205.もうひとつの戦争
増殖するマリスを全て食らい尽くし、海岸エリアに静寂がもたらされた。
強化されたマリシャスコートを纏ったままのミサキはぼんやりと立ち尽くし、その瞳は虚空を映している。
呆然自失――そんな状態のミサキは、突如として身体をくの字に折り曲げる。
「ぐっ……げほ、がぼっ!?」
開いた口から少なくない量の真っ黒な粘液がしたたり落ちる。
びちゃ、と足元の砂に広がり、染み込むように消えていく。
それを皮切りに全身に激痛が駆け巡る。ミサキの身体の表面には黒い筋が血管のように浮き上がり、張り巡らされていた。
「あぐ、う、うああああっ!」
耐えられないほどに増幅していく苦痛に絶叫を上げる。
そのままもんどりうって倒れ込み、意識が薄れるほどの激痛の嵐の中でとっさにマリシャスコートを解除する。
痛みに拍車がかかることは無くなったが、苦しいことに変わりはない。
やはりあれほどのマリスを取り込むのは無茶だった。
もともと負担が大きい戦闘衣なのだ。
砂浜に少しだけ身体を埋めながら、ミサキはなんとか立ち上がろうとする。
「だめ……ここで倒れたら……」
しかしどうしてもこの身体は言うことを聞いてくれない。
アバターを動かす精神力が根こそぎ失われている。
それでも諦められない。各地にマリスが大量発生している以上、その討伐に当たらなければならない。
だが、最後の力を振り絞り指先をわずかに動かした瞬間。
ぶつん、とすべてが暗転した。
次に目を開けた時、そこは現実世界だった。
窓から陽光が差し込み、鳥の声が耳をくすぐってくる。
ぼやけた視界でしばらく天井を見つめていると、現状を思い出した。
「…………ッ」
ぞく、と背筋を悪寒が這いまわる。
今はいつだ。
あれからどうなった。
そもそも自分は今どこに?
そんな疑問を抱きながら起き上がろうとすると、壮絶なめまいに襲われて再び横たわる。
この嗅ぎ慣れた香りは、自室のもの。
ローテーブルに、たくさんのゲーム機に、PC――よく見ると見覚えのある景色が周りに広がっていた。
身体が熱い。
頭が働かない。
これは熱が出ているな、とようやく自覚する。
頭の傍らに置かれているスマホの画面をつけると、あれからあくる日の朝らしいことが分かった。
今からだと完全に遅刻だ。そもそも登校できるような体調でもないので、今日は諦めなければいけないらしい。
腕を顔に乗せて視界を塞ぐ。
まただ。またこうなってしまった。
どうして倒れるまで戦わなければ状況を打開できないのか。
「どうしよう。どうしよう。どうしよう」
うわごとのように繰り返しながら、靄のかかった頭で思考を巡らせる。
マリスはあれからどうなったのだろう。
フランは無事だろうか。
他の被害はどれくらいになってしまっただろうか。
あそこで立ち上がれていれば――いや、立ち上がる余力を残せていれば。
圧し掛かる巨大な無力感に叫びだしたくなるのを必死に堪える。
そこで、枕元に置いてあるVRゴーグルの存在を思い出した。
汗に濡れた手で探り出し、掴んだそれを頭にかける。
「…………アクセス」
途端、鳴り響くエラー音とナレーション。
『コンディションの著しい低下によりブリッジングが拒否されました』
当然と言えば当然。
こんな体調で電脳へ飛べるわけがない。
それでも、あの世界に行けない――フランに会えないという事実に胸の奥底が抉られるような心地がする。
今の自分には何もできないということを思い知らされた。
「…………泣くもんか」
そう呟いた時だった。
「生きてる?」
部屋のドアを開いて現れたのはアカネだった。
ゲーム内ではカーマの名で活動している彼女は学校に行っていない。だから平日のこの時間でも寮にいたのだろう。
「なんとかね……」
「泣いてるのかと思ったわ」
「な、泣いたりなんてしないよ」
「ふーん。前はあんなにめそめそべそべそしてたのにねえ」
「言わないで」
昔の話だ。……と言っても半年程度前だが。
神谷だって泣きたくて泣いているわけではない。
それよりも知りたいのは現状だ。
アカネが差し出して来たスポドリを受け取って半分ほど一気に飲み干す。思ったより喉が渇いていたらしい。
いや、今はそんなことよりも。
「ね、どうなったの?」
「…………」
沈黙するアカネに、焦燥感が募る。
最後に数を確認した時は約30体ほどがあの世界の各地に出現していたあれらはいったいどうなったのか。
「教えてよ。いま、いったいどうなってるのか……」
「……はいはい、わかったわ」
焦るばかりのミサキに頷きを返し、アカネは語り始めた。
後ろ髪を引かれるとはこのことだった。
箒で空を飛ぶ錬金術士――フランは高速で後ろに流れていく景色を見もせずに、ひたすら近くのマリスがいる地点へと速度を上げていた。
フランが耳に入れている耳栓のようなアイテム《電糸回線》からは静かな鳴き声が聞こえてくる。
通話などの連絡手段が使えないフランが作り出した、疑似的な通信を可能にするアイテムだ。
「泣かないで、ラブリカ」
『泣いてないですぅ……!』
この世界の人間は涙を流せないから、確かに泣いていないと言えばそうなのかもしれないが、それは涙だけの話。
しゃくりあげる声は完全に泣き声のそれだ。
心中は察するに余りある。
また
さっきもそうだった。わざと自分を攻撃させることで即座にグランドスキルを発動可能にさせる――確かに素早く決着をつけることを目的にするなら理にかなっているし、効果的な戦法だとは思うが、マリスの力によって生じるリアルな激痛を完全に考慮の外に出していた。
「あの子、自分のことが大事だって言う割には自分の身よりも効率を取りがちなのよね」
『ぐすっ……ほんとそうですよね……どうしたらわかってくれるんでしょうか。そんなの、私たちが辛いのに』
「…………きっとあの子はわかってるんじゃないかしら。わかった上で、そうしてるんじゃないかしら」
傷つくミサキを見たフランたちが辛い思いをすることは、本人だってもうわかっている。
それをするべきではないということもわかっていて――しかし彼女はそれらを天秤にかけ、敵を倒すことを優先した。
確かに長い目で見ればそうするべきなのかもしれない。保身をとって敵を倒せませんでしたでは、結局のところ身近な人たちが脅かされる結果にも繋がりかねない。
そんなことはフランたちにもわかっている。
それでも、仮にそれが正しいことだとしても、受け入れることは難しい。
理解と納得は全く別の問題だ。
『……ひどい人ですね』
「そうね。でもそれがあの子の優しさなんだと思うわ」
『知ってますよそんなこと。相棒マウントとらないでくれます?』
「おっ、調子出てきたわね」
『余裕なのが腹立ちますねえ! ほら、そろそろ着きますよ』
草原エリアの小高い丘になっている場所。
そこにはスライムのようなマリスが三体ほど這っていた。
「あれならすぐに倒せそう……でも」
スライムマリスたちはホームタウンを目指しているようだ。
人口密度が多い場所には行かせたくない。さっさと始末してしまわねば、と考えていると、マリスたちの目前に着弾した弾丸が爆発したことで地面がめくれ上がり、壁となって進路を塞いだ。
「翡翠!」
「フランさん!? ミサキさんは……」
箒から飛び降りてきたフランに目を見開いた。
「……ちょっと今厄介なやつの相手しててね。あたしだけ他の掃討に当たってるの」
「そうですか。私はカーマちゃんと手分けして時間を稼いでいるところです」
全然手が足りないんですけどね。とわずかに悔しそうに笑う翡翠。
マリスには攻撃が当たらない。しかし向こうの攻撃を防ぐことや、侵攻を妨げることなら不可能ではない。
少しでも被害を抑えようとしてくれているのだ。
「心強いわ。ここの奴らはあたしが片付けちゃうから、翡翠は他のところに行ってくれる?」
「了解です!」
双銃をしまい走り去る翡翠。
その背中を見送りながら、フランはゆっくりと指輪をはめた左手を前にかざす。
(ミサキ。あなたはひとりじゃないのよ)
仲間がいる。いるのだ。
手を伸ばした先に、あなたを想う人が確かにいるのだと、離れた場所で戦っている彼女に語り掛ける。
聞こえずとも、いつかその想いが届くと信じて。
「
呟くその言葉は、親友への愛に満ちていた。
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