108.クリスマス・ペンタグラム


 クリスマスパーティと言ってもささやかなものだ。

 いつもの四人で集まって、飾りつけした部屋で神谷作のクリスマス(っぽい)料理を食べて、プレゼント交換。


「…………これ、なに? アカネちゃんのだよね?」


 神谷の幼馴染の光空陽菜みそらひなは、薄赤いプレゼント用の包装から取り出したそれをためつすがめつしながら首を傾げている。

 その手に持っているのは謎のぬいぐるみ。おそらくぬいぐるみ。一応人型ではあるのだが、目や腕や脚などのパーツが全て左右非対称のサイズで、色もバラバラ。あちこちツギハギで微妙にグロテスクなのに絶妙なバランスで成り立っている、見ようによってはよくできている様に見えなくもない。


「チッ。沙月こいつに渡るように仕向けたのに……ねえ陽菜、良ければ交換して上げてくれない? 幼馴染どうし仲良くしなさいよ」


「ええ……」


「いやどういう理屈なのアカネ。ていうか舌打ちした今?」


「してないわ」


 つん、と横を向くアカネにジト目を向ける。

 ただよくよく見ると悪くない気がする。こういうデザインは、神谷としては嫌いではない。


「まあいいや。陽菜、それパス。こっちあげるよ」


「えっ」


 園田がか細い声を上げる。

 神谷が現在手に持っているのは――プレゼント交換で回ってきたのは淡い緑色の包装。園田が用意したものだ。

 それを交換するということはつまり、園田にとっては自分の用意したプレゼントが愛しの神谷の手から離れるということになる。

 もちろんこれはプレゼント交換なので思い通りになるということはないのだが、一度意中の相手に渡った自分のプレゼントが別の人に渡されるというのは、ラーメン屋に並んでいる時、あと一人で自分の番というところでスープが切れてしまう絶望感にも似ている。


 かわいそうになるくらいにぷるぷる震え始める園田を見て、神谷たち三人は顔を突き合わせる。


(ちょっとアカネ! なに余計なこと言ってくれてんの!?)


(ぬかったわ…………)


(まあまあ、交換しなければいいわけだからさ。だよね沙月)


 頷き合う。意見は一致した。

 神谷は言うまでも無く、光空は誰にでも優しい。アカネは神谷と大人以外には基本的に思いやりを欠かさない人間だ。

 

「みどり、ほら。交換やめるよ。いやー、みどりの用意してくれたプレゼント楽しみだなーあはは」


「…………なんか棒読みじゃありません?」


「……そんなことないっすよ」


 開けてもいいよね、と断って包装を開く。

 手に取った時から感触でわかってはいたのだが、手のひらサイズのケースだ。表面はなめらかなビロードにも似た感触で、宝箱のように開くことができそうだ。

 などと迂遠な表現をしたが、いわゆる…………


「指輪だ……」


 開けてみると予想通り指輪だった。

 リングは銀色で、小さな宝石が付いている。まさかダイヤじゃないよね、と汗がだらだら流れてくる。


「えへへ。きっと似合うと思って……私とお揃いですよ」


 いつの間にか園田の薬指に嵌まっていた指輪に倣っておそるおそる試してみると、同じく薬指にジャストフィットだった。

 いつの間にサイズ計ったのとか、何万いくらかけたのかとか、そもそも神谷以外にこのプレゼントが渡らなかったらどうするつもりだったのかとか突っ込みどころが多すぎた。

 だが、誰も一切言葉を発することができなかった。


 怖すぎたのだ。


(重いわみどり……) 


(重いよ園田ちゃん……)


「えへ、ありがと。大事にするよ」


 なんだかんだ受け入れてしまう神谷も大概だ。

 笑いあう園田と神谷をはたから見るアカネと光空は終始ドン引きしていた。






 なんだかんだありつつもパーティはお開きになった。

 後片付けを済ませ、後することと言えばすごろくをモチーフにしたパーティゲームで深夜まで遊ぶくらいのものである。


 だが、神谷にはやるべきことがあった。

 料理の後片付けをして、その後。現在目の前には寮長室と書かれているプレートが掲げられた扉がある。

 その扉を控えめに叩く。


「入っていいぞー」


 一歩踏み入ると、畳とアルコールの匂いがした。


「うわっ……お酒臭いですよ」


「開口一番臭いとは何だ臭いとは」


 ちゃぶ台の前にだらんと足を投げ出しで座り、するめを齧りながらビールを呑んでいるのは北条優莉ほうじょうゆり。美人なのにいつも着古したジャージの上に長い黒髪を適当にまとめているだけなので、寮生からはいつももったいないと口々に言われている。

 今日は珍しく酔いが進んでいるところを見ると、詰まっていた仕事を終えたのだろう。


 沓脱でスリッパを脱ぎ、少し高くなっている畳敷きの床に上がる。

 北条がしばしば寮を空けることもあってこの寮長室に来たのは久しぶりだ。思ったより広く、小さめの台所まで完備されている。基本的にここで寝泊まりしているから最低限の生活はできるようになっているらしい。


「……で、どうしたんだ。クリパ中だと思ったんだが」


「ちょっと抜けてきました。まずこれ、ローストチキンです。レンジありましたよね? あっためて食べてください」


「なんか来た時から皿持ってるなとは思ってたが、私のぶんか」


 皿の上に盛り付けられてラップまでされたカットローストチキンがちゃぶ台に置かれる。

 冷めてはいるが、照り焼きの光沢は保たれたままで食欲をそそる。


「あとこれ、クリスマスプレゼントです。いつもありがとうございますということで」


 背中に隠していた、ピンクのリボンで巻かれた白いケースを差し出す。

 だが北条はぽかんと口を開けたままで固まっている。基本的に余裕のある表情を崩さない北条としては珍しい。


「…………」


「え。お気に召しませんでしたか」


「あ、ああ。いや、そうじゃなくてだな……その、驚いたというか」


 今さっきまでは酔いで頭がふらふら揺れていたのに、今のやり取りで完全に覚めたらしい。

 瞬きの数が多くなっていて、プレゼントと神谷の顔を交互に見やっている。


「デパコスのクレンジングオイルです。スキンケアに使ってください」


「お前こういうの買ったりするんだな……」


「失礼ですねー、女の子ですよ一応。……まあ、自分用のよりいくらか奮発はしましたけど」


 ふたりの関係はただの寮生と寮長というわけではない。

 神谷は高校の入学式の日に唯一の家族だったカガミが失踪しているのだが、そのカガミがいなくなった後実質的な親代わりとなったのがこの北条だ。


 北条はカガミの親友で、この学校に入学する前から神谷を預けるという相談がなされていた。失踪に関して北条が加担したというわけではない。わかっていて、なお止められなかったというだけの話で……未だにそのことへの後悔を抱いていることは誰にも口にしていない。当事者である神谷にさえも。


 親が子を捨てるなどあってはならないことだ。

 例えどのような理由があったとしても。


 そう言って北条はカガミを叱責したが、意志は固く、翻されることはなかった。

 そして――カガミとは、もう誰も会うことはできない。本当の意味でいなくなってしまったから。


 そんな気持ちを知ることのない神谷は、初対面の時は死ぬほど警戒してたな、なんて思い返しながら畳に腰を下ろす。 


「……ほんとに感謝してるんですよ」


「伝わってるよ」


 神谷は首を横に振る。


「北条さんが思ってる以上に感謝してるんです。カガミさんと――母と友達だったというだけで人をひとり預かるなんてそうそうできないと思います。カガミさんがお金をたくさん残してくれていたとはいえ、不自由なく生活させてもらってますし、それに……当時住んでたマンションの部屋もそのまま残してくれてるみたいですし」


 本当に、どれだけ感謝してもし足りないくらいだ。

 北条がいないと冗談抜きに生きていけなかった。もしも――と仮定をするとぞっとする。もちろんカガミがそんな抜かったことはしないという前提の下ではあるが。


「最初は確かにカガミあいつのためではあったよ。だけどな、」


 北条は缶ビールをあおる。

 素面では言えないこと言うために、燃料をくべるかのように。


「今は違う。私が、他でもないお前を放っておけないからそうしてるんだ。あいつのことはもう関係なくなってるんだよ」

 

 濡れた瞳が揺れる。

 しかし神谷は泣かなかった。

 

 もともと泣き虫だった神谷は、半年前に本当の意味でカガミを失った時から、泣くことをしなくなった。

 耐性が付いたのか、それとも我慢を覚えたのか――無理をしているのか。それは本人にも知る由は無い。

 

 だが神谷の黒い右目と金の左目が濡れているのは、少なくとも今この時に限っては、悲しみによるものでは決してない。


「北条さん」


「ん?」


「わたし、精いっぱい生きますね」


「――――それが良い」


 


 

「…………みんな寝ちゃったね」


「ええ」


 深夜、神谷の自室。

 神谷と園田は身を寄せ合うようにして座り、ベッドに背を預けていた。

 もうみんな寝静まってしまったのか、なんの音も聞こえない。光空もアカネもそれぞれの自室に帰っていった。さんざんゲームで遊び倒してみんな疲れてしまったのだ。

 

「いいの? 寝なくて」 

 

「もうちょっとだけ。いいですよね」


 うん、と頷きながら、神谷は隣の少女を控えめに見つめる。

 優しげな垂れ目はいつにもましてとろけそうに細められ、舟をこぎつつあることがわかる。

 園田みどりは初めて出会った時からずっとひたむきに好意を向け続けてきた。

 一度はそれを拒否したこともあったが、今は受け入れている。


「楽しかったね。みんなでクリスマスなんて、もしかしたら初めてかも」


「私もです」


 神谷の細い指がつま先をなぞる。

 淡いピンク色の爪は、部屋の照明を受けてにわかに光沢を放って見えた。 


 ふたりとも寝巻に着替えて、後は寝るだけだ。

 しかしどこかこの夜を終わらせるのが惜しく、こうして箸にも棒にもかからないやりとりを繰り返している。


「大好きな人たちがそばにいてくれるのって幸せだね。話したい時に話せて、手を伸ばせば触れられる」


 そんな当たり前のことが、本当は当たり前でないことを神谷はよく知っている。

 ふとした瞬間に失われてしまうような儚いものだということを、よく知っている。

 だからこそ、その”当たり前”を守るために強くなりたかった。


 甘えるように神谷がもたれかかると、 園田はかすかに肩を揺らして、静かに受け入れた。

 沈黙が降りる。森の中に建てられた寮には、外からの音もはるか彼方にあるものだ。

 そんな中、とくんとくんと速いリズムで身体が揺れるのを感じた。


「……ね、もしかしてどきどきしてる?」


「し、してますが」


「心臓の音すっごいよ」 


 指摘してやるとかわいそうなくらいに顔を赤くして俯く。

 予想をしていたが、ずっと意識していたのだろう。クリスマスイブというこの日を。


 神谷と園田は付き合っている――というわけではない。

 恋愛感情がわからず、この先もそれを持てるかわからない神谷は、恋愛と言う形で園田の想いを受け取ることができなかった。

 だが神谷は言った。『わたしのみどりへの想いが恋愛に劣ることはない』と。

 それから二人は自分たちだけの関係を築いていこうと誓い合って、今。


「今だけ……今だけでいいので、私だけの沙月さんでいてくれませんか」 


 クリスマス。 

 一般的に、恋人同士が睦まじく過ごす日。

 神谷にとっては大したこだわりは無い。別にクリスマスに限らなくたっていつでも仲良くしていればいいと思うし、できると思っている。


 本当にこの子はわたしのことが好きなんだ、と何度目かわからない温かさを抱く。


「……そうだね。今日はそういう日だから――そういう夜にしよう」


 園田の手を取り口づけをする。

 朝が来るまで、あと五時間と三十二分。

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