92.限界性コンフリクト
「お前さあ、彼女とか作らねーの?」
またか、と僕は顔をしかめる。
部活終わりのけだるい帰路でそういうことを聞かれると面倒くさいことこの上ない。
わかっていて、その上で聞いているのだろうが。
「僕の勝手だろ? それとも
「ねえけどよ…………」
僕がまだ高校生だったころ、カムイ・凪ではなく
幼稚園からの幼馴染である
僕と巧は似ても似つかぬ性格というか、あまり気が合うという感じでもないのだが、それでも一緒にいると居心地がいい。きっと彼の方もそう思っていてくれているのだろうと思う。だから十年以上付き合いが続いている。
「でもまた告白されてただろ。これで何回目だよ」
「高校に入ってからは十三回だ」
「細かく覚えてんのな……」
「当たり前だろ? 本気の想いを『たくさんのうちの一回』で済ませるのは不誠実だよ」
「そういうのがお前のいいところだけどな!」
はあ、とわざとらしい溜息をつく巧が街頭の下で止まる。まるでスポットライトに照らされているような彼の姿に、僕は思わず目を眇めた。
長い付き合いだ。彼が僕のことを心配しているということくらいわかる。わかる、が…………。
「…………試しに、試しにだぜ? 一度くらいは付き合ってみるってのもいいんじゃね?」
「僕がそういうの嫌いだって知ってるだろう」
「わかってるよ。でもよ……お前告白断るたびにいちいち律儀に落ち込んでんだろ。今日だってパス練とかシュート練ミスりまくってたの知ってるんだからな」
「……………………」
よく見ているな。
さすがだ。
「お前、前に恋愛ってもんがわからないって言ってたろ」
「ああ」
僕は今まで誰かを本気で好きになったことがない。
いや、この言い方は語弊があるか。恋愛でなければ本気ではないなんてひどい差別だ。
とにかく、僕は誰にも恋をしたことがない。
ドキドキして、相手のことしか考えられなくなって、自分が制御できなくなる――そんな経験が僕にはない。
友達は男女問わず多い方だが、彼ら彼女らに対してそういった感情を向けることはない。ましてや特定の相手に特別な感情を抱くなんてことも生まれてこの方無かった。
「別に軽い気持ちで『お試し』しろってわけじゃないんだ。恋愛感情がわからないお前のことを理解してくれる子と付き合って、特定の相手とゆっくり仲を深める過程で知っていけばいいんじゃね? と思ったわけだよ、俺は」
「…………そんな子、いるのかな」
「そりゃいるだろ。お前のことが好きでコクってくるやつなんざ付き合いたい一心で来てるんだから、事情を話せば打算込みでキョーリョクしてくれるさ」
皮肉っぽい『キョーリョク』という言い方にげんなりする。巧はいいやつだが、ほんの少し性格が悪いのが玉に瑕だと思う。僕はわりと他人を信じやすいタイプというか、警戒心が薄いので、彼のそういう部分に守られているというのは否定できないのだが。
そもそもそんな都合よく事が進むはずがない。人と人との関係は不確定要素が多すぎる。
僕たちがこうして幼馴染をやれているのも奇跡みたいなものだと思う。十年以上の付き合いで何度も喧嘩をしてきたが、そのたびに関係がそれきりになってしまうことだってあり得た。
だけど今もまだ巧とは良き友人でいられている。それを僕は運命だと思う。
「…………いや、僕はやっぱりそういうのは嫌だ! いつか僕が好きになる運命の相手と出会ってみせる!」
「そんなやついるかあ?」
「いるさ、きっと」
陽が落ちる少し前の鮮やかな空に向かって手を伸ばす。
なにせこの世界には80億も人間がいるんだ。
ひとりくらい――そうだろう?
夕陽に焼かれる夜空には、まだ星は見えない。
格段に上昇した速度が双方の距離を瞬間的に消滅させる。
「捉えた!」
鎧を脱ぎ捨て軽装になったカンナギは、すでにミサキの目前。
斜め下から剣を振り上げようとしている。
「…………ッ!」
虚を突かれたせいで回避が間に合わない。
迫る刃に対し、ミサキはとっさに腕を振り下ろす迎撃を選択した。
「甘い!」
防ぎきれない。
カンナギの剣は腕を弾き、そのまま肩口を切り裂いた。
「ぐっ……」
腕と剣では重さが違う。
防御は間違いなく悪手だった――しかしこうしていなければ最悪即死していた。無理矢理剣の軌道を変えたからこそこの程度で済んだのだ。
だがこれでは怯まない。ダメージエフェクトを飛び散らせながら傾いだ身体を力任せに起こして一歩前へ、
「がら空きだよ!」
剣を振り上げれば、そこから降ろしてまた構えるのは不可能だ。よってノーガードとなったカンナギの胸部に、容赦なくカウンターの拳が突き刺さる。
「ぐふっ!」
胸の詰まるような衝撃にうめき声を上げ後方へ吹っ飛ばされるカンナギ――そこへミサキは驚異的なスピードで追いついている。数歩の助走から間髪入れず踏み切り、数瞬前に拳を叩き込んだ場所へ、今度は渾身の飛び蹴りをお見舞いした。
ビリヤードのように運動エネルギーを丸ごと明け渡されたカンナギは地面と平行に吹っ飛び、フィールドの壁面に激突した。
もうもうと上がる砂塵の向こうのシルエットは動かない。
倒したか? ほんの僅か気が緩んだ、その時。
「【ギガ・ぺネトレイト】!」
黄土色の煙幕を突き破り、雷が一直線に突っ込んでくる。
戦闘が開始した時に見せたものよりもなお速い。迫りくる剣の切っ先がまっすぐにミサキの心臓を狙っている。
スローモーションの世界の中で、とっさに庇った左手を雷の剣が貫いてくるのが見え、その上からかぶせるように右手で掴んで押しとどめる。
「ぐ……ううううううっ!」
「おおおおおおおッ!」
勢いを殺しきれない。
電光を迸らせたカンナギの剣に、凄まじい勢いで押され、石柱に背中が当たって何とか止まる。
ずきずきと貫かれた左手が痛み、HPが減少していくのがわかる。装備しているグローブ《アズール・コスモス》の斬撃耐性をも突破するほどの威力――まともに喰らっていたらどうなっていたか。
「…………考えたね。防具を捨てるなんて」
突如上がったカンナギのスピードの正体。それは装備重量の低下によるものだった。
このゲームにおける速さ――特に走行速度やジャンプの高度は基本ステータスのうちのひとつであるSPDよりも装備重量が大きく影響する。
彼は身に纏う防具を根こそぎ脱ぎ捨てることでミサキと渡り合える程度まで機動力を上げたのだ。
もちろん防具を外すということは防御力の大幅な低下につながるが…………。
「ああ。君との戦いにおいてはこれがベストだ。むしろもっと早く気付くべきだった……!」
ミサキの攻撃は全てが防御力を無視するクリティカル。
よって防具で身を固めることにさほど意味はない。
判断から決断、行動までが早すぎる。
普通なら防御を捨てるなんて選択、もっと躊躇ってもいいはずだ。例えそれが最善だとわかっていたとしても。
本当に嫌になる。
戦闘能力においてこの男はミサキよりも上位だと認めざるを得ない。
「本当に強いね……でも」
それだけで勝敗は決まらない。
「勝負は強い方が勝つんじゃないんだよ!」
背を預けている石柱に向かって後頭部を思い切り叩き付ける。
バカァン! と凄まじい勢いで石柱が砕け、そのままミサキは倒れていく。
同時に手に刺さっていた剣から解放されたことで――類まれなるスピードが復活する。
このままではまた翻弄される。
いくらカンナギが速くなったと言えどもそれは”比べものになる”程度。
依然として彼我の速力差は変わりなく。
背中から倒れていくミサキはくるりと後転し立ち上がる。
その視線が右に向いた。走り出す方向。
その先へ、偏差射撃がごとくカンナギは剣の切っ先を構える。
「逃がさない! 【ギガ――――」
「なんちゃって」
ぎくり、とスキル発動のため開いた口が固まる。
横へ駆け出そうとしていたはずのミサキが眼前に迫っている。
簡単なフェイントだ。視線で方向をほのめかし、それとは違う行動をとる。
だが、この一瞬を争う状況に置いて、そんな単純なことがあまりにも大きな隙を生む。
イグナイト、と呟くと両腕から莫大な蒼炎が迸る。
至近距離。
隙だらけの身体。
「だあああああっ!!」
青く閃く拳が勇者の胸の中心を捉えた。
強烈なヒットストップのあと、遅れてカンナギの身体が砲弾のように吹っ飛び、ノーバウンドでフィールドの壁面に激突した。ずるりと崩れ落ち、カンナギががくりとうなだれた。
「…………勝っ、た…………?」
渾身の一撃がクリーンヒットした。
カンナギは動かない。
どう見ても勝ったとしか思えない。
そんな光景だったから、一瞬だけ拳が緩んだ。
だから。聞こえなかった。
「ッ!?」
完全に壁へともたれかかり、現実ならば気絶しているとしか思えない状況だった。
だから目を疑った――勇者の姿が消えたことに。
悪寒が走り、考える前にその感覚に身を委ねる。
全力で前方へと跳躍すると、背中が落雷に抉られた。
「ぐう……っ!」
背後に視線をやると、稲光を纏ったカンナギが大地に剣を突き立てている。直前までミサキが立っていた場所だ。
反応が遅れていれば敗北は免れなかった。
いや、回避だってし切れていない。その証拠にHPが危険域まで減少している。視界の淵が赤く点滅し始めた。
ミサキの背後でカンナギが剣を引き抜き、軽く振って構える。
相対するミサキもまた立ち上がり、両の拳を――彼女の戒めであり、同時に彼女にのみ許された唯一無二の武器を構える。
睨みあっていたのはたったの一秒未満だった。
駆ける。
ぶつかる。
火花を散らす。
広いフィールドを縦横無尽に駆け回り、剣が、拳が、お互いの命へと手を伸ばす。
すでにお互い目で捉えていない。聞こえる音と、直感と、パノラマ撮影のごとく引き延ばされ線の集合となった世界から判断し、ひたすらに打ち合っている。
「…………なんだ、これ」
戦いを見ていた誰かが感嘆の息を漏らした。
それは観客の誰かだったかもしれないし、この世界で中継されている映像を見ていた誰かだったかもしれないし、無断録画によって動画サイトに垂れ流された生放送を見ていた現実世界の誰かだったかもしれない。
その中でも観客席――どこよりも近く、高く、そして直接フィールドを見ていたものだけが辛うじてその戦いを理解することができた。なによりも岡目八目な彼らだけが。
二つの影が眼下で争っている。
行われていることと言えばそれだけで、理解できるのもそこが限界だった。
瞬間瞬間でかわされるやりとりがどれほどの技術と力によってもたらされているものか、誰もわからなかった。
ふたりの戦士が戦っている理由すら誰も知る由は無い。
プライドだけをかけた戦いは、終わりへと近づきつつあった。
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