162.Justice Break


 刑事の父が人を殺した。


 逃げる殺人犯を止めようとして撃った銃弾のあたりどころが悪かったそうだ。

 発砲許可が出ていたとか、銃を人に向けるのが初めてだったとか、そんなことは理由にならない。

 少なくとも私はそう思った。


 死んだ犯人の母親が恨みのこもった目で父を睨み付けていたのを覚えている。

 殺人犯だろうと、彼女にとっては大切な息子だったのだろう。幼心にそう感じたのをよく覚えている。

 その出来事は瞬く間に噂となって蔓延した。


 私は人殺しの娘として扱われた。

 今もそれは変わらない。  

 他ならぬ私がそう思っている以上、何も変わらない。

 

 当時父に詰め寄ったことがあった。

 どうして殺したのか、と。


「正義のためだ。あんな犯罪者は死んでも仕方ない」


 そう言い捨てた父の手は震えていた。

 彼もそうやって自分に言い聞かせていたのだと今では理解できる。

 おそらく殺す気すらなかったはずだ。当てるつもりさえあったかどうか。


 それでも取り返しのつかないことをしたのだと私は思えてならなかった。

 なにが正義なのだろうか。人を殺した人を殺して――それが許されるというのなら。


 正義とは。

 正しさとは。


 殺してしまえばいいのなら、そもそも捕まえる必要だってない。

 捕まえようとしたのは何のため? それは償わせるためだ。生きて、犯した罪の報いを受けさせるためだ。

 仮にその果てが死刑だったとしても。


 ああ、嫌いだ。

 正義を振りかざして振るわれる暴力が。

 大義名分を背負って人を殺した父が嫌いだ。

 例え不慮の事故だったとしても。


 正しくないのは、嫌だ。  





 ユスティアの剣先が唸りを上げる。

 顔面を狙う鋭い突きを首を振ってかわすと一瞬の風が頬を撫でた。

 そのまま身体をぐっと縮めてユスティアの懐に入り込むと強烈なカウンターをがらあきの胸部に叩き込もうと試みる。

 だが、


「…………!」


 その拳が剣に阻まれる。

 すぐに引こうとしたミサキだが、その行動は間に合わなかった。


「はあっ!」 


 勢いよく振るわれる剣に手が弾かれ、そこへ青く発光する斬撃が振り下ろされる。

 身体を翻して避けるもユスティアの追撃は息つく間もなく繰り返され、ミサキはひたすら回避に専念する。


 一振りごとにパキン、パキンと独特の効果音と共に輝く細い刀身。間違いなくスキル発動エフェクトだ。

 しかし彼女はスキルの宣言をしていない。それはつまり、


「……サイレントスキルだ」


「ご名答。あなたのような犯罪者でも知っていたようです、ねッ!」


 水平に一閃。

 ミサキは慌てて上体を大きく反らして逃れ、そのまま後ろに跳んで距離をとる。


「犯罪者って。いよいよエスカレートしてきたね」


 その物言いはいいとして。……良くはないが、とりあえず横に置いておくとして。

 

 サイレントスキル。

 スキル名の発言ではなく決められたモーションによってスキルを発動する技術だ。

 スキル最大のデメリットである技後硬直をほぼゼロにする効果を持っている。


 しかしその分難易度は高い。

 知っている範囲ではカーマと、おそらくミサキが相対した中でもっとも強かったプレイヤーであるクルエドロップの二人のみ。

 それだけ実戦投入できる者は限られている。


 先ほどからユスティアが繰り出しているのはミサキの見る限り、剣士系の初級スキルだ。

 初級という名前に違わず威力は低く地味ではあるが……その分発動モーションが簡単なのだろうと予想する。

 つまりユスティアは軽いスキルを通常攻撃がわりに使っているということだ。


 初級とは言え普通に攻撃するよりは格段に威力は高く、その上スキル威力を上げるパッシブスキルも乗る。

 基本を極めた戦闘スタイル。それはなるほど四角四面な彼女の性格にはよく似合っていた。


「あなたはチートという力を行使し戦っていました。それも異形に変化したとはいえプレイヤー相手に――許されるとお思いですか」


 思わず首元のマフラーを握りしめる。

 彼女の言っていることは、全てでないにしても、一定の正しさを孕んでいる。


 確かにそうだ。

 誰かを助けるためであってもその過程で誰かを傷つけていることに変わりはない。

 最初のカラス人間も、ラブリカが変化したマリスも、全力で殴ったし、全力で蹴った。

 マリスの力はリアルの感覚以上に鮮明な激痛を相手に与える。マリスに感染した者は前後の記憶を失うが、傷つけたという事実は変わらない。


「…………思わないよ」


 大切な人たちを守りたい――そう願った。

 そのためならどれだけ傷ついたっていい。

 そのためならどんな力だってほしい。


「誰かを守るっていうことは、戦うってこと。そして戦うってことは、誰かを傷つけるってこと」


 相手がどれだけの悪だとしてもそれは変わらない。守りたいと言いながら他の誰かを傷つけている。

 それは戦う相手も、そして自分も。

 今繰り広げられているこういった試合ならいい。だけど戦いは違う。ミサキはそれを望まない。

 望まない戦いはミサキの心を傷つける。

 

 そして今ならわかる。

 ミサキを大切に想っている人たちは、そんな傷ついたミサキを見て、同じように傷ついてしまうのだと。


「でもわたしは戦うよ。誰が何と言ったって、助けられる人は絶対にわたしが助ける」


「…………その結果、身近な人を傷つけることになっても、ですか!」


 ユスティアの剣が閃きすさまじい勢いで距離を詰めると、そのまま剣先をミサキの顔面に向かって突き出す。突進突きの初級スキル【ペネトレイト】だ。

 しかし、


「そうだよ。本当の本当に取り返しのつかないことになるよりは100倍いい!」


「…………っ!?」


 高速で突き出された剣を、ミサキは握りしめていた。

 力づくで引き抜こうとするもびくともしない。焦るユスティアを見据えるその黒い瞳には、強い覚悟が宿っていた。

 

「言い忘れてたけど、わたしはあなたみたいな人は嫌いだ」


 ただ正義を振りかざし、他人を害する。

 そのことに疑問も抱かない。それだけが世界で唯一不変のものだと信じ切る。

 それが嫌で仕方なかった。


「自分の正しさを信じて疑わない――そんな人がわたしは嫌い」


 普段温厚なミサキにしては珍しく、そう言い切った。

 結局のところ、彼女はずっと怒っていたのだ。

 大切な居場所を奪おうとしたユスティアのことを、ずっと。

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