160.天仰ぐエタンセル


 クラスで孤立した。

 最初は意味が分からなかった。

 ひとりになるというのがボクにとっては初めてだったし、そもそもその状況自体何が招いたのかわからなかったから。

 

 でもボクはめげなかった。

 きっと分かり合える。きっとまた仲良くなれる。

 ちゃんと話せば絶対に――当時は愚直にそう思っていた。


 きっとここがボクの人生で初めての挫折だったのだろう。

 

 そもそもステージに上がることさえ許されなかった。

 みんな、ボクが近づくと気持ち悪いものみたいにボクを見て、どこかに行ってしまう。

 誰一人ボクと分かり合おうなんて思っていなかったんだとその時わかった。人と人の距離は腕二本分で、お互いがまっすぐに伸ばし合わないと届かない――なんて俗話を今のボクなら知ったような口で聞ける。


 でも当時のボクは本当に何もわかっていなかったから、衝撃に対して心の準備をすることもできなかった。

 悲しみに暮れ、ひとりで下校することしかできなかった。


 誰にも相談できない。こんなこと、親にだって言えない。

 こらえても滲んでくる涙を拭っていると、後ろから足音が聞こえた。

 そのあたりになるとボクもすっかり他人に対して臆病になっていて、振り返ることなく走って逃げた。

 すると背中でがちゃがちゃ音を立てるランドセルに混じって足音が聞こえ、


『まって、まってくださーーい!』


 聞き覚えのある声だった。

 思わず足を止めるとつんのめって倒れそうになる。

 振り返るとそこには息ひとつ切らしていない真木花凛まきかりんが走って来ていた。

 そう、ユシー……ユスティアだ。


 当時のあの子はおかっぱ頭で、きゅっと唇を引き結んで、真面目という言葉が人間として生まれてきたみたいな子だった。

 一応幼馴染だったけど、クラスが離れたことをきっかけに会うことも話すことも自然に減っていた。だから彼女が声をかけてきたことには戸惑った。


『はあっ、はあっ……ど、どうしたの?』


『林檎さんが……泣いてたから』


 私で良かったら話してみてくれませんか、と。

 救われたような心地がした。ひとりじゃないんだ、と思えた。

 ボクの話を親身に聞いて、あなたは間違っていないと言ってくれて嬉しかった。


 それからボクらはずっと一緒だった。

 漫画みたいに状況が解決するわけじゃなかったけど……それについてはもうどうしようもなかったけど。

 でも、何とか前を向いて歩けるようにはなった。


 花凛は――ユシーは昔からそんな感じだった。

 今はちょっと暴走気味だけど、困っている誰かを絶対に助けてくれる。

 そんな彼女はきっと正しい。『ユグドラシル』は困っている誰かを助けるために設立されたギルドだけど、本当は――ユシーに助けられた子たちが集まったみたいなものだ。

 まるで、照りつける陽射しから守ってくれる大樹へ寄り添うように。


 だからボクはそんなユシーを信じる。

 でも、もし。いつか彼女が自分の道に迷ったときがあれば、ボクはこう言うつもりだ。

 君は間違っていないって。




 放ったスキルの着弾によって大爆発が巻き起こり、周囲に砂塵が広がっていく。

 もうもうと上がる土煙を見つめるフランの身体から虹色の光が霧散する。《ヘルメス・トリスメギストス》の効果が終了した合図だ。

  

「……………………」


 投擲された後、ひとりでに戻って来た杖をキャッチする。

 表面のあちこちにヒビが入っていて、もうすぐ壊れてしまうだろう。

 そんな使い込まれた相棒を眺め、また作り直しかな、と呟いた瞬間だった。


 ゴッ! と耳をつんざく轟音と共に、いくつもの竜巻が出現した。

 

「…………ボクは……負けない」


 地の底から響くような低い声。

 明るく、屈託のないいつものピオネからは考えられない、情念の籠った声色。

 ふらつきながらも立ち上がった彼女の籠手には緑色の輝きを放つアンプルが装填されている。


 荒れ狂う竜巻は五つ。

 それが不規則な軌道で地上を駆けまわる。


「ユシーが正しいって言ったんだ。だったらそれをボクが勝って証明しなきゃいけないんだ!」


 本当のところ。

 ピオネはユスティアが何においても正しいとは思っていない。

 だが、助けてもらったあの時からずっと、何があろうとユスティアの味方をすると、そう決めていただけだ。


 本当に正しいかそうでないかは関係ない。

 ただ寄り添うだけ。それだけだった。 


「こんな竜巻くらい……!」


 荒れ狂う暴風の余波の中、フランは爆弾を取り出し投擲する。

 しかし風にあおられた爆弾はあらぬ方向へと飛んでいき、高空へ舞い上げられたかと思うと何もない場所で爆発した。

 フランの基本戦法はアイテムの投擲。しかしこの風の中では狙った場所へまともに届かせるのは不可能だ。 

 そうでなくても、その場に立っているだけでも精一杯。気を抜けば自分が飛ばされてしまう。


「あははっ! わかったでしょ、これがボクの錬金術対策だよ! 【風式・サンジェルマン】!」


 その声に反応し、ふらふらと動き回っていた竜巻が一斉にフランを目指す。

 五方向から迫りくる風の渦。逃れようとするも風圧でまともに動けない。


「さあ使いなよ、あの力を! そしてユシーが正しいって証明しろ!」


「だから……使わないって……言ってるでしょう……!」


「だったらこれで終わりだ!」


 ついに竜巻がフランを飲み込む。

 渦巻く暴風に捕らわれ、HPが削られていく。

 逃れるどころか抵抗のひとつすら不可能。


「なに……が……」


 何が正しいよ。

 その声は風に紛れ、誰にも届くことはない。

 しかしフラン自身の内に情念の火燃え盛った。


 自分たちのリーダーが正しいんだと叫ぶその揺らいだ瞳を見ればわかる。

 ピオネは本当にその正しさを信じているわけではないことを。

 だというのに。


「ふざけてんじゃないわよ!」 


 竜巻に囚われながら懐から取り出したのはブドウのように複数の粒が連なった新たな爆弾。

 それをピオネもその目ではっきりと見た。


「そんなの、投げられやしないよ!」


「――――誰が投げるなんて言ったのよ」


 導火線に火が灯る。

 その声は聞こえなかったが、ピオネにはフランが何をしようとしているか理解できた。

 

「……な、ばか、そんなことしたら……!」


「知ってる」


 ちか、と一瞬の閃光が走り。

 次の瞬間、粒のひとつひとつが連鎖爆発を起こし、巨大な爆炎を生み出した。

 

「うわあああっ!」


 とてつもない規模の爆発。

 フランが抱えたまま起爆させたそのアイテムの名は《トラウブ・エクサ》。

 連続で爆発し、その回数によって範囲が拡大する広範囲殲滅爆弾だ。


 その圧倒的な破壊力によって竜巻はまとめて吹き飛ばされた。

 しかし、当の錬金術士は。


「は……はは! でもこれで僕の勝――――」


「――――げほ、誰が勝ったって……?」


 爆炎の中からはい出るように金髪が覗く。

 自慢の三角帽もローブもあちこち焼けこげ、肌が露出しているが、フランは生きている。

 

「そんな……ありえない」


「ありえない?」


 はっ、と錬金術士は鼻で笑う。

 何を今さら、と。


「その”ありえない”を現実にするのが錬金術でしょう、ピオネ!」


 息も絶え絶え、立っているのがやっとの状態。

 しかしフランは勝ち誇ったようにそう言い放った。


「……あなたがユスティアにどういう想いを抱いてるのなんて知らない。でも、何もかも肯定するのは違うでしょう」


「ボクたちのことを知らないなら黙っててよ!」


 初めての激昂。

 それは、それだけは否定させない。何があってもユスティアは正しいのだと、そうでなければあの時助けられた自分さえも否定されそうに思えてしまうから。


 しかしフランは怯むことなくピオネを見据える。


「間違ったことしてたら、それは違うでしょって言ってあげる。それが友達でしょう」


 静かに取り出したのは深紅の宝玉。

 以前使ったことのある奥の手、《人口太陽》によく似ている。違うのは形状だ。真球だった前のモデルに比べ、全体に突起が生えている。

 フランはそれをピオネへ向かって構える。


「さあ、終わりにしましょう――《指向型人口太陽》」


 赤く、白く、青く。熱が上昇するほどにその光は変色する。

 戦場全域を焼け野原にしてしまうほどのエネルギーが一点へ収束していく。


 その臨界まで高まった炎の星が熱線となって放たれた。

 あたりを照らし、宙をまっすぐに駆け、ピオネのもとへと一直線に突き進む。

 その光景を目の当たりにし、籠手に新しいアンプルを装填しようとしたが、手から力が抜けてだらんと垂らされる。

 

「ああ……やっぱり駄目だったか」


 うなだれ、諦めたようにそう呟いたピオネを、容赦なく青い熱線が飲み込んだ。

 





 決着のあと。

 フランは敗者であるピオネへと歩み寄る。


「なんで使わないんだよ。そうしたらボクは心の底からユシーを信じられたのに…………」


 拗ねたように横を向き、吐き捨てる。

 そんな様子にフランは思わずため息をついた。

 やっぱり信じ切れていなかったのか、と。


「……あのね、人間なんだから間違うことだってあるでしょう。常に、永遠に正しくあり続けるなんて無理に決まってる」


「わかってるよそんなこと。……でも、信じたかったんだよ」


 あの時見たきらめきに手を伸ばし続けた。

 それだけは変わらないと、変わらないものでありますようにと祈り続けた。

 事実、今までずっと信じられてきた。


 だが、今回だけは違った。

 ミサキとフランが誰かのために力を使っていることなど、本当はわかっていたはずだったのに。

 動画で見た限りでも、彼女たちは謎のモンスターから大衆を守っていた。


 それでも、疑わしくても信じ続ける。

 それが友達だと。それこそが正しいことだと思っていた。


「……次が最後よ。あたしたちが正しいかどうか……ミサキの戦いを見てればわかるから」


 そう言い残し、錬金術士フランは転送された。

 後には呆然と空を見上げる錬金術師ピオネだけが残された。


「…………ねえ、ユシー。今の君の目には、どんなふうにボクが映っているのかな」


 控室に帰るまで、あともう少しだけ時間が必要だった。

 

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