58.去りし悪意の残す澱
勝った。
マリスを倒した。
なのにどうしてだろう。悪夢から覚めたばかりのような気持ちになるのは。
仰いだ先にある、青を取り戻した晴れやかな空とは似ても似つかぬ心模様なのは、どうしてだろう。
「…………勝ったはずなのになー」
こんな戦いがしたかったわけじゃない。
ミサキは早くもマリス討伐を引き受けたことを後悔し始めていた。
戦う相手がモンスターではなくプレイヤーで、しかも見知った相手だとは。
さっきはそうせざるを得ない逼迫した状況だったから勢いのまま戦った。
しかしこうしてそれが終わって冷静になってみると、苦い後味が尾を引くようだった。
これがもし試合だったら臨むところだ。
知らない相手だろうが、仲のいい友達だろうが、しのぎを削るのは楽しいものだ。
でも――こんなのは違う。
自分がやりたかった楽しいバトルではない。
「お疲れ」
突然かけられた声に肩が跳ねる。
振り返るといつの間にか近寄ってきていたらしいフランがそこにいた。
小さい安堵の息を密かに吐く。
「えへ、ちょっと疲れたかも」
「…………大丈夫?」
気遣わしげに覗き込んでくるフラン。
ミサキ自身としては平気なつもりなのだが、外から見るとそんなにもひどい顔をしているのだろうか。
「ごめんなさい。そのマフラー……《ミッシング・フレーム》、もっと危険性を理解した上で作るべきだった。外から見てても危うくて、はっきり言って見ていられなかった…………」
マリスはプレイヤーの精神に干渉し、正常な思考ができなくなるほどに揺さぶり侵食する。マリスの結晶から作られた外装を纏ったミサキはそのことを身をもって理解した。
耐えられたのはフランによって加工されていたことと、壮絶な悪意を制御しきったミサキの意志の強さゆえの結果。
確かにフランの言う通り危険なものだ。一歩間違えれば自分がマリスになっていたかもしれないという自覚もある。
「でもわたしが止めないと。あんなのがまた出たら、そのたびに誰かの楽しい時間が奪われちゃうから……」
「だったらその楽しい時間は……あなたの楽しみは誰が守ってくれるの?」
「……………………」
答えられなかった。
ミサキは、自身が自分勝手な人間だという自覚はあるが、他人を犠牲にしてでも自由に振る舞いたいとは思っていないし、それに力を持っているのなら使うべきだとも考えている。だから自分がマリスを倒さなければと思ったから運営と契約を交わしたのだ。
しかしそう言われてしまうと返す言葉を見つけられない。
気まずい沈黙がしばし二人の間を流れる。
言葉を発することも、さりとてここから去ることもお互いにし辛くて、
「ちょっといいか?」
「ひぅい!?」
突然背後から響いた声に、さっきのフランに声を掛けられたときの100倍は驚く。
どうやら先に声の主に気付いていたらしいフランの視線の先を追うと、そこには全身を甲冑に包んだ騎士がいた。確かラブリカの取り巻きの一人で、その中でもそばに立っていることが多い人物だったと記憶している。
「あら。戻ってきたの」
「あ、ああ……も、ラブリカはどうなったんだ」
「…………しばらくすればログアウトできるんじゃないかな。でもここしばらくの記憶は無くなってると思う」
それを聞いた騎士は、兜で顔は見えないが明らかに安堵した様子でため息をつく。
前回と同じなら、いくらか待てば彼女はホームタウンで復活するだろう。そうすれば何事も無かったかのようにログアウトできるはずだ。
ミサキとしてはそう祈るほかない。
「な、なあ。あんたミサキだろう」
「そうだけど」
「いつもリアルでは……ラブリカが世話になってる。ありがとう」
「それはどうも……ん? なんでリアルのこと知ってるの」
保護者っぽい物言いに、リアルへの言及。
もしかして――ラブリカに近しい人物なのだろうか。
フランは「リアル……?」と何やら呟いていたがひとまず置いておく。
「ああ……お、俺はとろさーもん。ラブリカの兄だ」
そう言って騎士……ラブリカの兄だという彼は兜を脱いで顔を出す。
不健康そうな青白い肌に、紫がかった髪が顔の左半分を隠している。視線は左右に揺らぎ、全く目が合わない。あまり人と関わるのは得意ではなさそうだ。
兄というにはあまりにも似ていなかった。強いて言うなら垂れ気味の目くらいか。
「お兄ちゃん? 自称じゃなくて?」
「マ、マジ兄だ…………」
「とろさーもんって変な名前ね」
「そこ? この世界だと大して珍しくもないと思うけどなあ」
「適当に、つ、付けただけだ。気にしないでくれ」
とろさーもんは緊張しているのか、何度か深呼吸を繰り返した後、意を決したようにミサキへ向き直る。
目はやっぱり合わないままだが。
「桃……ラブリカはここ最近お前の話ばかりしてるよ」
「わたしの?」
うなずくとろさーもん。
何かに想いを馳せているようだった。
優しい目をしているな、とミサキは思った。それだけ妹を大切にしているのだろう。
「リアルではずっと浮かない顔をしていたあいつが……最近は少し明るくなったように思う。きっとお前と出会ってからだ」
「わたし、と」
ラブリカが――姫野桃香が明るくなるようなことなんてしていない。そんな覚えはない。
彼女のしつこい勧誘を、ミサキはずっと断り続けていただけだ。仲が良いかと言われれば、首を縦に振ることは難しい。
それに彼女が浮かない顔をしているところなんてほとんど見たことがない。いつも笑顔で、人を食ったような態度をしていて――いや。
その程度で他人をわかった気になるなんて、と自戒する。
彼女にだって抱えている何かがあるのだろう。
最後に会った時見せた、憂いを帯びた表情を忘れてはいない。
「あいつは危なっかしい奴だけど……お前みたいな先輩と出会えてよかったんだと思う。これからもよろしく頼むよ」
「…………うん。わかった」
とりあえずといった風に首肯する。
とにもかくにもまずは姫野と話さなければならないだろう。
彼女について知らないことが多すぎる。
「ねえ。気になってたことがあるんだけどいいかしら」
挙手するフランは珍しく神妙な顔をしている。
こんな顔をするなんて珍しい、と内心で考えながら続きを促す。
「…………結局ミサキの噂を流したのって誰なの? あなた……とろさーもんは心当たりある?」
「噂……? あっ」
「あって言った。今あって言ったわ!」
「ちょ、ちょっと待ってくれ」
とろさーもんはこの上なく恐縮した様子で肩を縮こませながら背を向け、ボイスチャットを起動したかと思うと何やら誰かと会話し始める。
ぼそぼそ、ぼそぼそ、ぼそぼそ……内容はわからないが焦りと怒りが半々の声色で回線の向こう側と話していたかと思うと、
「……………………死にてえのかカス共」
地の底から響くような声でそう言い放った後、とろさーもんは通信を切った。
さっきまでの態度とは似ても似つかぬ声色だった。
少し怖気づいたミサキたちに向き直ると、さっきまでと同じような調子で深いため息をついた。
「先にまず謝らせてくれ。本当にすまない……!」
「え、いやいやそんな……って土下座やめて!?」
とろさーもんは頭を地にこすりつけていた。
どこで習ったのか聞きたくなるほどに美しい土下座だった。熟練の技と言ってもいい、慣れているとしか思えない姿でこうべを垂れていた。
「うちのモンが……ラブリカが落ち込んでるのを見て、きっとミサキにひどいことを言われたんだと勘違いして、報復に噂を流したらしいんだ……申し訳ない、後で粛清を」
何やら物騒な単語が聞こえたので慌てて遮る。
「えー……いいよもう別に、気にしてな」
「ダメよ」
さらに遮ってくる女がいた。
フランがミサキを押しのけ一歩前に……未だ地面に伏せているとろさーもんの前に出る。
「許してほしい?」
「……いや、おこがましいと思」
「許してほしいと言いなさい」
「許してほしいです!」
錬金術士というか、女王様だった。
腕を組んで目を眇め、つんと顎を上げ地を這う騎士を見下すフランを見て、ミサキは傍らで静かにドン引きしていた。
「よろしい。償いの方法は追って通達するので今日はもう帰っていいわよ。あととりあえず今日見たことは口外無用。もちろんあのピンクちゃんにもね」
「はい! ありがとうございます!」
とろさーもんはきびきびと立ち上がったかと思うと、素早くログアウトしミサキたちの前から姿を消した。
「言い過ぎじゃない?」
「連帯責任よ。それにああでも言わないとあいつ一生這いつくばってたわ」
確かに、と返そうとして視界が少し揺らぐ。
めまいだろうか。本格的に調子を崩しているのかもしれない。
「あなたももう帰りなさい。疲れてるでしょう」
フランは白い手を伸ばし、ミサキの頬に触れる。
いたわるような触れ方からはバーチャルに再現された体温が伝わってくる。
そんなことないよと食い下がろうとして、思った以上に疲弊していることを自覚する。このままだとどちらにしてもシステムによって強制ログアウトさせられてしまうかもしれない。
「……わかったよ。いろいろありがと。またね」
ログアウト操作を済ませたミサキの
触れていた相手が消え、フランは虚空へ伸ばすことになった手を所在なさげに下ろす。
ミサキはひどく弱っているように見えた。
たった一度戦っただけでこうだ。こんな戦いがこれから何度も繰り返される。
そのたびにこんな思いをしなければならないのか。
「ミサキの楽しみを誰が守ってくれるのかって……?」
草原に風が吹く。
魔女がかぶっていそうなとんがり帽子が飛ばされそうになって、軽く抑える。
錬金術士の瞳は何かを決意したように青くきらめいていた。
「そんなのあたししかいないじゃない」
彼女を守るには――少なくとも、今のままでは駄目だ。
壁を越えて、もう一歩先へ。
自分にならそれができるはずだ。
なぜなら錬金術に限界は無いのだから。
いつか母親が言っていた言葉を、フランは信じることにした。
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