第10話 白百合と亡霊の顔

前回のあらすじ

少女の寝顔をおかずに少女の朝ご飯を食べつくし涙する閠。

この地に警察などいない。





 亡霊ファントーモと歩く森はなんだか不思議な感じでした。


 連れと言えば連れなのですけれど、亡霊ファントーモはある程度の距離を取って付いてくるだけで、私が何かしている時はのぞき込んできたりしますけれど、それ以外は話しかけてくるわけでもありません。


 私の方も亡霊ファントーモに話しかけることはありませんでしたし、見つめることもせず、時々気づかれないように様子を窺うだけでした。

 というのも、亡霊ファントーモは私が気付いていることに気付いていないようで、だからこそ安心してついてきているという風情だったので、何しろそろそろ寂しさが募ってきた私としては、迂闊なことをしてこの奇妙な連れを逃がしたくなかったのでした。


 なんとなく距離感に慣れてきたような、まだ掴みかねているような、そのような具合のまま、私は今日の野営地を決めました。


 野営地を決めるときのコツは、火をおこしやすいように開けていること、危険な獣や植物の気配がないこと、またここのように旅人の通る道であれば、野営地として何度も使われているうちにそのあとが残りますから、それを目安にすると楽です。


 ゴミ捨て場兼用足しの穴を掘りながら、ふと私は気づきました。亡霊ファントーモは、その、のでしょうか。つまり、人間生きていれば食べるわけで、食べればその、わけで、だから私もこうしてそののために穴を掘っているわけで、でも命がない、体もない亡霊ファントーモはどうなのでしょう。出ないのでしょうか。


 間抜けな好奇心からちらと様子を窺おうとして、そして私は全く突然にに思い至って、思わず勢いよく亡霊ファントーモを振り向いてしまいました。


 亡霊ファントーモはきょろきょろとあたりを眺めているようですけれど、しかし、いつもは私のあとをつけてきて、まるで観察でもしているようにじっと見つめてくるのです。そう、観察、観察されているのです、私は。それが生者を羨むが故の行動なのかどうかは定かではありませんけれど、問題はこのまま観察されたら、私は見られてしまうのです。その、なんです。この穴の使をご披露しなければならないわけです。


 いくら相手が亡霊ファントーモであるとはいえ、さすがに用足しをまじまじと観察されて何とも思わないほど私も図太いわけではありません。しかし亡霊ファントーモの見えない位置に移動しようとしたところでついてきてしまうでしょう。できるだけ隠そうとしたらのぞき込まれるかもしれません。さすがにのぞき込まれた状態で用を足せる神経はしていません。まだ現状のこの距離の方がましというものです。


 こうなれば覚悟を決める外ないと、決死の覚悟で穴を掘ったにもかかわらず、ちらっと様子を窺った時にはふらっとどこかへ姿を消していました。


 助かりました。助かりましたけど、何とも納得がいきません。見られたいわけではありませんけれど、なんだかこう、空回った感じがすごくします。


 なんだか気が抜けてしまった私は手早く用を済ませて、それからそそくさと穴を埋めました。いつもはゴミ捨て用の穴としても使っていますけれど、さすがにその、を見られたくなかったので。


 無性に疲れたような気持ちを引きずりながらも、せっかくいろいろ手に入ったのでご飯の支度を進めました。


 鴨鼠ソヴァジャラートの羽をむしり、頭を落として腹を裂き、内臓を取り出して水で洗い、軽く塩と香草を摺りこんで、皮がきちんと張るように木の枝を刺して竈の火であぶります。


 時期を見計らって沸かした鍋で松葉独活アスパーゴ葶藶アクヴォクレーソをさっと湯がき、折角なので残った湯でとっておきの甘茶ドルチョテオを煮出します。あの不思議な果実ほど甘いものではありませんけれど、暖炉の傍で温かな甘茶ドルチョテオを飲むのはとても心地よい時間でした。


 ふわっと立ち上る爽やかな果実のような香りを楽しみ、私は久しぶりの甘茶ドルチョテオに口をつけます。舌に広がる甘味と、そしてわずかな渋み。この渋みが子供の頃は少し苦手でしたけれど、しかし渋みがあるからこそ甘味が引き立ち、そしてまた味を平たんではなく立体的にしてくれるのです。


 私はまず松葉独活アスパーゴ胡桃味噌ヌクソ・パーストをつけてぱくりと穂先をかじりました。しゃき、くりゅ、と硬いような、柔らかいような、不思議な歯ごたえです。すっかり地上に出てきたものは緑色に染まってもう少し歯応えがはっきりしていて食い出もあるのですけれど、白い松葉独活アスパーゴははなんといっても、貴婦人の指先などというあだ名がつくほどのしっとりとした柔らかさとふわりとした甘み、それにわずかな苦みが何とも言えずたまりません。


 葶藶アクヴォクレーソは辛味の強い山菜です。苦みもあってまさしく山菜といった風情で、肉のおともには何とも心強いさっぱりとした後味の葉物です。これをさっと茹でて、茹ですぎないというのが肝心です。生でも食べられるくらいアクのない山菜なのですけれど、しかしさっと茹でてやることで少し甘味が出て、それに歯応えがずっと良くなるのです。


 さて、いよいよ本命です。


 鴨鼠ソヴァジャラートは成獣でもそれほど大きくならない小動物で、身もそれほどたくさんはついていないのですけれど、何といってもたっぷり蓄えられた脂がおいしいのです。あぶっている時からすでに、ぽたぽたと火に落ちては香ばしい香りを上げて私の胃袋をいじめてきました。これはもう待てません。


 私は大きく口を開いて齧り付き、この罪深ささえ感じるほどのうまみに頬を綻ばせました。肉を噛み締めるとまず香ばしく焼き上げた分厚い脂がかりっ、ぎゅっと歯を受け止め、じゅわっとたっぷりの脂を吐き出してくるのです。それに気をよくしてさらに歯を突き立てると、今度はむしろさっくりとした歯応えの肉が受け止めてくれます。脂だけでは少しくどいし、肉だけでは物足りない。鴨鼠ソヴァジャラートはその二つが神の御業としか思えない釣り合いで同居しているのでした。


 森の恵みは数あれど、森で取れる肉で最もおいしいのは、まず鴨の類といっていいでしょう。


 私は半身を丸々平らげて、いつものように残りを朝ごはんにしようと考え、そして待てよと思いました。


 ちらとわずかに視線を向けると、そこにはこちらをただ黙って観察している亡霊ファントーモの姿がありました。

 亡霊ファントーモもご飯を食べるのでしょうか。生きていないのに、体がないのに、ものを食べるのでしょうか。


 少しの間考えて、私は残り物を革袋で軽く包み、そしてほんの少し亡霊ファントーモの方に押し遣って、毛布にくるまってしまいました。


 亡霊ファントーモがものを食べるかどうかはわかりません。でも仮にも旅の連れですし、食べられるなら一緒に食べた方がいいに決まっています。気になるようでずっと見つめていますし、折角なので食べてほしくもあります。朝ご飯がなくなるのは困りますけれど、まあまだ木苺ルブーソはありますし、明日はこれで済ませてしまいましょう。


 なんだか気になって寝付けないまま、そっと目を開けてみると、亡霊ファントーモが思いのほか近くにまで接近していて驚きましたが、なんとか息を殺して見守ります。


 亡霊ファントーモは恐る恐るといったように鴨鼠ソヴァジャラートの肉を手に取り、頭巾に隠れてよく見えませんけれど、口元にもっていきました。どうやら亡霊ファントーモもものを食べるようです。


 亡霊ファントーモは一口食べるや驚いたように身を振るわせ、ものすごい勢いでもくもくと食べ続けました。しかし、がっつくような勢いではありましたけれど、不思議と下品な所がなく、もしかすると生前は良家の方だったのかもしれません。ちゅうちゅうと骨をしゃぶる様子はなんだか色っぽくさえあり、また残った骨をどうしようと困ったように視線を迷わせ、私の残した骨にそっと重ねる様子はかわいらしくもありました。


 続けて松葉独活アスパーゴ葶藶アクヴォクレーソを私の真似をするように食べ、また残った鴨鼠ソヴァジャラートも丁寧に平らげ、ようやく人心地付いたように、亡霊ファントーモは鍋の甘茶ドルチョテオを湯飲みに移して、ふうふうと冷ましながら口にしました。


 そこで私はようやく、亡霊ファントーモの横顔が、竈の火に照らされて見えるようになりました。


 それは初めて見るような異国の雰囲気を持った顔立ちでした。

 ほっそりとした顔は紙のように白く、小ぶりな鼻はどこか知的で、薄い唇は甘茶ドルチョテオに暖められて赤く色づいていました。わずかに伏せられた目元はどこか寂しげで、泣き黒子が不思議に蠱惑的でした。そのような顔立ち以上に私を困惑させたのは、その頬を伝ってほろほろと流れ落ちる涙でした。


 なんだか隠されていた秘密を暴いてしまったような、見てはいけないものを見てしまったような、罪悪感と不思議な高揚に私は動揺し、毛布の中できつく目を閉じて夢の中に逃げ込むほかにありませんでした。


 いつの間にか眠りに落ちていた私は、朝起きていくつかの不思議なものを見つけました。

 昨夜食べてしまった鴨鼠ソヴァジャラートのお返しとでもいうのでしょうか。見たことのない美しい果物がそこには並べられていたのでした。この前の果実と同じ赤いものもありましたから、あれもどうやら亡霊ファントーモがくれたもののようでした。


 私がこの素敵な贈り物の贈り主を探して頭を巡らせたところで、もうひとつの不思議なものを見つけたのでした。


 すっかり火の絶えてしまった焚火を挟んで向かい側に、黒いものがうずくまっていたのです。


 息を殺して近づいてみると、それは確かに亡霊ファントーモでした。それも、すやすやと穏やかな寝息を立てて眠っていたのです。起こしてしまうかもしれないと思いながらも、私は彼女の頬にそっと指を伸ばしていました。


 氷のように冷たいかもしれない。もしかしたら触ることさえできないかもしれない。そんな不安と裏腹に、私の指先はほのかに温かな柔らかい感触に、確かに触れることができたのでした。


 私は不思議な感動とともにそうしてしばらくの間彼女の頬の暖かさを指先で味わっていました。


 彼女は亡霊ファントーモかもしれないし、そうではないのかもしれない。

 でも確かにここにいて、霧や霞のように消えてしまうことなどないのだ。


 そのことがなんだか言いようのない安心感を私に与えてくれました。


 涙の後の残る頬をもう一度だけ撫でて、私は今日という一日をまた新たに始めるのでした。





用語解説


・甘茶(ドルチョテオ)

 甘みの強い植物性の花草茶。


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