第十話 鉄砲百合と二人湯

前回のあらすじ


中身も盛り上がりも落ちもない釣りだけで一話使いやがった、という回。






 釣れるまで半信半疑どころか二信八疑くらいだった温泉魚バン・フィーショとやらは、鮫の仲間らしいなかなか凶悪な魚だった。

 竿を引く力も強いし、こちらを引きずり回して粘る体力もなかなかのもの、そして釣り上げたあともがちがちと牙を鳴らす様は、実に凶暴ね。


 釣りなんてあんまりしないからうまいやり方がわからず、びったんびったん暴れまわる温泉魚バン・フィーショ相手にあたしたちは大いに狼狽え、てんやわんやと騒いだ挙句、ウルウがひらりと針を一刺ししてとどめを刺して、なんとか黙らせたのだった。


 一メートルほどはある大物を都合二匹釣りあげて、無駄に汗をかいてしまったあたしたちは、もうこんなものでいいかと早々に切り上げることにした。


「釣りは楽しめた?」

「しばらくはいいかな」


 やっぱりあたしたちにこういうのは向いてないのだ。


 あたしなら、短刀や投げ矢で直接水中の獲物を狙った方が早いし、ウルウも水中の魚の位置がわかるし、水上歩行なんて芸当もできるから、もっと手早い手段がある。

 リリオなんかは最近、雷の術を操るようになったから、水に剣を差し込んで、ばちりと一撃やってやれば魚が勝手に浮いてくるという始末だ。


 冒険屋として多芸であった方がいいのは確かだけど、でも向き不向きってのはあるもの。仕方ないわね。


 あたしたちが温泉魚バン・フィーショを引っ提げて帰ってきた頃には、リリオたちは温泉から上がって服を着ているところだった。

 温泉に入っている間は暖かくていいんでしょうけど、寒さに凍えながら急いで服を着ている姿はなかなかにみっともない。

 仕方がないんでしょうけど、もはや湯冷めとかそういうのじゃないわよね、これ。

 せっかく温まった分を、すべて発散してしまっていそう。


 二人に温泉魚バン・フィーショを託して見送ったあたしたちは、そういう不安とは無縁だ。

 あたしはにやりと笑った。

 何しろ、ウルウには便利な懐炉マノヴァルミギロがある。

 触れている間、あたしも全身ぽかぽかする、便利な奴だ。

 あまりに便利すぎて、リリオには黙っている。しょっちゅうウルウに引っ付くから、気づいてるかもしれないけど。


 さすがに二人で一緒に握りながら服を脱ぐってのは難しいから、ひとりずつこの魔法の懐炉マノヴァルミギロの恩恵にあずかりながら服を脱いで、温泉へと身を投じた。

 そうすると、少し熱いくらいのお湯が、じんわりとあたしたちの体を温めてくれて、これが得も言われぬ心地よさなのだった。


 ウルウの魔法の懐炉マノヴァルミギロも暖かくて心地よいのだけれど、あれは全身が一時に暖かい膜でおおわれるような具合で、心地よくはあるけれど、情緒がない。

 温泉の熱はじんわりと体に染み入ってくるような具合で、はだえから骨の芯までゆっくりと温められて、思わずほうとため息が漏れ出るようなものだった。


 風呂好き温泉好きのウルウと行動すると、町の風呂屋はもちろん、野宿の時の風呂など、いろんな風呂を味わうことになるのだけれど、天然の温泉に申し訳程度に湯舟を繕ったこの露天風呂は、なかなかに野趣あふれて面白みがあった。


 見れば少し離れて、飛竜のキューちゃんとピーちゃんがざぶざぶと湯を揺らしながら温泉へと潜り込んでいるところだった。

 いままでは、あたしたちが釣りをするのを邪魔しないように、控えていてくれたようだ。

 温泉は、真ん中あたりは結構な深さになるようで、大きな飛竜が鼻先を突き出すようにして全身を浸かれるくらいにはなるようだった。

 文字通り羽を伸ばして温泉を満喫する様は、超生物、圧倒的存在としての飛竜というよりは、同じ熱を共有する入浴客の一つでしかなかった。


 生意気にも突っかかってくる温泉魚バン・フィーショを片手間に追い払い、時にはおやつ代わりに頭から齧って湯を赤く染めているあたりはやっぱり化け物なんだなと思うけど。


 そんな、ある種出鱈目に贅沢な光景を眺めながら、あたしたちも温泉を楽しむ。

 風呂よりは広いけれど、二人一緒に入るとちょっと手狭かなという具合の湯船に肩まで浸かって、あたしたちは肺の中身を絞り出すような吐息を漏らした。

 ちょっと熱いくらいの湯は、肌にぴりぴりして、悪くない。


 横を見れば、ほっそりしているくせになかなかな代物である二つのが湯に浮き沈みしていて、眼福であるような気もするし、どうして自分の胸元には存在しないのだろうかという侘しさも感じる。

 そしてそのの持ち主は、結い上げてまとめた黒髪のほつれを気にしながら、ぱしゃぱしゃと肩にかけ湯などしている。


 ほんのり火照るうなじは珠のように湯をはじいていて、これで二十六歳は嘘だろうと常々思わされる。

 大した化粧品もない旅で、保湿がどうの冬場はかさつきがどうのとか言いながら、これだ。

 あたしやリリオはまだ若さがどうのと言い訳できるけど、ウルウの場合はなにかズルしてるんじゃないかというくらいに肌の張りがいい。

 本人は、以前はもっとカサカサ肌だったんだけどねなどと言っているけれど、法の神の裁きにでもかけてやりたいところだ。


 なにしろ大抵の男より背が高いから、そういう点ではあまりモテないかもしれないけれど、でもそれを補って余りあると思う。


 異国情緒あふれるというか、西方人めいた顔立ちは、独特な魅力がある。

 肌は病的なくらい白いけど、そのちょっと病的なくらいが、なんだか背徳的というか、不思議に惹きつけられる。そして病的な色合いなのに、水は良く弾くし、もちろん柔らかく滑らかだ。


 対照的に深く黒い長髪は、櫛を通しても手ごたえがないくらいに艶やかで、枝毛なんかひとつもありゃしない。

 艶やかすぎて髪留めが落ちちゃうことはあるけど、それにしたっていろんな髪形も試せるし、お得感ありよね。


 目つきは悪いというか、いつも不貞腐れたような伏し目がちというか、眠たげというか、人と目を合わせたがらないんだけど、それが絶景にみはったり、美食にそっと細められたりすると、なんだか秘められたものを見たような気分にさせられる。

 とどめとばかりに泣きぼくろが色気を振りまいてきやがるのよね。


 欠点である背の高さだって、何しろ体形がいいから、ああ、そう言えばっていう程度でしかない。

 出るとこ出てるけど、ほっそりとしていて、でも骨が浮いてるってわけじゃないのよ。

 技込みでとはいえリリオを押さえつけられるくせに、全然筋肉質な所がなくて、たおやかな感じってこういうのを言うのかしらね。

 もしかしたらあたしでも押し倒せるんじゃないかって思わせるくらいなのよ。実際やったらするりとかわされるんだけど。


 まあ、うん、勿論これが贔屓ひいき目っていうやつなのはよくわかってるわ。

 身内だから、親しいから、よく見える。

 実際、最初に見た時の印象は、とにかく根暗で、目つきが悪くて、ひょろっとうすらノッポな、なんか不気味な奴って具合だったわ。

 おまけに詳しくは気取らせないくせに、じんわりと圧のある気配だから、結構怖いものがあったわ。


 でも付き合っていくとね、いい女なのよね、こいつ。

 酒場とかでご飯食べる時も、自然と給仕に取次しやすい場所に陣取るし、人付き合い苦手っていうか嫌いなくせに、率先してみんなの注文とかするし、ハシとかいう二本の棒で器用に取り分けるし。

 そんなことしなくていいのよって思うし、言うんだけど、気持ちよく食べてる姿が好きだからって言われたら、もう、仕方ないじゃない。そりゃお酌してもらうわよ。

 おかげさまで、がっつくだけのリリオの食事でさえ、なんとなく品よく調整されるわよ。

 なんていうのかしらね、ウルウ曰くの、女子力っていうの?

 そういうの感じさせるわよね。

 あたしもするから、リリオだけ女子力がない感じなのよ。実際あんまりないんでしょうけど。


 なんかこうやって並べ立てていくと、かなりの優良物件みたいに見えてくるから不思議よね。

 でも初見でそう言う風に思えるかっていうと、無理よね。無理無理。断固として無理。

 あたしが無理だったんだから無理に決まってるわよ。


 付き合えばいい女なんだけど、付き合うまでが長いのよ。

 人見知りで、人間嫌いで、それを助ける妙なまじないまであるから。

 だって、姿消すのよ、こいつ。

 見えないんだから、いないのと一緒じゃない。

 リリオがおしゃべりしたがるから、最近は姿さらしてることも多いけど、必要ない時はとことん姿消してるのよ、こいつ。


 で、姿現してもよ、壁があるのよ。壁。

 仕方がない時とか、さっき言った、注文する時とか、必要があればこいつ流暢に喋るのよ。

 喋るんだけど、親しみがないっていうか、完全に仕事で喋ってるのよ。


 笑顔も浮かべるけど、商人たちが浮かべる営業用の笑顔でしかないし、やろうと思えば小粋な会話もするけど、本心なんか欠片もないし。

 あれよ、お酒注文するときに給仕の娘なんかに微笑んだりするじゃない。そりゃあたしだってするし、リリオもするし、大概するんじゃないかしら。不愛想に、酒と飯、なんて注文するの、滅多にいないわよ。

 あの笑顔が完全に作り物なのって、もう怖くない?

 無意識に、とか、反射的に、っていうんじゃないの。意識して笑顔作ってるのよ、あれ。

 そのこと自体怖いし、そんなことしなきゃならなかった以前のウルウの住んでたとこも怖いわよ。


 リリオのくだらない冗談に塩対応してるときのやる気ない顔の方がよっぽど感情こもってるのって、どうなのかしらね、ほんと。


 だからこうして温泉とか入ってて、完全に力の抜けた顔とか見せられると、あたし、すごい偉業を成し遂げたんだわって気分さえするわね。

 気難しい野良猫が手から餌食べてくれた時みたいな。


「……あのさ」

「あによ」

「そんなに見られると穴が開きそうなんだけど」

「いっそ開きなさいよ」

「ええ……そんな無茶苦茶な」


 あたしの視線を煩わしそうに手で遮りながら、ウルウは片頰を引くつかせた。

 にやつくのを押さえてたりする顔だ。

 こういうなんでもない会話が、意外とこいつのツボだったりするのだ。


「あんたさ」

「なあに?」

「リリオが奥さまにべったり甘えてるから、寂しいんじゃない?」

「トルンペートこそ、リリオのお世話できなくて寂しいんじゃないの」

「むっ」


 最近あたしとの二人組が多いから、案外寂しがり屋な所のあるウルウは思うところがあるんじゃないかとつついてみたら、図星だったようで、むきになったように言い返してきた。

 ちょっと強がりそうになったけど、こういうとき、こちらもむきになるとよろしくない。

 あたしは大人な対応をしてやることにした。


「まあ、そうかもしれないわね」

「……意外」

「そう?」

「のような、そうでもないような」

「まあ、寂しいのはほんとよ」


 奥様が姿を消してからの四年間、リリオの傍にいたのはあたしだ。

 それまでだって、奥様がつきっきりだったわけじゃない。お世話して、面倒見たのは、あたしだ。

 リリオと一番時間を長くともにしたのは、あたしだっていう自負さえある。


 それが母親と言うだけで、急に現れて横からかっさらっていくというのは、どうにも釈然としない。

 そりゃあ、四年ぶりで、しかも死んでいたと思っていた相手との再会だ、しばらくの間は仕方がないとは思う。思うけれど、納得がいくかと言えば、全然そんなことはないのだった。


「あんたも寂しいんでしょ」

「……寂しい、んだと思う」


 改めて尋ねてみれば、素直にそう返してくる。

 あたしたちは二人とも寂しがり屋なのだ。


「寂しいっていう気持ちは、よくわからなかったんだけど、多分これが寂しいって気持ちだと思う」

「どんな気持ちよ?」

「なんかこう、胸がさわさわして、きゅうっとして、落ち着かないんだ」

「ああ、うん、そんな感じよね」

「父さんが死んだ時みたいな」

「思ったより重たいの来たわね」

「でもお母さんっていうのは、リリオにとってすっごく大事だと思うから。私はお母さんって、いたことがないからよくわからないんだけど、それでも、邪魔しちゃいけないと思うんだ」

「あー」


 あたしにも、母親ってものは、よくわからない。

 母親も父親もいなかったあたしにはそもそも親ってものがよくわからないけど、でも大事なんだろうなってことはわかるし、邪魔しちゃいけないってこともわかる。


 わかるけど、それであたしたちの寂しさがどうなるってわけではないのだ。

 むしろ遠目に見てる分、一層寂しくなる気さえする。


「もうさあ」

「うん」

「あの親子は放っておいて、あたしたち二人でくっついちゃおうかしら」

「チーム暗殺者だね」

「最強の二人ね」

「違いない」


 あたしたち寂しがり屋二人は、ちょっと手狭な露天風呂の中、肩を寄せ合ってしばらくぼんやりとそのぬくもりを楽しんだ。

 そうしてとけあうぬくもりの中で、あたしはふっと思うのだった。


 でも、きっとそれじゃ物足りないんだわ、と。





用語解説


・法の神

 法の神ユルペシロ(Jurpesilo)のこと。

 神々の裁定者。法と裁きの神。揺るがざる大天秤。

 正しきとあやまちとを見定めて裁くという。

 ただし、その司る法は神々の法であり、人の世の法ではない。

 人の罪は人の法で裁かれるべきであり、神は人を裁くことをしないという。

 ユルペシロは人の裁判を手助けしてくれるが、あくまでも人の法に則った判決を述べるだけで、その法が正しいかどうかは言及しないとされる。

 かといって神々の法に則って裁いてもらうのはお勧めできない。

 既知外の神々の法がどうして人々を守ってくれるなど考えられるだろうか。


・ハシ

 箸。二本の棒を片手で使ってものを食べるという頓狂な発想の食器。

 西大陸の華夏ファシャなどで広く使われている。


・女子力

 決まった中身も根拠もない、発言者の定義するところの「女子っぽさ」の度合いを示すとされる架空の力。

 「じょしぢから」と読むとまた別のパゥワになる。

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