125.浅く浮かされる朝


 ぱち、と瞼を開く。

 昔から寝起きは良かった。覚醒直後から意識が至極はっきりしている。

 病み上がりで少しけだるい身体はほの熱く、しかし完快の近さを感じさせた。


「んぅ…………」 


 粘着力の落ちたぬるい冷えピタを剥がす感触が少し気持ち悪くて思わず声が漏れる。

 時計を見ると10時過ぎ。平日ではあるが体調不良で今日も学校を休むことになっている。

 いつもよりすこしだけ自由な朝は特別な心地がした。





 マリスに感染してから三日。

 『アストラル・アリーナ』においてミサキとしてプレイしている神谷沙月はしばらく安静に過ごしていた。

 マリスの影響を強く受けた者は精神の調子を著しく崩す。神谷はメンタルが身体に強く影響するので案の定熱を出し、しばらく寝込むこととなった。


「食欲あんまりないしお粥とかでいいかな……」 


 一階に降り、誰もいない食堂の冷蔵庫を確認すると、作り置きのお粥が置いてある。

 少し面食らいつつ傍にあったメモを読んでみると、『朝ご飯かお昼ご飯にしてください。朝ご飯にした場合はアカネちゃんが寮にいると思うので、昼ご飯を作ってもらってください あなたのみどりより』と書いてある。

 行動を読まれている……! と驚きかけたがこのくらいは日常茶飯事であることを思い出し、木製のスプーンと温めた鍋をテーブルに運んだ。


「ん、おいし」


 ほどよい塩気がしみる。

 行儀悪くスマホをいじりながらお粥を口に運んでいると、静寂も手伝ってかふとフランのことを思い出した。

 暴走していたとは言えあの時の言動は自分の内から生まれたものだ。誤魔化しようもない本音――だからこそ恥ずかしい。


「あー忘れろ忘れろ」


 悶えそうになるのを何とか抑える。

 あんな弱みはもう二度と見せない。というより見せられない。

 しばらくは不意に思い出してしまうのだろう。嫌な記憶というのは、よりにもよってこびりついたように剥がれにくい。


『――――さみしいよ』

 

 本当に、いっそ他の感染者みたいに記憶を消してくれればこんな思いをすることもなかったのに。


 このことについて深く考えるとドツボにはまりそうなので、手に持っているスマホに映る格闘技の動画に意識を向けて羞恥を誤魔化す。

 最近のマイブームだ。格闘技に限らずダンスや、パルクール、アニメの戦闘シーン、格闘ゲームの攻撃モーションまとめなど、身体を効率的に操る技術について学んでいる。後ろ半分については役に立つかわからないが、何となくだ。

 神谷は昔から見て真似するのが得意だった。他人のやっていることを吸収して自分のものにするのがうまい子どもで、バスケをしていた頃もそれで上手くなるのは早かった。


 だから熱を出してベッドに横たわっている間もこうして技術を吸収していたのだ。

 ひとえに強くなると言っても漠然とした想いのままではいつまでたっても変わらない。レベルが上がる、装備が充実する、グランドスキルを習得する……それも強くなる方法のひとつだが、プレイヤー自身の技術向上も怠るべきではないと考えた結果がこの『見て学ぶ』という工程だ。

 ひたすら見て、反芻し、イメージトレーニングを繰り返す。今の神谷にできるのはそれだけだった。





 時間は飛んで、アトリエ。

 錬金術士のフランは翡翠とカーマの依頼を受けていた。


「武器を作ってほしい……カーマはもともとたくさん持っていなかったかしら」


 カーマのクラス『グリムリーパー』は斬撃攻撃に特化したスペシャルクラスで、耐久力には乏しいものの数々の斬撃系武器を使いこなす。カーマも先の戦いで双剣・大剣・短剣・刀を使いこなしていた。もしかするとこれ以外にも持っているかもしれない。その武器種のうちどれかを用意してほしいということだろうか。


「そのたくさん持ってるってのが問題でね。何種類も持ってるとアイテムの枠を圧迫するのよ」


「ああ……なるほど」


 それはフランにも覚えがある。

 アイテムを主体に戦う錬金術士フランにとってアイテム枠は常にカツカツだ。不慮の事態にも対応しようと思うと、いつだってアイテムポーチは無限に空きが欲しい。それは普通のアタッカーであるカーマとしても同じだろう。

 

「だから作ってほしいのは、それひとつで色んな武器に変形できるヤツ。できる?」


「また厄介な!」


「あの、私も同じ感じです。私の武器は銃なんですけど、一口に銃と言ってもいろんな種類があって……それぞれで使えるスキルも微妙に違ったりするので」


 額に手を当て、しばし瞑目する。

 様々な武器種に変形できる武器。かなり難易度が高そうだ。

 できるだろうか?


「もしかして作れないの?」


「できるわよやってやるわよ! あたし天才だから!!」


 売り言葉に買い言葉を叫んで立ち上がる。

 脳内では様々なモンスターのドロップ素材やその効力が巡り、そこからレシピを組み立てていく。

 難しい。確かに難しいが――不可能ではない。二人の求める武器の性能が近いことも助かった。


 大まかに構成が決まる。製作は可能だ。

 以前から目をつけていた”あいつ”さえ倒せれば。


「……そうね、条件があるわ」


「条件? なんですか?」


 首を傾げる翡翠に対し、カーマは何を言われるかわかっているようだった。


「とあるボスが落とす素材が必要なの。手伝ってくれる?」


 この二人を連れて行けばきっと勝てるはず、と錬金術士は不敵に笑う。

 

 まだ翡翠とカーマとの距離感を図りかねている。思うところがないわけではないし、自分とは違う形でミサキとのつながりを持つ二人に一抹の羨ましさのようなものも感じる。


 しかし、だからこそ。

 この二人のことを知りたい。それがミサキを知ることにもつながるはずだ。

 

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