216.Binge
黒幕の能力『マップ上書き』によって移行した第二ステージは、雪山エリア上空4000メートル。
ひたすらに落下するだけの状況で、ミサキは黒幕と対峙する。
「死ぬ死ぬ死ぬ死ぬ!」
掴めるものは何もない。
足場もない。
当然パラシュートなどの装備も無く、ただ重力に従って落ちていくだけ。
前後左右に上下、全ての方向に何もなく、真っ青な空が広がっているだけだ。
辛うじて雪が降っているくらいで――しかし黒幕もまた落ちている。
高度はわずかにミサキが下。要するに先に地面とランデブーするのはミサキになる。
恐らく黒幕の狙いはミサキが落下死した瞬間にマップを切り替えて自分だけ助かるということだろうか。
派手な能力だからこそ、あまり融通の利くものではなさそうだ。もっと自由自在に使えるならミサキだけ地中に埋めると言った芸当も可能だろうから。
「なんとかしないと……」
こうしている間にもぐんぐん地面が迫ってきている。
あれだけ押していいたのに、たった一手で絶体絶命までひっくり返された。
押していた? いや、こうなると倒しきれなかったと言うべきだろう。
ここで決める。
ここで終わらせる。
その焦りが隙を生んだ。
「……こんな決着でいいのーっ!」
風の轟音が響く中、ミサキは必死に声を張り上げる。
「卑怯者! 逃げるな! ちゃんと戦えー!!」
思いつく限りの罵声を……というか、溜まりに溜まっていたフラストレーションを全力で吐き出す。
風が吹きすさぶ轟音の中、10メートル上にいる黒幕に聞こえているのかどうかはわからない。ただ、いまのミサキにできることはもうこれしかない。
文字通り手も足も出ない状況なのだ。なら、出すのは口しかない。
しかし黒幕は動かない。
冷や汗が流れる錯覚がする。当たり前だが、こんな子どもの喚き声で大の大人が……しかも確固たる意志を持って悪事を働くような相手がこんなことで揺らぐわけがない。これでダメならもう何も――いや。
まだだ。揺さぶるなら、まだ手はある。
「…………知ってるかな。わたしのグローブ」
黒幕の肩が動く。
ミサキの想像が正しいなら、きっと黒幕は陰からこの世界をずっと見張っていたはずだ。
ならばミサキのことだってよく知っているはず。
他ならぬマリスの天敵で、しかも『アストラル・アリーナ』では有名人だったのだから。
「《ブルー・ユニバース》。前に使ってたやつの改良品でね、蒼炎を放出して推進力を得ることができる」
これは完全にハッタリだ。
ある程度似た外見のものを使ってはいるが、これは間に合わせでしかない。
だから現在フランの手に渡っている《アズール・コスモス》のような能力はない。
しかし。
「これを使えば少しだけ飛べる。地面が近づいてきたら上書き前にあなたを倒しに行ってあげる」
そう言って余裕たっぷりに笑みを見せてやる。
内心では叫び出したいくらいに焦っていたが、おくびにも出さない。
それくらいの演技はできる。人の真似をするのは得意だから。
知っているはずだ、あの黒幕は。
あのグローブの存在を。そしてそのスキルも。
「…………!」
黒幕が動く。
その杖を振りかざすと、無数のブロックを空中に生み出し、ミサキへと飛ばしてきた。
焦ったのか雑な召喚だ。ブロックのうちひとつだけがミサキを狙うコース。数撃ちゃ当たるということだろう。
真上から迫りくるブロックを、ミサキは――あえて受ける。
少なくない衝撃でHPが削れたが背に腹は代えられない。そのままブロックにしがみつき、蜘蛛のごとく器用に上部へ回って足場にする。
同じ高さにはいくつものブロックが空中に並んでいる。それはまるで、飛び石のようだった。
「いま行くからね!」
足を踏み外せば全てが無駄になる状況で、しかしミサキは軽やかに跳ぶ。
ブロックを渡り、黒幕の真下まで近づくと、一気に跳び上がる。
「つっかまえた!」
胴体を脚で挟む形でしがみつく。
黒幕は必至に暴れ、杖で叩き落そうとするが、ミサキは両手を使って上手く防いでいく。
単純な近接戦闘能力ならミサキの方が数段上だ。
「あなたは無感情じゃない。すっごく人らしい。だから『もしかしたら』って思ったんだよね?」
本当に機械のように最適解を選べるのなら、あのまま放置しておけば良かったのだ。
だが差し込まれたひとさじの疑念。ミサキの言うことが本当なら、という虚構の可能性。
そしてその裏にいるフランの存在もそのハッタリに一役買っていたはずだ。あの錬金術士ならあるいは、と。
「さあ、早くマップを上書きして! さもないと一緒に死ぬだけだよ!」
真っ黒な両腕をホールドして、今度こそ抵抗できなくする。
ミサキの言葉に、びくりと硬直する黒幕。
この状況、そしてこの反応。間違いなく黒幕だけが助かる方法はそれしかない。
「わたしはいいよ、ここで相打ちになっても。最悪死んでも――何度でも絶対にあなたを捕まえる。今さら逃げ切れるなんて思わないでね!」
もう地面に激突するまで幾ばくもない。
選択の時間は限られている。
黒幕はしばし思考し、なんどか躊躇うような動作をした後、震える手で指を鳴らした。
瞬間、世界が切り替わる。
雪の空から、雪山の頂上へと。
「わっ」
組み合っていたはずが、距離が離れている。
ここは最近来たばかりの雪山の頂上。シオからの依頼のため摘みに来た《白雪草》が揺れている。
「なんとか助かった……」
思わず胸を撫で下ろそうとしたその安堵を、甲高い音が遮る。
優しく降る雪のその向こう、白に浮かび上がる黒ずくめの男は、確かな怒りを滲ませた動作で杖を突き立てていた。
同時に雪が止まる。熱した鉄板に冷や水をかけたような音がした。
悪い予感に背中を押され半ば反射的に空を仰ぐと、そこには。
「…………………………………………」
その光景に思考が停止する。
そこにあったのは、火山。
雪山の上空に、逆さまの火山が出現していた。
脈絡も現実味もまるでない、下手なコラージュのような光景――あんなものを召喚して何のつもりだというのか。
いや、そんなのは決まっている。
身体が震えている。
恐怖によるものではない。むしろそうであったならまだよかった。
大地も、空も、この一帯が軒並み振動している。
そして、その理由は明白だった。
「マップ切り替え……なんてするわけないよね……」
気づけば黒幕はすでに破壊不能の壁で形成した即席シェルターに引きこもっている。
そして、一瞬の静寂の後――重く低い爆発音が響き渡った。
雪山上空の火山、その火口が赤熱すると圧倒的な溶岩の奔流が直下に放出された。
まるでバケツをひっくり返したかのように、どろりと粘つく灼熱が落ちてくる。
これはもうプレイヤーの努力でどうにかできる攻撃ではない。
ゲームの中であろうと外であろうと、圧倒的な災害に対して、たったひとりの人間はなすすべもない。
まさに神のごとき力。
山頂に落ちた膨大な溶岩が、極寒の山を侵略しようとしていた。
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