第二話 白百合と旅支度

前回のあらすじ


オーロラを見てみたい。

叶えてあげたい、そんなささやかな願い……。

よっしゃ旅支度すんぞ。

えっ。






 さあ、北の輝きノルドルーモを見に行くとなったら、支度をしなければなりませんね!

 ただ見るだけなら庭から空見上げてるだけでいいんですけれど、でもそれではとびきりのとは言えません。

 この御屋形はなんだかんだ臥龍山脈のふもとなのでいうほど空も見えませんし、雰囲気に欠けるというものです。


 思い出しますねえ、懐かしいものです。

 私が子供の頃、やってきてくれたばかりのトルンペートは、北の輝きノルドルーモを見上げてとても驚いてくれました。

 それがなんだかとっても可愛らしくって、嬉しくって、私は一番きれいな北の輝きノルドルーモを見せてあげたくなったんです。

 辺境にすっかり慣れて、まあこんなもんよねって見飽きてしまう前に、とびっきりの輝きを見て、ずっと覚えていて欲しいなって、そう思ったんです。


 だからトルンペートの手を取って、ふたりで北の輝きノルドルーモを見に行ったんですよね。

 ああ、いまでも覚えています。あの日の北の輝きノルドルーモの鮮やかな輝きを。

 空一面に輝く薄絹のようなものが揺らめきながら広がっていって、まるで私たちを迎えてくれたみたいでした。

 トルンペートもとても感動してくれて、ぽろぽろと涙をこぼしながら空を見つめていましたっけ。


 その後すぐに目から光が消えそうになりましたけど、追いかけてきていたペルニオたちが修理してくれましたのでなんとかなりました。

 いやー、あの時は大変でしたね。私もとっても叱られてしまって。

 私もさすがに成長しましたので、ちゃんと壊さないようにできるようになりましたとも。えへん。

 ウルウはなんだかんだ壊れないのでちょっと甘えちゃいますけど、あんまりやると怒らせてしまいますので気をつけないといけませんね。


 冒険屋として荒くれを相手にしているので忘れられがちですが、私もこれで貴族の令嬢です。

 ウルウも見直すような、ご令嬢の差配というものを見せてやりますよ!


「……見せて差し上げますわよ?」

「なにさ急に気持ち悪い」


 ぐへえ。

 まあ言葉づかいではないですよね。そう言う安直なのはダメですよね。

 気を取り直して、早速支度を進めましょう。


「トルンペート」

「ええ。幸いなことに、天気予報もしばらくは晴れ続き。気温も低めで夜空も良く見えそうよ」

「なるほど。では、」

「馬車はちょうど買い出し用のが空いてたから、一式詰めてもらったわ」

「それでは、」

「あたしたちも荷物は殆ど解いてないし、厨房に食糧詰めてもらったら終わりよ」

「…………これがお嬢様の差配ですことよ!」

「うーん、あながち間違ってもないような」


 まあ、主人の意図を正確にくみ取って差配する優秀な侍女こそが、お嬢様の価値を高めるわけですよ。

 そういうことにしておきましょう。

 実際問題としても、普段家のことに口を出さない私があれこれ言うより、家の備品や備蓄について詳しいトルンペートの方が効率がいいのは当然なんですよね。

 なんなら私は御屋形に何台の馬車があるのかもよく知りません。


 トルンペートがてきぱきと指示を出して使用人たちと準備を整えていってしまうので、お嬢様は暇になってしまいました。

 うーん。

 私たちの手荷物の準備を、と言っても、かさばる荷物はウルウの《自在蔵ポスタープロ》に入ってますし、鎧なんかはすぐに装備できるようにしてますし、なんならふらっと旅に出ることもできるんですよね、私たち。

 いままで旅続きの冒険屋でしたからね……今の長逗留が例外なわけで。


 ウルウも手持ち無沙汰になって、ふらっとどこかへ行ってしまったので、いよいよ私はやることがありません。

 仕方がないので、ここはうちの愛玩動物たちを愛でようと思い立ちました。

 久々に帰ってきたときも、一通り愛でたのですけれど、しばらく会っていないうちに距離感ができちゃったんでしょうかね、ちょっと塩対応されてしまいました。

 なのでここはちゃんと、私が飼い主であること、私がお前たちを忘れたことなんかなくて今でも愛情を注いでいますよと言うことを、伝えておかないとですね。


 うちの愛玩動物たちは、辺境の動物のご多分に漏れずみんな大きいので、小さな小屋では窮屈ですから、基本的に放し飼いです。

 御屋形の中をうろついたり、庭でうろついたり、好きに過ごしています。

 もちろん、みんな賢いので、そこらで粗相をすることもありませんし、使用人に悪戯することもありません。うっかり花瓶を割ってしまうことさえありません。

 なので昔はよく、この子たちはできるのにお前はどうしてなんでもかんでも壊してしまうんだろうねとお父様に叱られたものです。


 まあ私のおてんばな子供時代のことはともかくとしまして、いまはうちのかわいい子たちを可愛がってあげなければいけません。

 しかし動物というのは気ままなもので、こちらがかわいがってやろうとするときに限ってそっぽを向いてしまうもので、私が撫でてやろうとする前にふいっと去ってしまいます。

 さては私がしばらく留守にしていたので拗ねているんでしょう。可愛い連中です。


 どこかにちょうどいい可愛がり対象はいないかとうろついていたところ、階段のてすりにもたれかかったマルマーロを発見しました。ぷすーぷすーと平和な寝息が聞こえてきますね。

 この酔っぱらいが帰宅途中で力尽きたような寝姿を見せるシロクマは、凍った湖で溺れていたので助け上げて、家に連れてきてあげたのでした。


 マルマーロは寝るのが大好きで、どこでも寝てしまいます。

 退屈した私が寝ているところを無理に構おうとして、お父様によく叱られたものです。

 そっとしてあげましょう。


 うーん。動物たちのことを思い出すたびにお父様の影がちらつきます。

 それで、ふと思い立って家族も誘ってみることにしました。

 せっかく実家に帰ってきたのに、なんだかんだ家族間交流が乏しかった気もしますし。


 しかし、これは失敗でした。

 たまには家族旅行なんかどうでしょう、なーんて言い出すのはいつも仕事で外に出てる家のことなんか何にもわかっていない男親が相場らしいですけど、私もそうだったかもしれません。


 お父様の執務室を尋ねてみると、長椅子でお母様とお茶をしているところでした。


「ええ? 北の輝きノルドルーモ? ああ、あのきらきらしたやつね」

「そうです。ウルウが見たことないって言うので、見に行こうかと」

「うーん私はいいわ。寒いもの」


 まあ、お母様は冬場は一歩たりとも外に出ませんもんね。

 飛竜でも出たら暇つぶしに行くかもしれませんけど、前科があるのでもうお父様が出してくれない気もします。


「当主が気軽に出歩くわけにもいかん。お前たちだけで行っておいで」


 そのお父様はと言うと真面目なもので、涼しい顔でそんなことをおっしゃいます。

 はあ、まあ、辺境の棟梁としてご立派だとは思いますけど。


「近くありません……?」

「だって寒いんだもの」

「ふ、夫婦ならこのくらいの距離は普通だ」


 お父様、普通の夫婦は、ぴったりくっついて腰を抱かれて一枚の毛布にくるまれたりしないと思います。

 あと毛布の下でもそもそいじられたりもしないと思います。

 お母様はもっと自重すべきだと思いますし、お父様はもう、なんかもう、アレです。


 昼間っからというか、もしかしたら小休止中だったのかもしれません。

 自分の親のそう言う一面を見るのは、何とも言えずもにょりますね。


 そんなもにょり顔でティグロを訪ねたら、何にも言わないうちから察してくれたのか、苦笑いであったかいものを出してくれました。


「まあ、僕もちょっとどうかなって思うけど、あれでも随分寂しかったみたいだからさ。あれも愛の形ってことで、見ないふりしておこう」


 お父様と似た美貌の、でもお母様と似たいたずらっ気のある口元が、そんなことを言います。

 ううん、ティグロは私と二歳しか変わらないのに大人ですね。この年頃の二年というのはそれほどまでに大きいのかもしれません。

 なんというか、頼もしさと悔しさみたいなものがまじりあいます。


 昔はティグロにもよく遊んでもらったものですけれど、帰ってきてからは何となくウルウたちとばかり過ごしていて、すっかりご無沙汰だったかもしれません。

 なのでいい機会だし、一緒に行きませんかと誘ってみたのですけれど、ティグロは私の頭をわしゃわしゃ撫でまわして言いました。


「ああもう、リリオ、僕の可愛いリリオ、本当にお前は可愛いことばかり言うね。そりゃあ僕だって行きたいさ、行ってあげたいともさ。でもねえ、でもリリオ、僕だってそんなに野暮じゃあないよ」

「野暮?」

「新婚旅行くらい、水入らずで楽しんでおいて」

「しんこんりょこう」


 馬鹿みたいに繰り返した私に、ティグロは悪戯っぽく笑うのでした。






用語解説

・貴族の令嬢

 もはや誰も期待していないが、この娘、一応辺境伯の令嬢なのである。

 帝国ご令嬢ランキングみたいなものがあれば頂点争いしてもいいくらいの格なのである。

 なお実態はお察し。


・マルマーロ

 リリオのペット。体長三メートルちょっとの雌のシロクマ。

 湖でアザラシを捕っていたところ、運悪くリリオに襲撃され、咄嗟に死んだふりをしたところ家まで拉致られて現在にいたる。

 賢くふてぶてしく、特技は寝たふりと死んだふり。

 よく二本足で立ち、肩をすくめるようなアメリカン仕草をする。

 中におっさんが入っているのではないのかと疑われるレベルで仕草がおっさん。


・新婚旅行

 帝国にも新婚旅行の風習はあるようだ。

 定番としては風光明媚な観光地や、歴史ある帝都、近年では海を挟んだ華夏に向かうカップルも。

 とはいえ交通手段が限られているため、お金と余裕がある富裕層の習慣のよう。

 一般的には実家や親戚巡りなど、近場で済ませる傾向がある。

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