211.あいむかみんぐすーん


 時間は進んで、再び神谷の部屋。


「……そっか。フランが倒してくれたんだ」


「そーよ。もうほんと大変だったんだから……あちこち走り回って攻撃受けないように食い止めたりして、フランもギリッギリまで戦ってたし」


 凝った肩と首をぐるぐると回すアカネを見て、神谷は思わず視線を落とす。

 

 ……この手は、届かなかった。


 目の前の敵は倒せても、それ以外はどうにもできなかった。

 悔しさで握った拳に痛いほど爪が食い込んだ。血でも出てしまえばいいとさえ思う。

 おぼつかない思考に、揺らぐ視界。くらくらと苛んでくるめまいはしばらく治まりそうにない。


 こんな時にこんなところでくすぶっている場合じゃないというのに。

 フランたちにばかり戦わせて……。


「……ごめんね」


「謝るくらいなら熱出すまで無理すんじゃないっての」


「ごめん。ほんとに……」


 ずん、と重くなる空気。

 アカネは部屋の湿気と重力がいきなり100倍になったかのような錯覚がして、思わず顔をしかめる。

 こいつ……と言いたい気持ちはあったが、意味のないことだ。


 限界まで戦ったのは神谷ミサキもフランも同じこと。

 これまでの無理が祟った結果だ。

 そして最後の一戦――アカネは詳細を知る由もないが、相当の無理を通さねば倒せない相手だった。

 気合い勝ちのようなものだ。


 ミサキにはどうしようもなかった。

 今回の戦いを形容するならその一言意外無い。

 しかしそれをそのまま言うのも癪だったので、アカネは深いため息をつきつつ口を開く。


「あーもーしょぼくれない!」


「アカネ、でも」


「でもでもない! 下ばっか向いてても何にもならないでしょうが!」


 それを聞いた神谷は、弾かれたように顔を上げる。

 アカネの言葉はいつだって容赦がない。強く、厳しく、尻を蹴り上げるようだった。

 だがそれが今の神谷にはよく効く薬になる。


 ぱん、と両手で自分の頬を叩く。

 少しだけ意識が晴れ、視線が定まった。

 

「あの子から伝言があるわ」


「フランから?」


 ええ、と頷くアカネ。


「…………『もうすぐ黒幕と戦うステージを用意してあげるから、それまであなたはひたすら休みなさい。万全の状態で臨めるようにね』」  


「――――…………」


 自分だってボロボロのくせに。

 いつもの自信に満ちた笑顔で言ったんだろうな、とわかってしまう。

 そうだ。そのためにあんな作戦を採ったのだ。

 ならばここで下を向いていてどうする。


「アカネの言う通りだ。くすぶってる場合じゃないよね」


「わかってるじゃない」


「いっぱい食べて、いっぱい寝る! 最短で元気にならないとね!」


「そうよ!」


「じゃないとまたアカネにぶん殴られそうだし」


「ああん?」


 殴られはしなかったが、頭を引っ叩かれた。

 一応病人なんだから優しくしてほしいと思う神谷であった。



 と、気合を入れたものの。

 神谷の発熱は基本的にメンタル由来のものなので、それが復調すれば体調も回復する。

 つまりアカネに発破をかけられた時点で快方に向かっていたということになる。

 なので健康的に食べ、健康的に寝た次の朝のこと。

 神谷はこれ以上ないほどの完全回復を見せていた。


「いやー、あは。健康優良児で申し訳ない」 


「熱引いて良かったですねえ」 


 早朝、パジャマ姿で照れる神谷。

 ベッドの傍らに座る園田は純粋に喜んでいるが、その横のアカネは辟易していた。

 

「はあ…………」


「どうしたのアカネ。こいつマジで……みたいな顔して」


「こいつマジで……」


 何度目かの溜め息を落とす。

 落ち込んでいるときはマントルまで直滑降するくせに、元気になるときは風に吹かれたティッシュみたいにふわふわと。

 振り回される側の気持ちにもなってほしい。


「心配して損したわ」


「え、心配してくれたの? やだーもうアカネちゃんはかわいいなー!」


「うっざ! そのまま死ね!」


 というわけで、神谷沙月、復活である。

 代わりにアカネは一日口を聞いてくれなかった。





 その日の『アストラル・アリーナ』、その東区の片隅にあるアトリエで。

 

「さあ、決戦の時よ!」 


 ばんっ、と勢いよくテーブルを叩くフラン。

 対面で静かに紅茶を傾ける相棒に自信に満ちた顔で笑いかける。


「おお……」


 ミサキは目を見開き、その勢いに少したじろぐ。

 とはいえ、フランと同じ気持ちであることは確かだ。

 これまでこのゲームの裏で暗躍し続けた黒幕に、もうすぐ手が届くのだ。

 

 まだ不明な点も多いが、きっとその時がくれば全て明らかになるはずだ。

 マリスを作り、弱った心に付け込んで配ったり、無差別にばら撒いて被害を拡大させたり、ミサキが楽しく遊んでいるのを邪魔したり、大事な試合を台無しにしたり、大事な後輩を悲しませたり……最後に関しては自分もやっている気がして、慌てて頭を振って打ち消す。


 ……とにかく。黒幕の所業を思い返していると、だんだんふつふつと怒りが湧きあがってきた。

  

「いっぱい寝たし体調万全! いつでも行けるよ。……ぜったいぶっとばしてやる」


「まあまあ、そうしたいのは山々だけど落ち着いて。まずあいつと戦うステージを用意しなきゃ」


「……ステージ?」


 そう、と頷いてフランが取り出したのは、手のひらと同程度のサイズの長方形の端末――というか、みるからにスマホのような物体だった。

 

「前に黒幕をおびき出した時は逃がしちゃったけど、代わりにくっつけたのがあったでしょう。《ゼロポインター》ってアンテナなんだけど」


「ああ、そう言えば」


 あの計画を実行に移す前に少し言及していた。

 もし取り逃がした場合の保険だ、と。

 その時は詳細について教えてくれはしなかったが。


「あのアンテナをつけた状態でこの世界にやってきたら、この端末を使うことでその居場所にワープできる。あとは簡単、倒すだけよ」


「すごい! さすが! てんさい!」


「もっと褒めたたえなさい。懐に余裕があれば投げ銭などもしなさい」


「それはしない」


 久々に元気を取り戻して、謎のハイに突入している二人は少し落ち着く。

 ここのところメンタルを締め上げるような期間が続いていたので、『とりあえずあいつを倒せばいい』という単純明快な状況にたどり着いたことで、少なからず解放されたというのは小さくない理由である。

 

 ちなみにフランの取り出した端末は、いつもミサキがゲーム内で呼び出している現実のスマホの再現品を参考に作ったとのこと。


「……ただねー……」


「ん?」


「黒幕と対面してもし勝てたとしても、マリスを撲滅できるかっていうとわからないのよね」


 一転、フランは困り果てた様子だった。

 確かにもし倒したとしても、都合よくマリスが全部消える! などということはないだろう。

 ただHPがゼロになるだけなのだから、マリスを生み出している黒幕――つまりプレイヤー自身を突き止めないとどうにもならない。


「……それならわたしにちょっと考えがあるよ」


 このゲームは、アバターの外見が現実と同じという特徴がある。

 つまり、それを利用すればいいのだ。


「……………………」


 しかし。

 そう言った当のミサキは――どうしてか、悲しみを滲ませた瞳をしていた。

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