65.とりあえずの一歩から
姫野と放課後を過ごした次の日、土曜日。
ミサキは久々に――といっても二日空けただけだが――『アストラル・アリーナ』の世界に降り立っていた。
「おじゃまー」
ぞんざいな挨拶と共にアトリエのドアをくぐる。
見たところ家主はいないようだった。
「あれ。出かけてるのかな……まあいっか」
いないなら帰りを待とうと思い、指を鳴らしてスマホを具現化し、いつもの定位置であるお気に入りのソファに座って、
「むぎゅ」
「うわー!」
大きなクッションのようなものが尻にあたり、体重をかける寸前で慌てて腰を上げる。反射的に立ち上がったが、とっさに反応できなければ押し潰していたかもしれない。
いや、ただのクッションだったらそこまで驚くことはない。どうしてここまで反応したかというと、そのクッションの感触が人間の身体によく似ていたからだ。
真っ黒なローブにくるまり、その上には三角帽がちょこんと乗っかっている。奇怪なオブジェか、おはぎもどきといった様相を呈していた。
「え……と……ふ、フラン? フランさーん? おーい」
おそるおそる呼びかけてみる。するとそれはがばりと起き上がると、それに伴いローブが広がり、中から輝くような金髪が零れ落ちた。
前髪の隙間からは青空の色をした瞳がのぞき、ミサキをぎろりと睨みつけている。
「…………今まで何してたの」
「おとといは風邪でダウン、昨日は、その……用事」
そういえばフランには連絡していなかった。
というか連絡手段がない。何故かチャットをはじめとした連絡ツールが一切使えない彼女とは、このゲームで直接会う以外彼コミュニケーションをとる方法がないのだ。
「心配だったのよ。一応ラブリカがここを訪ねて来て、あなたが風邪ひいてるってことだけは聞いたんだけど…………」
「…………フラン、でも」
「わかってる。あなたがここに来るかどうかをあたしに伝えることはできないって。でも……不安だったの。あんなことの後だったから…………」
いつもそんな想いで待っていたのだろうか。
来るともわからないミサキを、毎日。
いつも行く側だったからわからなかった。現代っ子のミサキはスマホの無い生活は考えられない。だから連絡のできない待ち合わせがどういうものなのか実感は湧かない。
しかしフランの孤独を作ってしまったことと、それだけ会いたいと思ってくれていたことはわかった。
「えー! フランちゃんわたしのことそんなに心配してくれてたの? 嬉しいなあ、ごめんねもうひとりにしないからねぜったい」
「うっっっっざ! なんなのいったい病み上がりテンション! あーもうべたべたひっつくのやめなさいってば、狭いのよソファーが!」
フランの寝転がるソファーに突撃し、波打つ金髪の海に顔をうずめひたすらぐりぐりすんすんする。フランはしばらく嫌がっていたがすぐに諦めてされるがままになる。
「…………ただいま」
「おかえり。……ああ、いちど《ミッシング・フレーム》貸してくれる?」
「え、なんで?」
《ミッシング・フレーム》。
神谷が装備している灰色のマフラーであり、普通のプレイヤーでは太刀打ちできない無敵のモンスター、マリスに対抗できる唯一のアイテムだ。
先日マリスと化したラブリカとの戦いで活躍し、これからも使っていくものと思っていたのだが……。
「…………ちょっと改良しようと思ってね。思ってたより使用者……あなたへの負担が大きかったみたいだったから。まだわからないことも多いけどできる限りのことはしたいのよ。風邪だって前の戦いのせいでしょう?」
「まあ…………そうだね、わかった」
ミサキは素直に頷き、《ミッシング・フレーム》の装備状態を解除しフランに渡す。
いつ出現するかもわからないマリスに対抗できるのがこれしかないゆえに手放す心もとなさはあったが、戦うたびにダウンしていてはそれこそ対処が遅れてしまう。
だから今はフランを信じて託すことにした。
「ん、確かに。できる限り早めに仕上げるから、その……ちゃんとこのアトリエに通いなさいよね」
「おっけー。…………なんか今日可愛いね?」
「爆破するわよ」
照れ隠しなのはわかり切っていた。
次の日。昼休み。
いつも一緒に食べている園田は何やら用事があるとかで一時寮に戻り、光空は部活のミーティング。
よって今日はひとりである。
(いや、別に仲いい子が他にいないわけじゃないし。すでにある輪の中に割って入るのが申し訳ないだけだし…………)
内心でぶつくさ誰にでもなく言い訳をしつつも、それが言い訳以上のものではないことを自覚する。
結局尻込みしているだけなのだ。相手が一人なら、もしくは向こうから話しかけてくれれば問題なく話せるのだが、グループに自分から入っていくのはこの上なく苦手だった。
小さく嘆息する。
今日はぼっち飯かあ、と観念して中庭へ足を向ける。
すると、
「…………ん?」
人気がない中庭に近づくにつれ周囲の人は減っていき、それに伴い足音の数も減っていき――中庭へとつながる校舎裏へと差し掛かったあたりで足音は二人分になり、そのまま減らなくなった。
ぱたぱたと、自分以外の足音が聞こえる。
神谷が止まるとその足音も止まる。神谷が歩き出すとまた足音がする。
なんだなんだホラー展開か――などと。
そんなわけはないのだが。
「桃香」
「ありゃ。気づいてました?」
「隠す気無いでしょ、もう」
怠そうに振り向くとそこにはツインテ後輩、姫野桃香である。
後ろで手を組みにんまりと笑っている。
「えへへ。おひとり様ですかあ?」
「…………そうだよ。じゃあわたしは行くので」
「待って待って、ちょっと待ってくださいよう。なんか冷たくないですか? おとといはあんなに優しくしてくれたのにー」
「いやそもそもなんで着いて来てるの。友達いないの?」
「なんででしょうねー。なんでだと思います?」
ものすごいウザ絡みだった。
元気になったようで何よりだが、それはそれとしてめんどくさゲージが一気に振り切れてしまった神谷は背を向ける。
「では」
「わー! ごめんなさい行かないでー!」
後ろから首元に抱き着かれ、ぐえ、という声が漏れる。
突然の温かさに息が詰まりそうになる。
「…………いやー最初は友達と食べようと思ってたんですけどね。教室の窓から先輩がふらふらしてるのが見えたもので」
そんなに邪険にしないでくださいよ。
か細い声が後ろ頭を伝って響く。
別に神谷だってそうしたくてしているわけではない。
あの日姫野と別れた後感じた無力感だとか、その後の経過がどうなったのか聞きたかったり聞きたくなかったりだとか、そういう気まずさから何となく避けていただけだ。
だがそれもまた自分本位。
姫野の気持ちを考えていなかった。
「わかったわかった。ごめんね」
「んふふ、素直なのはいいことです。寂しがり屋なんだから素直に甘えることをお勧めしますよ」
「わたしが? さみしがり? あは、そんなわけ――――」
「園田先輩から聞きましたけど?」
「みどりぃ…………!」
あとで問い詰めることを決心し――いや、あの子はそれも喜びそうだ、と翻す。
曰く、
『ちっちゃい子に叱られるの、なんか……いいですね』
とのこと。無敵か。
「そっか。部活、行くことにしたんだ」
寒空の下、中庭。
普段から人気のないこの場所は、真冬においてさらに誰も寄り付かない。
そこのベンチで二人は身を寄せ合うように昼食を摂っていた。
神谷は自作の弁当、姫野はレジ袋いっぱいの菓子パンである。思ったより食べるタイプらしい。
「はい!」
心からうれしそうに頷く姫野を見て、神谷は内心で胸を撫で下ろす。
――――上手くいったならよかった。
それだけが気になっていた。確かめるのが怖くなるくらいには。
「皆さん優しくしてくれて、自分たちに原因があったんじゃないかって言ってて……逆に申し訳なくなっちゃいました。あはは」
「ふーん……うう、さっむ」
ぴゅうと吹いた風でたやすく神谷は縮こまる。
「ううう……この寒さ、時は12月…………」
「なんで時代劇みたいな言い方を」
冬の空は雲もなく真っ青だが、太陽の光はどこか弱々しい。
隣の姫野はさほど寒がってはいないようだ。隣り合う彼女の身体は温かく、体温の高さがうかがえる。
「そんなに寒いならなんでこんなところ来たんですか?」
「静かだから好きなんだよ。あー桃香あったかい…………」
「そういえばもうすぐクリスマスですね。先輩は私と過ごすんですか?」
「いや前提。…………どうなるかなあ」
そういえばもうすぐそんな時期だ。
最近はいろいろとあってすっかり抜け落ちていた。
去年のクリスマスはどうしていただろうか、と思い返すと暗澹たる気持ちになった。
誰との関わりも断とうとしていた当時の神谷は、光空からの誘いを避けるために夜の町へとひとりで繰り出し、ふらふらと時間を潰していたところを、血相を変えて探しに来た寮長の北条に捕まりこっぴどく叱られたのだった。
自分に関わろうとしてくれている唯一の存在だった幼馴染の光空を強く拒絶しきることもできず、さりとて受け入れることもできず、目を背けた結果がその情けない顛末だった。
「なんだか絶望的な顔をしてますけど…………」
「いやなんでも……どうなんだろうね、たぶんみんな一緒に過ごしてくれるんじゃないかな」
その好意はもう疑わない。
園田みどり。光空陽菜。アカネ。
彼女たち三人が自分のことを本当に大切にしてくれていることは痛いほどわかっているから。
「羨ましい限りですねー」
「そういう桃香はどうなの? 一緒に過ごす相手とかいたりしないの」
「いると思……ごほん、いるとしたらどう思いますう?」
これ以上ないというほどの猫なで声で瞳を潤ませこちらを見つめてくる姫野。
そういえばこういう子だったな、と思いつつそれになれてしまったことを自覚する。
「うーん、いやかも」
「え。な、なんでですか?」
「だってわたしと遊んでくれる時間減っちゃいそうだし」
「……………………はあ。そういうことあんまり言わない方がいいですよ」
深い深い溜息をついた姫野はこれ以上ないほどジト目である。
神谷はよくわからないなりにとりあえず笑顔を返してみるも、輪をかけて目の前の後輩がげんなりし始めたので、これはどうやら間違いらしいぞと気づく。
「まあいいですけどね。そんなに遊びたいなら付き合いますよ。またゲーセンでも、
「そう言われるのは癪だけど! ……うん、でもありがとう。嬉しい」
いろいろあったがなんだかんだで悪くないところに着地できたのではないかと神谷は思う。
この後輩との関係はこれから先も続きそうで――間違いなく、それを嬉しく感じてしまうのだった。
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