208.滅亡性アポトーシス
錬金術士とは、本来自分で戦うような役どころではない。
傷を癒す薬を調合したり、お菓子や料理を作ったり……爆弾だって発破による経路の開拓や洞窟の入り口を拓く目的がメインだ。
武器は作れるが、これまでそうしてきたように誰かに渡すことばかりで、自分で使うことなんてほとんどない。
お気に入りの杖を作り直すことくらいはあるものの、そもそもこの杖というのも錬金術士には本来必要のないものだ。トレードマークというか決まりというか……手に馴染んで、無いと落ち着かなくなってしまったのでこれに関しては受け入れている。
フランという錬金術士は争いを好まない。
争いを好まないから錬金術士になったのか、それとも錬金術士になったから争いを避けているのか。
それは本人にもわからないが、とにかく。
だからこそ、そんな彼女が戦闘用のアイテムや装備を充実させてきているのは、ひとえに必要に駆られたから――もっと正確に言うと。
それはミサキのために他ならない。
もちろんモンスターと戦って素材を手に入れるために強くなる必要はあった。
しかしそれにも限度がある。
究極的にはモンスターの素材など、無くてもアトリエは成り立つのだから。
その辺で採取した素材や簡単に倒せる弱いモンスターが落とす素材があれば、客が満足いくものは調合できる。
そもそもミサキと組んだ時点で、モンスターなどミサキに任せればよかったのだ。
だがそうも言っていられない状況に陥った。
そう、マリスの出現だ。
…………あの存在と初めて対峙した時に感じたのは、
『ああ、無理だ』
という諦観だった。
あの時は表面上余裕の体を気取っていたが、内心ではもう諦めてしまっていた。
逃げるしかないと。
だがミサキはあの無敵の存在に真っ向から立ち向かい、そして対抗する力を手に入れた。
その時気づいてしまったのは、この少女は放っておくと無自覚にひとりになろうとしてしまうということだった。
寂しがり屋のくせに周りを遠ざけようとしてしまう。特別な力を得たのだからなおさらだ。
自分が、自分が、と。
他の子にこんなことをやらせるわけには、と。
誰かが傷つくくらいなら、と。
バカじゃないのと思う。
だからマリシャスコートをもうひとつ作った。
見よう見まねの寄せ集め、劣化コピーにすらなっていない粗製品。マリスに攻撃を当てることさえ出来ればいいと思ったからそう作り上げた。
それでもフランはミサキの隣に堂々と立った。
絶対にこの少女をひとりにしない。
その覚悟を胸に秘めて。
無機質な肉体を持つ死神のようなマリスが、その身の丈ほどはあろうかという十字架を振るうと赤い空に炎が灯る。
「なに……?」
フランが困惑の声を零す。
その途端――ズドンッ! と目の前に燃え盛る何かが突き立った。
思わず足元から震えが登りつめてくる。よく見ると、それは炎の十字架だった。
そして、空にはまだ数えきれないほどの炎が星のように瞬いている。
それはまるで爆撃だった。
即死級の威力を持った炎の十字架が雨のごとく降り注ぐ。
「初っ端からここまでしてくるのね……上等」
十字架はフランを狙っているわけではない。
しかしその密度、そして範囲が彼女に回避を強要する。
圧倒的な炎の攻勢は中央広場のみならず、ほとんどタウン全域を襲い、数々の建物を、道を、壁を破壊していく。
逃げ遅れたものはいないだろうか。
この攻撃を喰らっているものはどれくらいか。
翡翠とカーマは上手く凌いでいるだろうか。
しかしそれらに気を取られたことで気づくのが遅れた。
炎の十字架の隙間を縫って、マリスが並走してきていることに。
「……ッ!」
とっさに杖で防御を試みるが間に合わない。
振るわれた十字架が腹にクリーンヒットし、くの字に折れ曲がったフランの身体が、半ば投げ飛ばされるようにして吹っ飛んだ。
思い切り壁に叩きつけられ、ずるずると座り込む。
しかし痛みにぼやけた視界に、刺すような光が煌めいた。
はっとして見上げると、マリスが放ったらしきいくつもの光弾が迫っている。
「容赦ないわね……!」
思い切り地面を蹴って横に跳ぶと、直後フランが背を預けていた壁を光弾が砕き割る。
とにかく回避を優先させたせいで無様にごろごろ転がりながらも新たなアイテムを取り出す。
それは赤い万華鏡のようなアイテム、《エレクトリカル・カレイドスコープ》という、電撃の檻に相手を閉じ込めるもの。
「まずは動きを止めないと……、っ――!?」
突如として浸透してきた心臓まで凍りそうな冷気に、動作が止まる。
まるで時間まで停止したような感覚。意志に反して指一本、1mmも動かない。
視線すら固まってしまったフランに目視することはできなかったが、その頭上から真っ白な冷気が螺旋を描いて降りてくる。
その冷気がフランを完全に取り巻いた瞬間――一瞬にして全身が分厚い氷に閉じ込められた。
(かっ……! こい、つ。今まで相手してきたやつの比じゃない!)
畳みかけるような攻撃の数々。
それら全てが命を奪いかねない苛烈さ。
フランはその姿に、死そのもののイメージを想起した。
マリスは低空を滑るようにして、凍り付いたフランにゆっくりと近寄ってくる。
構えた十字架で何をしようとしているのかわかる。わかるが、この状況ではどうにもならない。
目を閉じて歯を食いしばって備えることもできず――そのまま想像の何倍もの衝撃が襲った。
「…………ぁ…………」
強引に砕かれた氷と共に地面へ転がる。身体ごとバラバラにならなかったのは幸運だったかもしれない。
ひゅー、ひゅー、という細い喉を抜けるような呼吸音を繰り返して何とか意識を保つ。
しかし懸命に抗おうとするのに反して、全身から温度が抜けていく。
おそらく、ここで意識を手放すと。
もう二度と目覚めないだろうという確信がある。
無い力を振り絞り、棒になった足を奮い立たせ、何とか立ち上がろうと試みる。
まるで老婆のように杖に体重を預け、視線を上げ……そこで。
「諱先?悶@繧」
目の前にいる、マリスを見た。
その無機質な左手がフランの胸倉をつかみ上げると、右手の十字架を腹に突き込んだ。
壮絶な鈍痛に、今度こそ呼吸が止まる。
それを無感情に見下ろすマリスは十字架を放り投げると、そこへ向かってフランの身体が浮かび上がり、空中で張り付けになった。
すでにほとんど意識は失われている。
だがそのわずかな残りカスすらも完全に刈り取るとマリスは決めたようだった。
右手を前方にかざすと十字架がひとりでにその前へ移動する。
それに合わせるようにしてマリスの右手が変形する。一応は人の手を模していた形から、大砲のような形状へと。
「……………………」
声を漏らすことも適わない錬金術士は虚ろな目でその砲口を見つめる事しかできなかった。
大気が揺れ、大地にヒビが入る。砲口にとてつもないエネルギーが充填されていく。
形作られた”砲弾”はノイズを固めたような外見だった。
この世界の法則自体を蹂躙しかねない、無法の力。
「縺輔°縺励∪縺ォ豁サ縺ュ」
ぽつりと零された言葉と共に、砲弾が放たれる。
通過した場所すべてが……空気すら、消滅していく。
当たる。
ぶつかる。
命中する。
それはフランの身体に触れて根こそぎ消し去る――はずだった。
響き渡る、歯車が止まるような異音。
同時に砲弾が大爆発を起こし、フランの細い身体は地面に叩きつけられ、転がり、ようやく止まる。
足元から響いた乾いた音は手放された杖の音だ。
かくん、とマリスの首が傾く。
今起きたことが理解できないといった様子だった。
しかし、
「――――…………」
地に伏せたままフランは金色の前髪の隙間からマリスを睨み付ける。
(ミサキ…………)
すでに視界はほぼ機能せず、靄がかかったようでマリスの姿は鮮明には見えない。
だが、マリスが足元に落ちた杖を不快に思ったであろうことはわかった。
「……………………や」
やめて、とまでは発音できなかった。
敵が杖を拾い上げるのを見ていることしかできなかった。
そのマリスは杖を眺め――おもむろに握りつぶす。
(…………ミサキ)
細い枝を折ったような嫌な音が響き、木の破片があたりに飛び散る。
(ミサキ、あたしは……)
破片と、杖の先端に取り付けられていた宝石はフランの目の前に転がり、無惨な姿をその視界にありありと映していた。
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