27.果てのない大海原へと


 ボス部屋に入るとすぐに床の中央に描かれた魔法陣が輝き、渦巻く光が立ち昇り、その中からボスモンスターが現れた。

 岩のような身体を持つ大型モンスター……『ロックゴーレム』だ。

 見た目通り物理耐性が高く真っ向から殴っていてもまともなダメージは与えられない。工夫して戦うことを教えてくれる序盤の教官的ポジションのボスだ。

 巨体を前に、おそるおそるといった様子で短剣を取り出す傍らのシオに、


「アタシはサポートに回る。お前があいつを倒しな」


「は、はい……え?」


「あいつのHPを全部お前だけで削り切るんだよ」


「で――でもすごく強そうで、私なんかじゃ」


 まあそう思うのも無理はない。

 手に持った一振りの短剣で、ゴーレムに勝てるという確信を持つのは難しい。

 

 だけどこれはゲームだ。

 ゲームの敵は、倒せるように、倒されるために設計されているはずなのだ。

 自分は勝てる、敵を倒せるという自負をプレイヤーに持たせるために序盤の敵は存在していると言ってもいい。


「できる。対人戦ならどう頑張っても勝てない相手はいるかもしれないが、モンスター相手なら話は別だからな。だから……アタシの指示を聞いてくれ」


 シオはしばしの逡巡のあと頷いた。

 本当は抵抗があるのだろう。アタシの言葉を信じてまんまと騙された経験を考えれば当然だ。


 だがそれでも頷いた。頷いてくれた。

 本当に――素直な子なのだろう。そんな子どもの信頼を、アタシは裏切ったのだ。

 だから今度こそは。この子が預けてくれた二度目の信頼くらいは守ろう。


「いくぞシオ!」


「は、はい!」


 声を上げるとともにゴーレムが戦闘態勢に入り唸り声を上げ、頭上にはHPバーが表示される。戦闘開始だ。

 

「ゴーレムの背中に回れ!」


 こくりと頷くと共に駆け出すシオ。短剣を装備しているだけあってかなり素早い。

 だがゴーレムは見た目からは考えられないような機敏な動きでシオに立ち塞がった。


「っ……」


 突然目の前に現れた岩の塊にたじろぐシオ。

 指示に従おうとはしているのに、驚愕と恐怖が彼女の足を縛る。

 そんなシオに向かって、ゴーレムはその太い腕を上げ一気に振り下ろす。


「【ガン・フルード】!」


 アタシはすかさずカトラスを閃かせ、水属性の突進スキルを発動した。

 水しぶきを上げながらゴーレムへと突っ込み、ハンマーのように振り下ろされる腕をすんでのところで受け止める。攻撃できるタイミングではあったが、このゴーレムは固すぎてレベルの高いアタシの攻撃もろくに通らない。

 

「シオ! 今のうちに!」


 返答することもなくシオはゴーレムの背後をとる。

 このゴーレムは執拗に背中を守るようルーチンが組まれている。背後を取ろうとしてもしつこく軸を合わせてくるのだ。

 初見では非常に厄介な敵――だが明確な攻略法も存在する。


 このボスを倒す方法は二つある。

 ひとつは魔法スキルで攻めること。物理耐性は極めて高いものの、魔法耐性は皆無なのだ。


 そしてあともうひとつは――――


「背中にコアが見えるか!?」


「あ、あります! 赤くて丸いのが!」


 打撃や斬撃、刺突……あらゆる物理攻撃をはじき返すゴーレムだが、背中のコアだけはどんな攻撃をも通してしまう弱点になっている。

 だからこのボスを魔法無しで倒す際はパーティプレイが推奨されているのだ。誰かひとりがゴーレムを引き付け、他のプレイヤーが背中を狙う戦法が。


 アタシがシオに協力しようと思ったのはこのボスの仕様もあってのことだ。

 なぜならシオひとりではまず勝てないから。最初から躓かせたくなかったからだ。


「そこ狙え! お前のナイフで滅多切りにしろォ!」


「う……うわああああっ!」


 ゴーレムの攻撃を受け止めながら――つまりゴーレムに後ろを向けないようにしながら檄を飛ばすと、裏返った悲鳴みたいな叫び声を上げてシオが短剣を突き刺した。いや、アタシからは見えてはいないのだが伝わってきた衝撃と攻撃時に鳴るSEから判断した。

 ちら、と上を見るとゴーレムのHPが大きく減少している。


「いけ! 死ぬまでやれ!」


 アタシがそう言い終わる前に斬撃音が連続する。

 ざん、ずしゃ、ずば、じゃきん――何度も放たれた攻撃によってHPは下げ止まらず――あっという間に削り切れた。


 堅牢なゴーレムはポリゴンの破片と化してあっけなく消滅する。

 あとにはアタシと、肩で息をするシオだけが残った。

 

 シオは何も言わない。

 自分の手の中にある短剣をただ見つめている。


 少しだけ、このゲームを始めた頃のことを思い出した。

 何のためにこのゲームをやってるか、なんてこと考えもせずに、ただ目の前のことを楽しんでいたあの頃を。

 ただその辺にいるモンスターを倒せたってだけでめちゃくちゃ嬉しかったっけ。


 …………それくらいでいいのかもしれねーな。


「あー……あのよ。何のためにゲームするとか考えなくてもいいんじゃねーかな」


「え?」


 シオはきょとんとしている。

 アタシも何言ってんだって思ってる。こんな説教じみたこと、ゲームどころか現実リアルでもやらねーってのに。

 

「理由を見つけるためにプレイしたっていいんじゃねーかなって……思う……あー、やっぱやめた、柄じゃないわ」


「ふ……ふふ……」


「わ、笑うなよ!」


 顔が熱くなる感覚。

 たぶんシオから見ればアタシの顔は真っ赤になってしまっているだろう。この世界では取り繕えないから。


「いえ……ごめんなさい。なんだか学校の先生みたいだったもので」


 ぎくりとする。

 やっぱり慣れないことはするもんじゃない。


「エルダさんって思ってたより変な人なのですね。なんだかいつも必死で、ぜんぜん大人っぽくないのです」


「うるせーな! ……くそ、アタシはもう帰るからな」


 意外と言うやつだな、と思う。アタシが思ってるよりこの子は弱くないのかもしれない。


 さっさとこの場から逃れたくて、ボスを倒したことで開かれた光の穴へと足を向ける。するとフレンド申請の通知音が鳴った。もしかして、と思い開くと案の定シオからだった。添付されているメッセージには『また必要な時は呼ぶのです』などと書かれている。


「……いやもう会わねーし。アタシみたいなやつにはもう二度と近づくなよな」


 変な奴だ。

 なんだかこのまま付き合ってたらずるずる引きずり込まれそうな予感があって――アタシは逃げた。

 これであいつもアタシと無関係なところでのびのびやれたらいいな、なんて思いながら。







「――――じゃあこれで今日は終わり。宿題忘れないようにね……えっと今日の日直は、花菱か。よろしく」 


「きりーつ。れい」


 少年少女たちがお辞儀もそこそこに騒ぎ始める。

 学校が終われば遊びの時間だし、そりゃ騒ぎたくもなるか。

 まあ海堂香澄アタシはこれでも教師なのでまだたんまり仕事があるのだが。具体的に言うとテストの採点とか。

 今日は早く帰れればいいなあ……と思いながら資料をまとめ職員室に戻ろうとした、その時だった。


「せんせ」


「ん? ああ花菱。どうした?」


 声をかけてきたのは花菱織衣はなびしおりえだ。

 カラスの濡れ羽みたいな長い黒髪が印象的な利発そうな子だ。勉強はできるし運動も人並み以上、落ち着いた雰囲気は他の生徒より輪をかけて大人びて見える。

 そんな子が何の用だろうか。


「せんせ、お耳かしてください」


「わかったわかった、なんだよ」


 内緒話とは、存外子どもっぽいところがあるじゃないか。

 のんきなアタシの考えは、直後粉々に破壊される。


「――――エルダさん、ですよね」


 目を剥いた。

 口を手で覆い、よろけて黒板に背中を強かに打った。スーツが汚れるかも、という考えが一瞬頭をよぎったがそれどころではない。

 大きな音を立てたことでまだ教室に残っていた生徒が一斉にアタシの方を向いたが、どうでもいいとばかりにすぐ会話に戻った。


「な、なん、なな、なんで……?」

 

「やっぱりそうだったんですね、先生」


「や、アタシはそんな……」


「ごまかしてもムダですよ。顔も声もおんなじじゃないですか」


 うぐ、と喉が詰まる。

 メイクをしても髪型を変えても瞳の色を変えても、あの世界で自分の容姿を根本的に変えることはできない。

 それにしてもバレてしまうとは……。


「ねえ先生? 先生が私にしたこと、みんなに言っちゃいましょうか?」


 蠱惑的な笑みを浮かべ囁く花菱の声に、背筋が凍り付く。

 職員会議とかPTAみたいな単語が頭の中で踊り狂う。

 足元の床が音を立てて崩れていくような錯覚がした。


「…………なにが目的、なんだよ」


 絞り出した言葉に、花菱は人差し指を顎に当ててうーんと思案する。

 するとすぐに何かを思いついたのか、ぱっと表情を明るくした。


「とりあえずフレンド登録してください♪」


 天使のような笑顔で花菱は言う。

 今のアタシには悪魔みたいに見えるが。


 ……いや自業自得なのはわかってるけど、ここまでの事態になるとは思わないだろ!?


「――――これからよろしくお願いしますね、先生?」


 頷く以外、アタシに道は無さそうだった。

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