閑話
200話記念掌編
200話記念、思えば長く続いたものですね。
今回は妛原閠のお話と相成りました。
短いお話ですが、お楽しみいただければ幸いです。
忘れることができない私の人生は、覚えていたくもない言葉で埋まっていて、覚えていたくもない事柄が積もっていて、覚えていたくもない記憶に沈んでいる。
生まれ落ちた時から絶えず積み重ねられてきたそれらがどれほどの毒を孕むものだったか、その結果として今ここに立っている私の為人からなんとなくでも察してもらえると思う。
というか、察してもらえない場合はあえて説明するようなことはしない。したくもない。
なのでご想像にお任せする。
まあ、それでも、こんな人間に育ってはしまったけれど、育った果てに一度は無為に死んでもしまったけれど、そんな私が曲がりなりにも人間として生きてきて、曲がりなりにも人間として生きていこうなんてトチ狂ったことを考えたのは、考えているのは、そんな毒の沼の中にも確かに美しい輝きがあることを、残念なことに知ってしまっているからだった。
凍り付いた真冬の夜空に煌めく星のように、かそけきながらも確かな輝きが、目の奥でちかちかと瞬く度に、私は諦めきることもできず、信じ切ることもできず、果てない「次こそは」を重ね続けて、大空にも羽ばたけず水底にも沈めず、ただ這いずるように生きてきた。
不器用な生き方だったと思う。
無様な生き様だったと思う。
でもほかにやりようはなかったと思う。
不器用でも。
無様でも。
私は私だった。
それでいいのだと、認めてくれる人がいたから。
子供の頃の私は泣き虫だった。
なんて言っても、今の目付きも悪けりゃ愛想も悪い私からは想像し辛いかもしれない。
だからまず、思い浮かべてほしい。
年のころは、まあ小学生、十歳くらい。
その当時なら身長はまだ全然伸びておらず、クラスの背の順でも割と前の方だった。
そのおチビさんは、ずっと俯きがちで、おどおどと視線を迷わせて、人と目を合わせられなくて、人と話を合わせられなくて、何か言おうとしてはいつも諦めている、そんな子供だった。
何をするにしても考えすぎて要領が悪くて、茫然と突っ立ってることの多い子供だった。
なまじ成績が良いのが、まあ子供受けしなかった。
いじめられている、というほどではなかった。
ただ、いい扱いはされなかった。
遊びにも誘われず、時折からかわれ、そしてたいていの場合相手にされなかった。
いまみたいにある種達観してしまうと、その程度のことはどうとも思わなくなるのだけど、当時は何しろピュアなお子様だった閠ちゃんは、ほどほどに期待し、ほどほどに裏切られ、ほどほどに傷つく毎日だった。
泣き虫の閠ちゃんは、嫌なことを忘れられない子だった。
完全記憶能力持ちだから仕方ないねって話じゃない。
ことあるごとに思い出してしまう悪癖があったんだ。
ふとしたきっかけで思い出が刺激されて、嫌な記憶がぶわりと舞い上がるんだ。
学校についてしまったとき、教室に入るとき、教科書の悪戯された落書きを見るとき、苦手な先生の顔を見たとき、下校中に横切る猫を見たとき、そんな些細なことで、嫌なことが思い出された。
寝る前にぼんやりと天井を見上げている時にさえ、それは浮かんできた。
そして思い出は減ることがない。
日々を過ごせば、その分だけ増えていく。
死にたい、っていうほど、強い感情は抱かなかった。
ただ毎日気が重くて、しんどくて、なんとなく嫌だった。
学校を休んでしまえばよかったかもしれないけど、真面目、というよりは、ルーチンワークから外れることが苦痛だったから、嫌な思いをするのがわかっていて、嫌な日々を繰り返してた。
「おとうさん、もういやです」
当時の私は、父の真似をして敬語で喋っていた。
子供心にそれは礼儀正しい振舞いだと知っていたから、いつもそうしようと心掛けていた。
あまり中身は伴っていなかったと思うけど。
帰宅してしばらくして、そんなことを漏らした閠ちゃんに、父は優しくなかった。
「何が嫌ですか」
「なんだか、いやです」
「なんだか、というのは」
「いやなんです。しんどい」
「フムン。体がつらいのですか」
口下手でうまく説明できない十歳の私に、父はまるで心中察することもせず、問診を試みてくるのだった。しかし自分自身でも何がどう嫌なのかうまく把握できていなかった当時の私に、父が納得し理解できるような返答は不可能だった。
少しの会話の間に小賢しい閠ちゃんは、やっぱり駄目なんだ、言っても伝わらないんだ、じゃあ言うだけ無駄だし意味がないし止めよう、とあっさり見切りをつけた。
過去の失敗を執拗に思い返す閠ちゃんは、失敗の記憶ばかり思い出すので、できるだけダメージの少ない段階で逃げに移るのだった。
しかし父は空気が読めなかったし、人の心がわからない男だった。
もういいですと言いだそうとした閠ちゃんのちっぽけな体を抱き上げて膝の上に置くと、上等な櫛で当時から伸ばしていた髪を
「え……なに? なんですか?」
「
閠ちゃんの困惑を聞き流して、父は母のことを語り始めた。
父は何か判断に困ると、母の話を持ち出す癖があった。
人間味に薄い父と比べて、話の中の母は大層人間味に溢れる濃い味人間で、おそらくそれを頼りにしているのだった。
「何の生産性も見いだせない、あれが嫌だこれが嫌だこういうの気にくわないあれこれが腹が立った、というような愚痴を、延々と良く聞かされていました。僕に櫛を押し付けて、髪を梳かさせながら、一人でいつまでも愚痴を言い続けるんです」
十歳の閠ちゃんにも、見たことのない母親が大概あれな人種なのではないかと思い始める年頃だった。
そんな人と一緒にされているのかとひそかにショックを受けている閠ちゃんの髪を機械的な手つきで梳かしながら、父は続けた。
「そして言ったら言った分だけすっきりして、あとに残さない人でした。怒りも、悔しさも、悲しさも、言葉に出して吐き出してしまって、それで済ませてしまいました。言葉にすることで、何をどう嫌だと感じているのかはっきりさせることは、胸の中のもやもやに形を与えて、処分しやすくするそうです」
父自身は全く理解も納得もいっていないらしい理論を、淡々とした口調で説明して、そしてその淡々とした口調のまま、どうぞなどと言ってくるので、私は困ってしまった。
「僕はあまり人の機微や感情には鋭くありませんので、言ってもらった方がわかりやすいですし、ご自分でもすっきりすることでしょう。幸い、僕は共感性に乏しいので、聞き役に徹するのは得意です。サンドバッグと思ってどうぞ」
それきり父は髪を梳かす機械となってしまって、私はどうしたらいいかしばらく迷って、それでもおずおずと「学校が嫌」と言ってみた。父はわかったような返事もせず、もっともらしい頷きもせず、ただ黙々と髪を梳いた。
物足りないような気もしたし、言っても大丈夫なんだというような気もした。
それで私は、あれが嫌だ、これが嫌だと、思い出されるままに嫌を吐き出していった。
それはだんだんと具体的になっていき、細かくなっていき、そして吐き捨てるたびになんだか馬鹿らしくなっていくのだった。
なんで私はこんなくだらないことを気にしていたんだろうって。
そうしてついに、言いたくなることが思いつかなくなって、私は少しの間黙りこくった。
それから喋りすぎて火照った顔を振り向かせて、父に抱き着いた。
「おとうさん、ありがとう」
「はい。お役に立てれば、幸いです」
父は最後まで冷たくて心地よいメンテナンス・マシーンだった。
もっともそのあと、学校に対していじめの確認と訴訟の準備をしようとし始めたので、慌てて止めたけど。
それは煌めきというには地味すぎて、輝きというにはくすみすぎて、瞬きというには平坦だったけど、それでも、それは確かに私の胸の中でずっと私を生かし続けた思い出だった。
父は愛することが苦手で、私は愛されることが苦手だったけれど、それでも確かに、私たちは親子だった。
今も、思い出せる。
まだ赤ん坊だった私に、父はこう言ったのだった。
言葉なんてわかるはずもない、頭も座らないような生まれたての赤ん坊に、父は言ったのだった。
「はじめまして、閠さん。僕は
母を亡くして、たった一人になった父は、それでも迷うことなく私の小さな手を握ったのだった。
愚直なまでに不器用なその物語を、私はいまも確かに、受け継いでいる。
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