164.EXTRA:正義育む悪意


 目もくらむ大爆発が収まると、そこには二つの人影があった。

 ひとつは倒れたユスティア。そしてもうひとつは堂々と立ち続けるミサキの姿だ。

 勝敗は誰の目にも明らかで、すぐにそれを裏付ける『WIN!』というホログラムがミサキの頭上に現れた。


「はあ――――…………」 


 いつの間にか夕暮れに差し掛かっていたグラデーションの空を見上げ、ミサキは長い長い息をつく。

 勝ててよかったと、まず安堵。ここ最近胸にわだかまっていた澱みが降りていくのを感じる。

 

 拳に視線を落とし、その手を広げる。

 初めてグランドスキルを自分の意志で使った。技の内容は単純だが必殺級の威力だ。

 今ならカンナギの気持ちが少しわかるような気がする。これを習得する助けになってくれた仲間のことを、今何よりも自慢したかった。


「…………ぐっ」


 そしてユスティアは。


 うめき声を漏らしながらゆっくりと身体を起こす。

 負けたという事実が頭の中をぐるぐると駆け巡っていた。

 認めたくない、負けるはずがないという想いと、これでよかったのだという解放感が胸中でせめぎ合っていた。


「負けたんですか、私は…………」 


 二つの心が混ざることなくユスティアの中で暴れ狂う。

 それは彼女の身体にも影響し、立ち上がろうとしていた足が折れ、その場にしゃがみ込む。


 おかしい。もう戦闘は終わっているというのに。

 何か、背中がかき混ぜられるような壮絶な不快感に喘ぐ。


「おい、あれ見ろよ!」


 観客のひとりがそれに気づいて指をさす。

 その先――うずくまるユスティアの丸めた背中から、何か黒い粘液のようなものが空中へと流れだしていた。

 粘液は少しずつその形を幾本もの触手へと変えていく。


 その光景を目の当たりにしたミサキは目を見開き、反射的に駆け出す。

 

界到かいとうッ!」


 マフラーが渦を巻いて膨らみ、一心不乱に走るミサキに纏ったかと思うとその姿を変化させる。

 マリシャスコート『シャドウスフィア』――ベルト型の拘束具が身体に巻き付いた上から宇宙色の兎耳フーデッドジャケットが装着された。


 視線の先では触手が今にもユスティアへと襲い掛かろうとしている。

 ユスティア自身もそれに気づいたのか、口元を恐怖に引きつらせている。


「あ、ああ…………」


 見たことがある。 

 あの、ミサキの不正を咎めるきっかけになったあの動画。黒い粘液がプレイヤーたちの姿を異形のモンスターに変えてしまったあの光景が想起される。

 思わず剣で振り払おうとするも、全く通用しない。触れることすら敵わず刃がすり抜けてしまう。


 ひ、と裏返ったか細い声が漏れ出した。

 得体の知れない何かに襲われるというのは、こうも恐ろしいのか。

 恐怖と無力感に、強く瞼を閉じた。来たる衝撃に少しでも備えようとして――しかし。


 その時は、いつまでたってもやって来ない。

 ぐちゃり、という湿った音がすぐ近くで炸裂するのを聞いた。


「――――間に合った!!」


 その声に恐る恐る目を開けると、勝ち誇った笑顔で触手を掴み取るミサキの姿がそこにあった。

 思わず口をぱくぱくと開閉するユスティアを一瞥したミサキは勢いよく黒い触手を背中から引きはがす。

 同時に全身を包んでいた不快感と、心に巣食っていた昏い感情がほどけていくのを感じた。


(…………やっと間に合った) 


 今までマリスにはいつも後手に回っていた。

 出現して、誰かが感染して、そこでどうにかマリスと化した被害者を倒して解放する。

 そんなことばかりだった。


 しかし、今、この時に限っては違った。

 決定的に被害が生じるのを防ぐことが、ようやくできた。


「だああああっ!」


 積もったフラストレーションを込めてミサキは黒い触手を思い切り地面に叩きつける。

 びくびくと地面で蠢くそれを冷たい目で見下ろし、影を纏った足を上げて――思い切り踏みつぶした。

 何度も何度も、ぐちゃぐちゃと音を立てて、完全に消滅するまで足を振り下ろし続けて、やっと止まる。


 ミサキはマリスの気配が完全に消失したことを確認すると、マリシャスコートを解除した。


「よしっ」


「…………どうして」


「ん?」 


 聞き逃してしまいそうな小さな声に振り向くと、ユスティアが見上げているのにミサキは気づく。

 困惑と悔恨と、もしかすると憤りも混ざった表情で肩を震わせている。


「どうして私を助けたんですか。私はあなたの居場所を奪おうとしたんですよ? 対立して、こんな試合にまで発展して……なのにどうしてあんなに必死に…………」


「…………んー」


 ミサキは指先で頬をかき、幾度か迷った末に口を開く。


「まあ、とりあえずわたしが勝って終わったし。それと……別に嫌いな相手だからってひどい目にあってほしいわけじゃないよ。それだけ」


「――――――――」


 そんなことで、と声にならない声でつぶやく。

 どことなく照れくさそうに顔を逸らすミサキを見ていると、わかった。

 きっと彼女はそんなつもりはないだろうが、それは無私の精神に他ならない。

 

 だったら無闇に正義を振りかざしていた自分よりも、よっぽどミサキの方が――――。


「…………負けました」


「お」


「アトリエの買い取りは取り下げます。あなたを悪だと糾弾したことも撤回します。あなたは……間違っていなかった」


 この短いやり取りでわかってしまった。

 彼女は本当に誰かを守るために戦っていたのだと。

 振るう力が何であれ、それを否定はできなかった。


 しかしそれを聞いたミサキはうーんと考え込み、


「まだ言うことあるんじゃない?」


「え?」


「人にヤな思いをさせた時は……なんて言うんだっけ?」


 ん? と覗き込んでくるミサキにたじろぎ、そうだ、と納得する。

 まだ言っていないこと。そんなのはもうひとつしかない。


「……ごめんなさい」


「よろしいっ!」


 謝罪の言葉に満足げに笑ったミサキからは、もう何のわだかまりも感じられなかった。

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