169.敗北の奥底で


 あれから一週間ほどたって、暦は二月になった。

 ランキングは一度リセットされ、ミサキの順位は三位から転落した。

 それぞれ個人にはランキングポイントというものが設定されており、月末で一定値まで落とされるという仕組みだ。

 そこから再び上げるためにはアリーナで開催される公式戦やイベントで結果を残したり、指名戦で格上のプレイヤーに勝つことが肝要だ。


 ミサキは高校生ということもありそこまで精力的に取り組めておらず、他のプレイヤーに出し抜かれた形となる。

 無論、またランクリセットまでに順位を上げて行けばいいだけの話なのだが。


 そして、そんなミサキは現在試合の真っ最中である。


「ちょこまかすんじゃねえ!」


 歓声が降り注ぐ中、ミサキは横薙ぎに振るわれたカトラスをジャンプでかわす。


 アリーナで開催されているトーナメント、その決勝戦。

 戦っているのはミサキとエルダだ。

 非公式のバトルも合わせればもう何十回目の対戦になるだろうか。

 

「当たったら死ぬんだって!」


 回避した勢いをそのまま乗せた飛び蹴りがエルダの胸部に直撃するものの、ノックバックするだけで倒れない。

 すかさずエルダは左手のワイルドハントを構え、何発もの人魂のような弾丸をばら撒いた。

 

「…………ふっ!」


 飛来する人魂の群れがミサキを捉えようとしたその直前、射線からその姿が掻き消えた。

 とてつもないSPD値による瞬発力が舞い上げた爆発的な砂塵だけがその場に残り、弾丸はそこを突き抜けていく。

 右か、左か。どっちに逃げた――と視線を彷徨わせるエルダだったが、すぐに悪寒が走る。

 

「下でーす」


「クソッ!」


 予感は現実となる。

 視線を下に落とすと、足元に笑うミサキが忍び寄っていた。

 小柄な身体を利用して目いっぱい体勢を低くしたのだ。


「せやあっ!」


 鋭く突き上げるアッパーカットがエルダの顎を捉えた。

 ダメージと共に後方へ吹っ飛び、何とか立ち上がろうとするも視界が揺らぎ、膝が立たない。

 絶体絶命の状況。そしてそれをダメ押しするかのようにミサキの全身から黄金の光が溢れ出す。


「それは……ッ!」


 グランドスキル。

 一瞬にして空へ広がった宇宙がミサキの右手に収束し、純白の光へと姿を変える。


「【ビッグバン】!」


 目もくらむ閃光がエルダへと炸裂する。

 輝く拳を携えたミサキへなすすべは無く、勝敗は決した。

 

 ファンファーレが鳴り響く。

 ゆっくりと起き上がったエルダは、「わーいわーい!」と観客席へ手を振るミサキを見つめる。

 これで3勝45敗。誰がどう見ても負け越している。

 今までだって勝つのが難しい相手だったが、グランドスキル習得者が相手では――――


(アタシは、こいつに……)


「どうしたの?」


 邪気のない瞳が覗き込んでいた。

 少し面食らいながら慌てて立ち上がる。


「……お前、ほんと強くなったな」


「あは、でしょー!」


 何がそんなに嬉しいのか得意げに胸を張る。

 そのあと、ミサキはいつものように手を差し伸べた。


「楽しかった。またやろうね」


 ミサキは試合後、いつだってこう言う。

 勝った時も、負けた時も。

 少なくともエルダから見たミサキはいつもそうしている。

 なんども戦いを重ねてきて、彼女はずっと変わらない。


 しかしエルダは――その手を取らなかった。


「悪い、ちょっと疲れたわ。……またな」


「え? う、うん。また」


 少し俯くその背中を、ミサキはずっと見つめていた。





 薄暗くじめじめした岩のカーペットに、ぴちょんと水滴が落ちる。

 そこにできた水たまりを踏みしめてミサキは奥へと進む。


「たまに人遣いが荒いんだよなあ」


 ミサキは不満そうに唇を尖らせる。

 この辺鄙な場所を訪れたのは、相棒であるフランに頼まれたからだ。

 なんでも調合に使う素材のストックが無くなったとか何とかで、今は手が離せないからひとっ走り行ってきてほしいとのことだった。


『ミサキなら足も速いからすぐに済むでしょう。それにあそこはちょっと……めんどくさいから』 


 確かに暇と言えば暇だが微妙に釈然としない。

 ただ彼女が面倒と言った理由もよくわかるので素直に頷いておいた。


 というのも、この洞窟は強力な雑魚モンスターが結構な頻度で無限湧きし続けるのだ。

 レベル上げには持って来いだが、ミサキを始めとした初期から続けているプレイヤーたちは実質レベルカンスト済みなので来る理由は薄い。

 強いて言うなら腕試し、それか戦闘の練習あたりだろうか。


「……? なんか変」


 振り返っても入り口は見えない。

 つまり、すでにかなり奥まった場所まで来ているということだ。

 だというのに、いまだ一匹たりともエンカウントしない。


 何度かここに来たことはあるが、それはもうひっきりなしにモンスターが襲い掛かってきたものだ。

 倒しても倒しても数秒ほどすると次の集団がやってくる。当時、対多数戦が苦手なミサキは半泣きになりながら戦って、そして死んだ。今ならなんとか切り抜けることができるだろうが。


「まあいいや、今のうちにさっさと持って帰ろう。えっとなんだっけ……」


 特にレアな素材ではないらしいが、この洞窟ではまとまった数が手に入りやすいとのこと。

 メモウィンドウを出して指示内容を確認する


「《源水草》が30に《火丸石》が20……うえー、まだまだある……多くない?」


 脱力するが、今から帰るわけにもいかない。

 とりあえず頑張るぞ! と拳を上げて自分を鼓舞しようとした瞬間、


「ん? なんだろ今の音」


 クルエドロップの【地獄耳】というわけではないが、なにか聞こえた。

 唸るような鳴き声に時折響くダメージSE。 誰かが戦っているのだろうか。

 何となく気になって音の源へと走る。いくつかの分かれ道を通り、そしてその先で細い道が開けているのが見えた。


「わっ……とと」


 道の先は崖になっていた。壁に手をひっかけて慌てて止まる。

 見下ろすとだだっ広い円形の広場のようになっていて、まるで天然の(ゲームのマップにこんな表現を使うのもおかしな話だが)アリーナのようだと感じた。


 その広場では大量のモンスターがひしめき合っている。数えようとしても諦めてしまうほどの数だ。

 そしてその中心にいるのはミサキが知っているプレイヤーだった。


「はっ! だあっ!」


 カトラスでヴェノムスライムを斬り払い、銃で竜戦士の眉間を撃ち抜いているのはエルダだ。

 歯を食いしばり、鬼気迫る表情で迫りくる群れを撃退し続けている。

 その足元には見覚えのある黒ずんだ紫の布袋が置かれていて、開いた口から同じ色の靄が漂っていた。


 ミサキには見覚えがある。フランが作ったアイテムのひとつ、《誘牙香》だ。

 一定範囲のモンスターを強烈に引き寄せる効果がある。おそらくはミサキが一度もモンスターに出会わなかった理由があれだ。

 きっと大量のモンスターを相手に、いわゆる修行をしているのだ。


「でも、あんなの……」

 

 エルダは強い。 

 モンスターもみるみるうちに蹴散らしていく。

 しかし数は減らない。それだけ湧くスピードが速いのだ。

 見ている間にも何度も攻撃を喰らっている。あれだけの数を相手にすれば捌ききれないのも当然だ。


 あのままだと確実に死ぬ。

 加勢しなければと足を踏み出そうとした瞬間、


「なんで勝てない……! なんでアタシはあいつに……ミサキに勝てないんだ……!」


 もはや悲痛とも呼べる叫びに、ミサキの胸はぎくりと脈打つ。

 エルダは自分を戒めるようにして戦っていた。

 それはあまりに痛ましく、見ていられない戦いだった。


(……もし、今わたしが助けに入ったら……)


 きっと彼女は深く傷ついてしまうだろう。

 そう思うと、足が少しずつ後ろに下がる。

 一歩、二歩後ずさり、ついには背を向ける。


「…………楽しかったのはわたしだけだったのかな」


 来た道を走って戻る。

 脳裏には、戦うエルダの表情が焼き付いたように離れない。


 ゲームは楽しいものだとミサキは思っている。

 例え負けたとしても、悔しいのと同時に楽しいという気持ちも得ることができる。

 だが、それは誰にでも当てはまることではない。


 特に、同じ相手に何度も負けている場合は。

 悔しくて、苦しくて、それでも勝つことを諦められない。

 それがどれだけ辛いことなのか、ミサキにはまだわからなかった。


「わたし、ひどいやつだ」


 ただ、ライバルがあんな思いをしていることを知ったその心が、深く深く傷ついていた。

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