79.立ち尽くすオンリーワン
レースイベント『ライオット』、その最終エリア。
終幕も近いその時、予想だにしないことが起こった。黒い結晶――マリスの種とも呼ぶべき物体が空から飛来し、ゴール地点である火山と一体化、火山を背負った四足歩行の恐竜のような巨大モンスターと化した。
「ゴオオオオオオアアアアアアアアッ!!!!」
雄たけびがびりびりと耳を打つ。
ミサキはこの事態に動けずにいた。
混乱を極める状況に置いて、まずなにから対処すればいいのかわからないのだ。
「おいおいなんだよラスボスのお出ましかァ!?」
「あいつを倒せば優勝ってわけかよ!」
「行くぞお前ら! 早い者勝ちだ!」
他のプレイヤーは、これが用意されたイベントだと思っている。
だが、マリスはどうやっても倒せない。攻撃が通じないあのモンスターは、普通のプレイヤーでは絶対に太刀打ちできない。対抗できるのはマリスから抽出した結晶を素材に作り出したマフラーを装備しているミサキだけだ。
マリスは倒す。絶対に倒さなければならない。
だが、その前に、このままでは周囲のプレイヤーたちがマリスの餌食になってしまう。
マリスに殺されたプレイヤーは数時間の間リスポーン不可になり、前後の記憶を根こそぎ奪われる。
それだけなら最悪看過しても構わないのだが……マリスに強く干渉された者は精神が著しく衰弱してしまうという症例をミサキは知っている。どういうメカニズムで、どういう意図があって、それが何を引き起こすのか――それはまだわからないままだが、その症状が、ミサキには副次的なものに思えるのだ。
「ダメだよみんな! 逃げ――――」
「やる気がないならすっこんでろ!」
側頭部に衝撃。
バイクに乗った中華風の服を着こんだ男性プレイヤーに棍で殴られた。それ自体はそこまでのダメージではない。ないが……もう対話は不可能だろう。そもそも血気盛んなプレイヤー全員に、この状況で逃げろと言っても聞き入れられるはずがない。
誰も話を聞く気はない。
当たり前だ。この状況を正しく把握しているのはこの場においてミサキただひとりなのだから。
もう時間がない。
どうするべきか。
まごついている場合ではない。
「…………全員殺す」
マリスより先にここにいるプレイヤーを殺しつくせば被害を受けることはない。
できるだろうか。そんなことが果たして実現可能だろうか。もっといい方法はないか。
「なんて迷ってる場合じゃない! やるしかない、絶対できる! 絶対!」
自身を鼓舞しながら駆け出す。
ここにいる者たちはこのレースイベントにおいて数々の関門を潜り抜けてきた者たち。
つまり個々の差はあれどかなり消耗していると見て間違いない。ならばミサキの火力でも短時間でキルできるはずだ。
マリスへと向かうバイク軍団を目でとらえ、一気に加速し並走する。
一番近くのバイクに乗っているソフトモヒカンの男は、近くから発せられる疾走音に気付いてミサキの方を向き、目線を一度外した後、慌てて二度見した。
「うええ!? なんだこい、がはっ!」
超高速の裏拳が鼻っ柱に突き刺さり、仰け反った首の後ろに飛び蹴りを炸裂させる。
前後に高速で揺さぶられた男はバイクから吹っ飛び、高速回転しながら空中で散った。
「次!」
さらに加速する。
機動力に関係するパッシブスキルのことごとくをカンストさせているミサキにとって、攻撃や方向転換は減速の理由にはならない。
自分に気付いた者から殺す。
次に、距離が近い者から殺す。
モヒカン男の断末魔によってミサキに気付いたプレイヤーを、後頭部を一瞬で数度殴打して殺す。そのままバイクの集団の隙間を縫うようにして駆け抜けつつ、片っ端から撃破していく。
「まだいっぱいいる……!」
思わず歯噛みする。
ミサキのいる場所から見えるだけでも数十人。
それに加え、火山竜のマリスが位置しているのがこのエリアの中心であることから推察するに、マリスの”向こう側”にも同程度の数、プレイヤーがいるはずだ。
はっきり言ってマリスより先に全員を殲滅するなど絶望的だ。
それでもやるしかない。幸いにも火山がマリスへと変化したことで、先ほどまで行われていた火山弾の発射と爆走ウルフの増産が止まっている。
それならまだキルに集中できる――そんな考えをあざ笑うかのような地響きがエリア全域に波及した。
「…………ッ!」
火山弾の発射が止まった?
だったらあのマリスは――その代わりに何をしている?
他のプレイヤーに気をとられていて、マリス自体への意識が逸れていた。
ミサキは足元から這い上がる嫌な予感に、マリスを見る。
火山竜のマリスは鋭い牙が並ぶその大口をこれでもかと開いていて、その口内には赤黒いエネルギーが渦巻き、煌々と光を放っていた。
血の気が引く。
判断が間違っていた。
何を捨てても、ある程度の犠牲を強いたとしても、いち早くマリスを叩いておくべきだった。
この先に何が起こるのかがありありと想像できる。
もう間に合わないこともわかってしまう。
それでも無意識に身体が動く。
「くそ!」
だがもう間に合わない。
マリスの口内で迸るエネルギーは一度収束し、爆発的にその規模を増したかと思うと、ついに発射された。
最初、それを赤黒い壁だと思った。
大きく、高く、圧倒的な存在感でミサキへと迫ってくる。
しかしそうではなかった。
圧倒的な熱線。
それがその壁の正体だった。
大口から発せられたエネルギーはマリスの首の動きに連動して草原を薙ぎ払う。
「ぎゃああああああっ!」
「やめて、いや、がっ…………」
「なんだよこれぇ!?」
次々にプレイヤーたちが焼き尽くされる。
熱線に触れた瞬間蒸発するように消し飛ぶ。
こんなものそうそう躱せない。躱せる力があったとしても、とっさに正しく回避するのは難しい。突然の危機に、大半の人間は衝撃に備え身体を硬直させてしまう。
「また……またわたしは何も……!」
揺らぎそうになる意識。
心の軸が折れかける。
だが……ここで本当に膝を折ってしまっては本当におしまいだ。
ぐらつく精神を気合で抑え、迫る熱線を走り高跳びの背面跳びの要領で飛び越える。
ミサキの跳躍力は折り紙付きだ。
最大高度も、そこへ到達する速さも比肩するものはそうそういないだろう。
そんなミサキでも、その熱線の回避はギリギリだった。
あと数センチ高度が低ければ、もしくは飛ぶタイミングを誤っていれば、跡形もなく焼き尽くされていただろう。それほどの規模。
紙一重で熱線をやり過ごし、着地するミサキ。
その直後熱線の放射が終了する。
「……………………」
何もかも、跡形も無くなっていた。
誰もいない。何もない。
マリスの攻撃はマップデータにさえ干渉する――その熱線に抉られた草原はテクスチャが剥がれ、その下にあったのっぺりとした単色の大地がむき出しになっていた。
何も変えられない。
誰も助けられない。
この小さな身体では、何もかもを取りこぼしてしまう。
数分前まではあんなに楽しかったのに、今では無力感に打ちひしがれている。
自分はいったい何のためにここに立っているのか。
みんなこのゲームを楽しんでいたはずだ。
なのに理不尽が形になったようなモンスターに全てを台無しにされた。
もうこんなものはミサキの求めていたゲームではない。
何もかも腹立たしい。
マリスも、それを作った誰かのことも。
「…………決めた」
もう仕事の依頼など関係ない。
以前の『アストラル・アリーナ』を――みんなが心置きなく楽しめるこの世界を取り戻す。
自分にだけマリスを倒す力があるというのなら、この身を削ってでも戦うと決めた。
もう誰も犠牲にしない。
誰もいない。何もない。
ならばもうしがらみはない。
戦いだけに専念できる。
首元のマフラーを掴む。マリスに対抗できる唯一の力。これを装備してきたのは、ミサキ自身心のどこかでこうなることを予想していたのかもしれない。
嫌な勘だ、と自嘲する。
「――――――――
意を決して叫ぶ。
戦えるのは自分だけ。
それでいい。
こんな戦い、他の誰にもさせたくない。
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