153.団体戦・幕間-姉妹


 この『アストラル・アリーナ』というゲームには公式掲示板が存在する。

 SNSが普及した現代、そこまでにぎわっているわけではないのだが、その中に『お悩み相談』という簡素なタイトルのスレッドが建てられている。

 レス数は少ない。どこの誰とも知らぬ者にわざわざそんな場所で悩みを相談する者はいなかったし、時折荒らしのような脈絡のない書き込みをされるくらいだった。


 ただ。

 だからこそ、このスレッドに大真面目に悩みを書き込む者は、それほどに切羽詰まっていることがある。

 

 『ユグドラシル』のリーダー、ユスティア……リアルの真木花凛まきかりんがこのスレッドを建てたのは、そんな誰かのためだった。

 とはいえ前述のとおり書き込みは少なく、それでも悩みを持った人がいないのはいいことだと思っていた。


 しかし。

 今日も悩む誰かはいないだろうなと思いつつ、いつものように掲示板を巡回しようとした時だった。

 

「あれ……?」


 その日見つけたのは家庭の悩みについての書きこみ。

 その主がライラックだった。


 重い相談であることを鑑みて、以後のやりとりはメールに移行した。

 それからいくつかのやり取りを重ね、ゲーム内で会うこととなる。


 初対面の印象は――今も変わらないが、おどおどした子だなという感じだった。

 そして恐ろしく主体性が無い。自分で何か物事を決める段階になると平常心を無くす。だが、こうすると決めれば行動力のある子だった。そういった性質があの掲示板での相談に繋がったのかもしれない。

 打ち解けるために一緒にモンスターと戦うなどして感じたのは、そんなことだった。


 物心ついたころ、最初の記憶は大人たちが言い争う声だったそうだ。

 今から思えばあれは親権を争って……いや、押し付け合って、と言うのが正しい。少なくともライラックはそう感じていた。


 結局両親は蒸発。

 血の繋がらない今の父親……リコリスの父が引き取ることとなった。

 本当に、それが無ければどうなっていたのか――と話すライラックは震えていた。

 

 ただ、それが正しかったのかはわからない。

 父は表面上――家族が揃う場では優しい父だったが、姉リコリスのいないところではこれ以上ないほど冷淡だったからだ。

 必要最低限の話しかせず、ろくに目も合わせない。ほとんどいないかのように扱って時折仇でも見るかのような目で見られた。


 引き取ることも、育てることも、”理想の大人”の行動をなぞっているだけで心が伴っていない。

 ただ大人としてはそうするべきだからそうした。それだけだった。

 

 しかし彼を責めることも難しい。

 妻に浮気されて、逃げられて。

 そんな精神状態で妻とその浮気相手の間に生まれた子をまっとうに、衒いなく愛せるだろうか。

 それはひたすらに困難なことだ。


 しかしそんなことは娘――ライラック、紫紅莉羅しくれりらには関係がない。彼女はただ産まれただけなのだから。そしてそんな莉羅にわかるのは、もはや唯一となってしまった親が自分を疎んでいるということだけだった。


 だから残されたのは姉しかいなかった。

 最初は優しかった姉。そんなかすかな思い出しか縋れるものがなく、いつかまた心を開いてくれることを期待するしかなかった。


 姉はいつも私に冷たくした後、ひどく辛そうな顔をする。まるで自分を責めているような、そんな顔を。

 本当はそんな振る舞いをしたいわけではないのだと言っているような気がした。

 だから姉との関わりをできるだけ作ろうとして……しかしそれにも限界が来ようとしていた。

 精神の限界が。


 ユスティアはそんなライラックを放っては置けなかった。


「――――ライラックさん。私の仲間になってくれませんか?」


 そんな進言をされたライラックは何度かぱちぱちと瞬きを繰り返すと、慌てて身体の前で両手を振った。


「……そ、そんな、だめです。ライラなんて何の役にも立てないし、一緒にいる意味が……」

 

「意味ならあります。私はいま、幼馴染とギルドを作ろうとしているんです。でも設立には最低3人必要で……だからライラックさんが協力してくれると助かります」


 ……この子にはきっと道筋を作ってあげるべきだ。


 そしてできることなら一時的でもいい、居場所を作ってやらねば。

 こんな、今にも折れそうな子をこのままにはできない。


「ライラで……いいの?」 


「もちろんです!」


 きっとこれが正しい。

 そのはずだ。

 困っている誰かを助けるのは、間違っていない。


 そうしてピオネとライラックと共にギルド『ユグドラシル』を設立した。

 だんだんとライラックとも打ち解けてきて、笑顔を見せてくれることも増えてきた。

 そんな折、彼女が漏らしたのは姉もこのゲームを始めたらしいということだった。


「そう……なんですか」 


 どうにかしたかった。

 その場しのぎの逃げ場ではなく、改善を目指したかった。

 きっとそれが正しいことだと信じていたから。


 ピオネはもしかするとユスティアのしようとしていることに気づいていたかもしれない。でもこれが間違いだとは思えなかった。

 家族は……仲良くしていなければ、と。


 それからユスティアは密かに、そしてひたすらにライラックの姉を探した。

 ヒントはほぼなかったに等しい。だから捜索はしらみつぶしだった。

 ライラに姉の帰宅時刻などを聞こうかとも思ったがやめた。意外にと言えば失礼かもしれないが、イメージよりも聡い彼女はきっと察してしまうだろう。


 どれくらいの期間探したのか覚えてはいないが――果たしてその人物は見つかった。

 リコリス。


「あなた、こんなところで何を?」 

 

「……? 何って……なんだろう」


 彼女は森の中にいた。

 岩の上に座り、何をするでもなく木漏れ日を受けていた。

 いや、もっと正しく表現すれば――呆然としていた。


 自分がどうしているのかわからない。

 なぜここにいるのかもわからない。

 何がしたいのかもわからない。


 呆然自失とはこのことだと思った。


 妹のライラックと同じか、もしかするとそれ以上にひどいありさまだと思った。

 内外から削られ、摩耗し、風化する寸前――そんな印象を受けた。


 この子もまた、放っては置けなかった。

 そうしてユスティアはリコリスを勧誘し、彼女もまた流されるようにして受ける。

 何食わぬ顔でギルドハウスへと連れ帰り、ライラックと対面させた。


「……! お姉……ちゃん……?」 


「……………………っ」


 リコリスは妹と認識した瞬間顔色を変えてハウスを出ていこうとし、しかし何かに気づき困惑しつつも足を止めた。


 ……結局、リコリスはギルドメンバーとなった。


 その時リコリスがなにを考えていたのかはわからない。

 ただ、あの時出て行かなかったということは、彼女もまた妹に対して何かを抱いていたのだろう。

 決して良好な関係とは言えないが、出会った時よりは随分と人間らしくなったように思う。


 そうだ、とユスティアは拳を握りしめる。

 これはきっと正しいことだ。

 時間をかければいつか関係も改善されるはずだ。


 私は間違ってなんかいない、と。

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