最終話 処女雪

前回のあらすじ


拉致られるウルウとリリオ。

二人の交渉とは如何に。






 男爵家の女中は優秀でした。

 私にあてがわれていた部屋にウルウと二人で押し込まれ、文句を言う間もなく逆らう隙もなく、私たちはするすると脱がされててきぱきと寝間着を着せられてしまいました。

 まだ昼なんですけど、なんていう暇もなく、年嵩の女中がどうぞと含みたっぷりにほほ笑んで、そして去っていってしまいました。


 静かな部屋に二人取り残されて、さて、どうしたものか。


 ちらりとウルウを見上げてみると、ウルウは呆然としたように閉ざされた扉を見つめていました。

 私の耳がおかしくなっていなければそれはつい先ほど音を立てて鍵が閉められていたのでした。

 辺境頭領の娘を監禁しようとしますか普通?

 するんですよ、辺境人。

 むしろ辺境界隈では、惚れた女相手に何もせずちんたらしてるほうが極度の奥手でおかしいという、情緒の欠片もない常識が横行してるんですよね。

 一番おとなしいのでも熱烈な恋文を送って花束贈ってなんなら熊とか狩ってきます。

 明日死ぬかもしれないので今日先っぽだけでもとかいう春歌が昔から残ってるくらいですからね。

 嫌なら本気で抵抗するでしょとかいう、都会なら顰蹙物の発想がまかり通る上に、嫌だったら本当にぶちのめそうとしてくるのが辺境人なんですよ。こわっ。


 などとちょっと面白おかしく呆れていますよみたいな空気を作ってみましたけれど、瞬時に吹き飛ぶほど脆弱な空気でした。

 ウルウは黙りこくって微動だにしませんし、私も何を言ったらいいものかわかりません。

 何か言いたい、何か言うべきだとは思うのですけれど、何も言えない、何を言っていいのかわからない、そんな具合でした。


 一応、嫌われてはいないと思うんです。

 ウルウは好き嫌いをあんまり表に出さない人ですけれど、それでも嫌いな人とずっと一緒にいられるような図太い人ではありませんし、それに、私の欲目でなければ、ウルウもまた旅を楽しんでくれていたように思うのです。

 ただ旅をするということではなく、私たちと一緒に旅することを、確かに楽しんでくれていたように思うのです。

 私を、私たちを、好いていてくれていると、そう思うのです。そう願うのです。


 でも、ウルウはとても繊細な人です。

 私が抱き着こうとしても放り投げたり、私が冗談を言っても塩対応してきたり、面倒な事件に巻き込まれても肩をすくめてやれやれとか言っちゃったりしますけど、でも、ウルウの心の深い所は、とても柔らかくて、傷つきやすくて、小さく震えているということを、私は何となく察しているのでした。

 私にはわからないことで傷つき、私にはわからないことで怖がり、私にはわからないことで壁を作るウルウ。

 だからゆっくりと、時間をかけて、その心に触れていきたいと、そう思っていたのでした。


 それがこんなことになるなんて。

 せめてそう思っていたことだけでもわかってほしいと顔を上げると、ウルウの静かな顔がそっと見下ろしてきました。


「わ、たしは、」

「リリオは」


 切り出そうとした私に、ウルウの静かな声が降ってきます。


「リリオは、私が好きなのかな。私を、そう言う対象として、見ているのかな。マテンステロさんの、悪趣味な悪戯とかじゃなくて」


 感情のこもらない声に私はうつむいて、それでも、そうだ、そうです、とそのように答えました。


「そう、なのだと、思います」

「そう、思う?」


 そう、思う。

 そうだと、祈る。

 そうなのだと、願う。


 いいえ。

 ああ、いいえ。

 本当のところを言えば、私自身にも、私の気持ちがよくわからないのでした。

 私には私の気持ちを感じることはできても、それに意味のある名前を付けることができないでいたのでした。


 私は人の心がわからないと兄に言われたことがありました。

 リリオ、可愛い妹、愛しい怪物、お前は人の心がわからないのだね、と

 ええ、ええ、そうかもしれません。みんなを見て、みんなを真似して、わかったようなふりをして、でも結局ずっとわからないままでした。

 私のなんでとみんなのなんでは、いつもいつも重なりませんでした。

 同じ場所で笑い、同じ時に泣き、同じものを見ているはずなのに、私の心はいつも一人でした。

 それでも私はわからないなりに、わからないままに、生きてきました。

 人はいつだって一番深い所では分かり合えないものですから、だから、そう、だから、私のこれもまたそうなのだと、諦めてきました。

 わからないものはわからないのだと、そう、思ってきました。


 でも私は、ウルウを、ウルウのことを、わかりたいと思ったのでした。

 わからないまでも、知りたいと思ったのでした。

 ウルウのことを想う気持ちを、知りたいと思ったのでした。

 まだ誰も名付けてくれない、まだ誰にも共感してもらえない、この気持ちを。

 この気持ちの名を、知りたいと思ったのでした。


 触れたい。

 護りたい。

 自分のものにしてしまいたい。


 欲しがる気持ちが、であるならば、これはきっとなのだと、思うのでした。

 なのだと、信じたいのでした。

 なのだと、願うのでした。


「私は、ウルウに恋をしているのだと、そう思うのです」


 顔を上げられないまま、私は自分自身でさえまとめられない気持ちを吐露し、自分自身でさえ説明できない思いを表明し、そして、恋心を、伝えたのでした。恋心だと思いたいものを、伝えたのでした。


 ウルウはしばらく黙って、私の言葉を反芻しているようでした。

 気の遠くなるような、でもきっと大したことのない時間が流れて、再び声が降ってきました。


「私は、私はね、リリオ。私の故郷は、あー、あんまり、同性愛が、女同士でっていうのが、あんまり普通じゃないところだったんだ。私自身、そう言うことを考えたことはないし、正直なところ、君の言うことには、なんていうか、困惑してる」


 それは、率直な言葉でした。

 変に飾ったりせず、素直な気持ちを、私に伝えようとしてくれているのでした。

 素っ気ないようなその言葉が、私の胸に絶望をよぎらせました。

 心臓がひび割れた硝子のように軋むのを感じました。

 こんな気持ちになるのならば、もっとはっきり言ってほしいと思うくらいでした。


「でも」


 うつむいた私のうなじあたりに、その声は困ったように降ってきました。


「困ったことに、なんでか、なんだか、嬉しく感じちゃう私がいるんだ」


 驚いて見上げた先には、背中を向けたウルウの姿がありました。

 いつも見惚れるほどにするりと伸びた背は、なんだか奇妙に傾いて縮こまり、豊かな髪の間からのぞく耳は、鮮やかに色づいているのが見て取れたのでした。

 寝間着を所在なげに握った指先が、意味もなく開いたり閉じたりしているようでした。


「それは、その、つまりあの、」

「待っ、て、その、あー、うれ、しくは、あるし、私も、リリオのこと、たぶん、きっと、嫌じゃない……嫌じゃない、けど、その、考え直した方が、いいと思う」

「考え直すって……なんでですか?」

「私、あの、面倒くさいし」

「知ってます」

「その、あー、絶対、無理って言っちゃうこともあると思うし」

「善処します」

「あ、あと、あの、あの」


 ウルウはしばらく、あの、とか、えーと、とか意味をなさない言葉を繰り返して、それから、しゃがみこんでしまいました。顔を覆って、精いっぱい身を縮こまらせて、何かから身を護ろうとするように、隠れようとするように。


 なにこれかわいい。


 ではなく、普段と違いすぎるウルウの姿に困惑していると、蚊の鳴くような声で何事か言いました。


「えっ?」

「わ、割と最悪なこと言うんだけど……」

「えっ」

「わ、私その、わがままっていうか」

「わがままなのは知ってますけど」

「そうじゃなくて、そうだけど、その、と、トルンペート!」


 がたん、と音がしましたけどそれどころじゃなくて。


「わ、私、わたし、その、トルンペートのことも好きなんだ」

「えっ、私もトルンペートのこと好きですけど」

「そ、そうじゃなくて、あの、トルンペートも、大事で、リリオも、その、大事で、ふたりとも、あの、」


 口ごもるウルウでしたけれど、私は何となく察しました。

 そしてすっかりトルンペートのことを忘れていた自分を恥じました。

 いえ、その、ずっと一緒にいるのが当たり前だったので、ずっと一緒にいるのが当たり前なので、ずっと一緒にいるだろうことが当たり前と思っていて、今更トルンペートを外して考えるなんて、想像の外でした。


「私も好きですし大事です」

「えっ」

「ウルウも好きです、大好きです。トルンペートも好きですし、大好きです」

「えっ、えっ、あっ?」

「二人とも私が幸せにしますので、大丈夫ですよ。心配ありません」

「えっ、あの、リリオの方が割と最悪なこと言ってない?」

「そう、なのでしょうか?」

「え、ええぇ……?」


 懐の広いところ、安心できるところを見せたつもりだったのですけれど、ウルウは困惑した様でした。

 しばらくうんうんと唸って、そして一人で考えるのは諦めた様でした。


「と、トルンペートはどう思ってるのさ!?」

「うぇあっ!?」


 突然叫んだウルウに、がたんと衣裳棚が開いて、中からトルンペートがまろび出てきました。

 なんだトルンペートか。


「…………えっ」

「なっ、なに!? なんでばれたのよ!?」

「最初からいたでしょ! メイドさんに紛れて隠れてたじゃん!」

「わ、わかってたなら言いなさいよ!」

「えーと」

「それどころじゃなかったんだ! い、一杯一杯だったんだから!」

「な、泣くことないでしょ!」

「泣いてない! 助けてくれると思ってたのに!」

「あ、あの?」

「だ、だって仕方ないじゃない! 邪魔しちゃ悪いと思って!」

「覗き見してたのに!?」

「きき、気になっちゃったんだもの!」

「ヘタレ! 意気地なし!」

「なによ臆病者! 腰抜け!」

「あのですねッ!」

「なによチビ!」

「なにさバカ!」

「単純なだけに刺さる!」


 醜く言い争っていた二人の間に割って入り、私は仕切りなおすことにしました。


「あの、全部聞いてたっていうか、見てたんですよね」

「うっ、ぐ、ま、まあ、そうよ。なによ。文句あんの」

「いやあの、文句と言いますかあの……あー」


 何といったものか。

 私はとりあえず、端的に現状をまとめることにしました。


「私」

 自分を指さして、

「あなたたち」

 二人を指さして、

「告白しました」

「あー」

「うー」

「ので、その、一応、返事とか欲しいなー、なんて、思ったりするわけでして」


 なんて、言ってみたりすると、二人とも黙り込んでしまいました。

 真っ赤な顔で黙り込んでしまいました。

 ものすごく気まずい沈黙にさらされているんですけれど、もしかして私すごく恥ずかしい状況にあるんじゃないでしょうか。

 割と勢いで物を言ってたんで記憶があれなんですけど、ドヤ顔キメ声で二人とも幸せにしますとか言っちゃってた気がします。

 

「わ、私は答えたから」

「あっ、ずるっ!」

「ずるくない。なあなあで誤魔化そうとする方がずるい」

「そもそもあたし直接言われたわけじゃないじゃない!」

「ああ、そうでした。トルンペート、好きです、大好きです。ウルウと二人とも幸せにします」

「んっ、ぐ、がぁ……はぁー……ずっる。ずるい」

「リリオずるいよね」

「ずるいわ。さすがリリオずるい」

「えっ、なんで私責められてるんですか」

「ずるい。ずーるーい」

「そうだーずるいぞー」

「ええ……なんですかこれ……」


 なおこの茶番、全員顔真っ赤でやってるんですよ恥ずかしいでしょう私は恥ずかしいです。


「……トルンペート」

「あによ」

「私も、その」

「あー、ばか、やめて、いまはやめてちょっとマジで」

「私も、トルンペートのことが好きだよ。大事だ。ずっと一緒にいてほしい」

「うがぁー、あー、もう、あーもう、はぁー、ばか、すき」

「えっ」

「えっ」

「あたしも、好きよ。好き。あんたたちのこと、好き。大好き。どうよ。これで満足?」

「大変満足しました」

「わ、私はもうちょっと言ってほしいかもしれない」

「あんたもうほんとその、はぁー、なに? なんなの? 私を殺したいの?」

「えっ、なんかごめん」

「ばか。すき」

「うん」


 なおこの茶番、全員顔真っ赤でやってるんですよ恥ずかしいでしょう私は恥ずかしいです(二度目)。


「ところで」

「なによ」

「これさ、どこまでが交渉なの?」

「はあ?」

「鍵あかないんだけど」


 ウルウに言われてトルンペートが扉に向かいましたが、確かに鍵はかかったままでした。


「うぇあ。ああもう、壊すわけにもいかないし……」

「これさ、交渉が終わるまで開かないってこと?」

「終わるまでって何よ終わるまでって、大体やることやってあー、なに? あんたそう言うこと言いたいの?」

「多分、そう言うこと」

「えー、あー、いやまさか、でもないとも言い切れないのが」


 二人して何やらもごもご言い合っていますけれど、どういうことでしょうか。

 私が首を傾げていると、ウルウが本当に困った顔をしました。めったに見れない顔です。

 へんにゃりと眉が曲がって、とても情けない顔をして私を見ています。


「え、や、だってリリオ子供だよ?」

「成人はしてるのよ、あれでも」

「私の中で十四歳は子供なんだけど」

「鉱山では土蜘蛛ロンガクルルロの後を歩け、よ」

「知らない諺だけど言いたいことは何となくわかる、わかるけど、えー、でも、えー」

「もう、なんですか二人とも、私だけ仲間外れにして」

「そう言うわけじゃないんだけど、えーと」

「肚ァくくってなさい、あたしが説明したげるから」

「うーん、むう」


 一人悶絶するウルウを置いて、トルンペートががっしり私の肩をつかんできました。


「あんた、ウルウを嫁さんにする交渉のために閉じ込められたのよね」

「はあ、ええ、まあ、そうですけど」

「口先で了承を得ましたなんて言って、閣下が、っていうか奥様がこの鍵開けると思う?」

「いや、ないと思いますけど……え、じゃあどうしたら」

「決まってるじゃない。嫁さんとすることしろって言ってんのよ、これ」

「えっ、あー……えっ。ですか?」

なんでしょうね」


 さすがに鈍い私も察しました。

 察してしまいました。

 おずおずとウルウを見上げてみれば、雪のように白い肌はすっかり赤く染まって、なんていうか、その、あの、誘ってるんですかこの人?

 勿論そんなことはなくて、むしろ私を子供とばかり思っているウルウなのでとても困っているのでしょう。

 私もとても困っています。

 その、私はあの、ウルウのことをなので、をするというのはやぶさかではないどころか、あの、大変大歓迎なんですけれど、なんですけれどその、ウルウがこれでは何というか。


 ウルウは何とか覚悟を決めた様で、強張った顔で宣言しました。


「わ、私が一番大人なので、なんだけど、なんだけどさ」


 なんだけどなんでしょうか。


「恥ずかしい話、この年まで経験がなくて、その、全然わかんないんだ」


 煽ってらっしゃる?

 むしろこれ、私の方が無垢な子供に手を出してるようでものすごい背徳感があるんですけどなんですかこのでっかい幼女。


「だから、あの、その……よ、よろしく?」


 私たちは冷静になるために少し間を置き、そして、支度に入りました。


 私はいま、寝台に腰掛け、両手をそれぞれウルウとトルンペートに取られていました。

 右手を恐る恐る取ったウルウが、ぱちり、ぱちりと、音を立てて私の爪を切っています。

 土蜘蛛ロンガクルルロ製の細やかな細工の施された爪切りが、ウルウの手の中で柔らかく握られ、私の爪を丁寧に切っていきます。


 私の左手の爪はすでに切り終えていて、それをトルンペートが仕上げのやすりがけをしてくれていました。

 深爪気味に切られた爪が、丁寧に丁寧に磨かれて角を落とされ、つるりとした肌をさらしていきます。


 美女と美少女に挟まれてお世話されているというすさまじく贅沢な状況の上、その二人は私の好きな人で、二人も私も好きなのでした。

 意味がわからないほどの多幸感に包まれて呆然としていると、トルンペートがにやけるのをこらえているような複雑な顔でぼそりと呟きました。


「これって、ねえ」

「はい」

「ただの爪のお手入れではあるんだけど」

「はい」

「これから自分に触れるものを自分で準備するのってすごい、あの、


 まじまじと見てみると、トルンペートの目付きは大分、その、あれでした。

 お世話好きの女中精神に、さらに特殊な状況が合わさって、冷静に見えて中身は大変なことになっているようでした。


 ウルウは、と振り向いてみると、爪を切り終えたウルウは丁寧にやすりがけしてくれているところでした。

 ああ、よかった、こちらはまだ大丈夫そうです。


「リリオの指、ちっちゃいね」

「あはは」

「これ、この、ちっちゃくて、細い指が」

「あは、は?」

「これが……これが……」


 あ、こっちも駄目でした。

 駄目です。冷静なのが私しかいません。

 これはもう私がなんとかするしかありません。


 などと思っていましたけれど、ウルウの爪を二人がかりで切るにあたって、私もこの行為の異常性と高揚感に気づかされるのでした。

 最後にトルンペートの爪を切るころには私たちは三人とも相当に相当なことになっており、仕上げ終えた時にはすっかりの準備が整ってしまっていたのでした。


 結局、私たちはその後、夕食を取ることも忘れ、朝日が差すことも気づかず、疲れ果てるまでに励んだのでした。






用語解説


・ずるい

 ずるいのだった。


・鉱山では土蜘蛛ロンガクルルロの後を歩け

 郷に入っては郷に従えと似たような意味。

 専門家のやることに口出しするなという意味でも使われる。


・でっかい幼女

 この女、二十六年間処女をこじらせているのである。


・爪切り

 繊細な部分を傷つけるといけないので。


・交渉

 さくやはおたのしみでしたね。

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