第十一章 絶対包囲

197.兆し


 叩きつけるような吹雪の中、急勾配の斜面を凄まじいスピードで駆け上がっていく影があった。

 この世界の最北端に位置する雪山エリア。降りしきる雪で視界は悪く、地形も険しい。

 

『先輩、そこをまっすぐ上がった先の広場で三人が襲われてます』


「わかった」


 斜面のでっぱりにかけた足に力を込め、地上とほぼ遜色ない速度で登っていく。

 耳障りな吹雪の音に紛れて悲鳴が聞こえる。

 ぎり、と歯噛みをすると、一気に跳び上がった。


「なんだこいつ、攻撃が効かない……!?」

「やめろ、やめてくれ! やめろおおおおおっ!」

「ぐっ、あが……がああああっ!」


 恐怖の咆哮、そして湿った嫌な音。直後に悲鳴が上がり、声が途切れる。

 間に合わなかった。


 そこにいたのは黒くドロドロした身体をもつモンスター、マリス。

 形状は人型に近い。しかし頭と胴体が繋がったような姿で、顔は鼻も口もなく丸い目が光っているのみ。

 やたらと長い腕がだらんと垂れ下がっており、それに反して下半身は小さく、足も極端に短い。


『……マリスの反応、1から2に増えました』


「見たよ……」


 界到かいとう、と呟きマリスへの唯一の対抗策であるマリシャスコート『シャドウスフィア』を装着する。

 兎耳つきのフーデッドジャケットを身に纏った少女は声を上げる。


「そこの二人、すぐ逃げて!」


「ひっ……あ、ああ……でも仲間が……」 


「何とかするから、今は早く逃げて、振り返らないで!」


 逡巡ののち、残された二人はふもとへつながる道へ一目散に駆けて行った。

 マリスの動きが緩慢で助かった。犠牲になった一人はおそらく倒せる敵だと踏んでうかつに攻撃した結果、やられてしまったのだろう。


「でも、これってかなりまずいんじゃ……」 


 マリスの攻撃を受けたものまでマリスになっている。

 今まではデスしてしばらくリスポーンできなくなるだけで済んでいたのに――いや、『だけ』というのもおかしな話だが。

 つまり被害の拡大速度は加速度的に増していくということだ。


 二体のマリスがゆっくりと近づいてくる。

 とにかく彼らを倒すのが先決だ。





「はああああっ!」 


 自らの影を巨大な爪の形状に変化させて纏わせた手を振るい、残り一体のマリスを切り裂いた。

 なます切りにされたマリスは一瞬空中に漂うと、黒い飛沫となって爆散した。

 動きが遅い敵はもはや敵ではない。

 だが、それよりも……。


「ふう…………」


 マリシャスコートを解除すると、足元が揺らいだ。

 頭がぐらついて焦点も定まらない。

 立っていられなくなって、積もった雪に手をついた。


『先輩?』


「……何でもないよ」


 今日はもうログアウトするね、と残してボイスチャットを切る。

 ふらつきながらも立ち上がり空を見上げるも、そこにあるのは塞ぐような黒く分厚い雲に、視界を遮る雪ばかり。

 もうひとつ長い息を吐くと、青い光に包まれてログアウトした。


 これが最近のミサキ。

 彼女はここのところ、大幅に増加したマリスの対処に追われていた。




 ラブリカがマリス討伐に協力することを見計らっていたかのように――その数日後からマリスの出現頻度が急増した。

 これまでは多くても二日に一度くらいだったのが、日に数度、それも一度に複数匹出現することも珍しくなくなった。

 これを重く見たミサキたちは運営の白瀬に頼み、ラブリカにマリスの出現地点を感知しマップとして表示できる機能を追加し、オペレーター役として活躍してもらうことにした。


「…………っ、はあ、はあっ……」


 ログアウトした神谷ミサキは自室のベッドで目を覚ます。

 半開きのカーテンからは淡い月の光が差し込んでいる。

 ゴーグルを外し、スマホの画面をつけると午前一時過ぎだった。


「う……汗ひどいな」 


 白いパジャマが汗で濡れている。

 シャワーを浴びようかとも考えたが、壮絶な倦怠感に負けてそのままベッドに横たわった。


 こうして深夜に起こされることも少なくない。今日はもう三度目のログインだった。

 思った以上にラブリカに――桃香に迷惑をかけてしまっている自分が情けない。

 やはり仲間に入れるべきではなかったのではないかという思いと、ラブリカがいなければもっと大変なことになってしまっていた事実の板挟みになっていた。


 マリス討伐をフランに任せることもあるが、出現地点への到達の早さはやはりミサキに軍配が上がる。

 少しでも早く。少しでも多くの人を助けたい。その想いでマリスと戦っているが……今日も犠牲者が出てしまった。

 マリスの存在はもう隠しきれるものではなくなっている。

 現実として被害は出てしまっているし、それに対するプレイヤーたちの不信感も募るばかりだ。

 

 当然SNSや掲示板では運営のパステーション社を叩く話題が散見される。最近ではニュースにもなっていた。

 アバターだけではなく、プレイヤーの精神にも影響を及ぼすモンスター。

 サービス停止ないし終了を求める声も目立ってきたが、運営は調査中の一点張りだった。


「白瀬さん最近連絡つかないし、どうしてるのかな……やっぱり忙しいのかな」


 一度直接会社に足を運んでみたこともあるが、マスコミが入り口を塞いでいるせいで入れる雰囲気ではなかった。

 非正規のアルバイトかつ高校生の自分がむりやり侵入しようとすればあっという間に囲まれてしまうだろう。

 マリスの詳細は基本的には機密事項。外部に漏らすわけにはいかない――と言いつつも数人の知り合いには話してしまっているのだが、信頼できる相手なら問題ないそうだ。


 そんなことを考えていると瞼が重くなってくる。

 ただでさえ一日に何度もログインしている上、マリシャスコートの使用は精神に少なからず負担がかかる。

 いつマリスが現れるかわからない不安、睡眠時間の不足、そういった要素から神谷は身体も心も消耗していた。


「あ……チャット来てる……」


 緩慢な動きでスマホを操作し、チャットアプリを立ち上げると、姫野から絵文字とスタンプまみれのチャットが飛んできていた。


『おつかれさまですせんぱい♡♡♡ゆっくり休んでくださいね☆☆☆』


 思わず苦笑する。

 文面ではこんな感じだが、姫野だって疲れているだろうに。

 それでも元気は出た。

 

『桃香もおつかれ。また明日学校で会おうね』


 それだけ送信するとスマホを持った手がベッドに落ち、神谷の意識もまた眠りに落ちて行った。

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