入れた新しい力なら――これまでの道程が築き上げた力だというのなら。
それこそが自分自身なのだから。
[Class Change]
無機質な合成音声とともにクラスが変わる。
見た目が変わるわけではない。だが、右手に握ったカトラスと対を成すように、その左手には新たな武器が現れる。
半透明のフリントロック式のピストル――幽鬼を思わせるその銃が左手に握られていた。
スペシャルクラス・海賊の固有能力は、《ワイルドハント》という銘の銃が自動で装備されることだ。
この銃には重さがなく、システム上装備されている扱いにはならない。しかしこの銃を使った固有スキルが解禁される点が強みである。
「エルダ……さん……」
「見てな」
カトラスを鞘にしまい、悶えるタコに銃口を向ける。
自分に何ができるかはわからない。
それでも、生徒がそばで見ている以上、恥ずかしいところは見せられない。
(……別に熱血教師ってわけじゃない。誰も彼をも、なんてできない。だけど見えてる生徒くらいには、できる限りのことをしてやりたい)
それがエルダの、人として、教師としてのプライドだ。
「【パイレーツ・カノン】!」
銃口から放たれた深紅の閃光はまっすぐ『テンペストパス』に向かい――容赦なく焼き切った。
「……勝った、か」
ぼんやりと自分の手を見つめる。
そこにはもう《ワイルドハント》の姿は無い。戦闘時のみ出せるという仕様らしい。
「エルダさん……助けてくれてありがとうございます」
「よせよ。感謝されたかったわけじゃねー」
「礼儀ですよ」
「優等生かよ」
「優等生なのです」
隣のシオと視線を交わす。
これが本当にやるべきことなのかはわからない。こうやって彼女と一緒にいることが正しいのかどうかはわからない。
でも、いまはプライベートだ。だったらフレンドと一緒にいたっていいだろう。
「いいものを見せてもらったわ!」
氷の床を歩いて渡ってきたフランは喜色満面といった様子で仁王立ちしている。
「何かお困りのことがあれば東区のアトリエまでどうぞよろしく! じゃあね」
それだけ言ってさっそうと去っていった。
あいつも大概わけわかんねーな、という呟きは胸中に収めておくことにする。
「そう言えばミサキさんは?」
「あん? あいつどこ行ったんだ……まあいいか」
軽くあたりを見回しても姿は見えない。
特に用もないので探す意味もないか、とエルダはシオを連れて海岸エリアを後にした。
「……………………いや死んでるんですけど!?」
タウンでは、届くはずのない慟哭を上げる少女がいたとかなんとか。
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