189.三面楚歌


 なんだか大切なものを失ったような気がする問答を強制終了した神谷と姫野は一階の食堂を訪れていた。


「はー、なんかどっと疲れ……っておわ」


「わ。……急に立ち止まってどうしたんです……か……」


 その言葉通り食堂の入り口で急停止した神谷にぶつかりそうになった姫野はその頭越しに見た。

 神谷の連れ……園田、アカネ、そして光空の三人だ。

 あまり交流のない年上がこれだけ揃うと姫野としては肩に力が入ってしまう。

 第一線から退いたとは言え、体育会系の血が未だ濃く残っているのだ。


 見れば三人とも明らかに今から出かけようという服装だ。

 

「沙月さん。今からお夕飯ですか?」


「う、うん。そうだけど……みどりたちは?」


「私たちは……」


「沙月がそっちの……姫野さんを呼んだって聞いてさ。ならたまには外で食べようかなって思ったんだ」


「そうなんだ」 


 聞いてない、と言おうとしたが伝える義務もない。

 光空は大して気にしていないのか笑顔で手を振ると、神谷たちの脇を通って食堂を出ていく。

 そのあとに園田も続こうとして立ち止まった。


「あの、沙月さん」


「どうしたの?」


「な、なんでもないです! 行ってきますね」


 ぱたぱたと小走りで玄関に向かう園田の背中を見つめていると、背後から殺気が飛んできた。

 振り向くこともできずに固まっていると耳元に囁き声が滑り込んできた。


「後輩を大事にするのは結構だけど、行き過ぎてみどりを悲しませるようなことになったら……死よ」


「…………っス…………」


 静かにアカネが通り過ぎると、遅れて冷や汗が噴き出す。

 まともに声も上げられなかった。彼女を怒らせたら冗談抜きで死にかねない。

 アカネは神谷に対して容赦というものを知らないのだ。


「だ、大丈夫ですか」


「平気平気……桃香は優しいね……」


 元から枯れかけていた体力が輪をかけて削られたような気分だった。

 肩も重ければ気も重い。

 

 とりあえず三人が行ってくれてよかった、あの感じで夕飯まで一緒だったらそれこそ……と考えてそこで気づく。

 

「わたし抜きで……外食を……!?」


 神谷は普段毎日のように園田たち三人の食事を用意している。

 しかもできる限り食事を共にしているし、例外は外せない用事がある時くらいだ。


 なのに、今日は三人とも外食。神谷抜きで。

 それは、ありていに言ってしまえばハブられてしまったということで……もちろん先に後輩と予定を組んだのは神谷本人だが、理性でわかっていても感情が受け止めきれない。


「ああっ! 先輩がスマホのバイブモードみたいに振動を!」


「つらい…………」


 極度の寂しがりである神谷にこの仕打ちはとても効く。

 それはつまり『後輩ばかり優先するな』と言う彼女らの釘刺しのようなもので。

 姫野は意外なところで大好きな先輩の脆い部分を目の当たりにするのだった。






「いやーおいしかったですハンバーグ! 先輩お店出せるんじゃないですか?」


「あは、お粗末様。それはどうかなあ」


 二人の座るテーブルには空の皿が並んでいる。

 一時はどうなることかと思ったが、あの後一度戻ってきた光空に『ごめんね、せっかくだから二人にしてあげようってことになったんだ。気にしないであげて』と伝えられたことで立ち直ることができた。


 神谷にとっての料理は精神安定剤の側面を持つ。いつものルーチンワークをこなすという意味でもそうだし、料理に幸せな過去の思い出が結びついているという理由もあるからだ。


「……あの、やっぱり行きたかったんじゃないですか、先輩」


「ん? いやいやだいじょーぶ、そんなに深刻なことじゃないしね。それに……」


 ……それに、どうせ誰かと一緒にいても寂しくなる時あるし。


 とは、さすがに言えなかった。

 友人を始めとした大切な人たちと肩を並べていようが、楽しく話していようが、関係なく忍び寄ってくるのが喪失への恐怖だった。

 雑な言い方をしてしまえばトラウマと呼べるものかもしれない。

 

 でもそれを誰かに言うことはない。

 園田にも、アカネにも、光空にだって零したことはない。

 

 ただ一度。

 マリスに浸食された際、その本音の欠片をフランへと露わにした時だけだ。


「……今日は桃香が一番の日だって決めたから」

 

 だから姫野にも言うことはない。

 本音で本音を隠し笑う。


「――――……ずるい人ですね」


 それを知っているのか否か、姫野は目を細めて笑った。




 この寮には共有浴場がある。入浴の時間が決められており、それを逃した場合は諦めるか学校の敷地から出て少し歩いた場所にある銭湯に行くしかない。

 しかし姫野は断固として順番に入ると言って聞かなかった。

 神谷としてはわざわざ別々に入る理由もないし、一緒に行けばいいじゃんと主張したのだが、


『乙女にはいろいろあるんですっ!』


 と固辞されてしまった。

 わたしも乙女なんだけど、とは言えなかった。

 というわけで今は時間つぶし中である。

 

 ゲームでもして待とうかと考えたものの、姫野がいつ上がってくるかわからないので、中途半端になってしまうことを懸念してやめた。

 いつもより人と話して喉が渇いたので、食堂の冷蔵庫においてあるスポドリを取り出して半分ほど一気に飲み干す。


「神谷」


「あれ、北条さん」


 北条優莉。

 ここの寮長をしている女性だ。

 大人っぽい美人ではあるが、普段はだらしない格好で通している。

 今は仕事から帰って来たばかりなのかスーツ姿だった。


 ……仕事と言っても寮長以外に何をしているかは知らないが。


「そういう服着てるとめっちゃいい感じですね」


「普段はどうなんだよ。……ったく、そういうお前は女連れ込みやがって」


「ひ、人聞きわるい……!」


 あまりにもな言いようで愕然とする。

 断じてそんなチャラチャラした感じではないと断言できる……はずだ。


「誰から聞いたんですか? 見た感じ今帰ってきたみたいですけど」


「アカネ」


「あいつぅ!」


 誤解されるようなことを。

 愉悦の笑みを浮かべる姿が目に浮かぶようだ。

 

「後輩呼んだだけですって」


「でも泊まるんだろ?」


「そ、それが何なんですか」


 からかわれているのか――と身構えたが、存外北条は真剣な表情をしている。

 やれやれ、とため息をつくと、


「お前がそのつもりでなくても相手がそうじゃないとは限らないってことだ」 


「……そんなことあります?」


「お前そういうの未経験ってわけじゃないだろ。園田とか」


「…………」 


 まさか。

 と、否定しきれないのも確かだった。

 ただ懐いてくれている後輩と言うわけではない……のだろうか。

 意識すると落ち着かなくなってくる。


「まあ行き過ぎないように気をつけろよ。寮で刃傷沙汰とか勘弁だからな」


 それだけ言い残すと北条は去って行った。

 見送る神谷の手に持ったスポドリの、ペットボトルの表面に結露した水滴が流れ落ち、床にしずくとなって広がった。





 一方、風呂場の姫野はと言うと。

 

「…………」 


 ざあざあと音を立てるシャワーを浴びながら今日ここに来た理由を考えていた。

 ただ泊まりに来て恥ずかしい質問をしに来たわけではない。

 本当の目的がある。


「……ちゃんと聞かないと」


 意を決してスポンジを掴み、ボディソープで泡立たせて身体を擦る。

 滑らかな白い泡がだんだんと細い肢体を覆っていく。


「あと身体綺麗にしておかないと! 一応! 念のため!」


 そちらの方に力が入っていた。

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