第六話 鉄砲百合と激しい朝

前回のあらすじ


うかつに格好つけて決め台詞なんて言うもんじゃないという教訓。






 なんか最近、女中らしい仕事してなくて駄目になりそうな気がするわね。

 お世話されるのってどうにも落ち着かなくって、今朝はうっぷん晴らすみたいに二人の着替えを全て手伝って、髪のお手入れまでしたわ。時間があったら爪にやすりまで当ててたわね。リリオが相変わらずいぎたないから、もう。


 今頃はもう女中たちはみんな仕事に精を出しているだろうに、あたしはこうして寝ぼけ眼の二人をかいがいしくお世話することしかできないなんて。ああ、歯がゆい。


「私が言うことじゃないけど、トルンペートも大概ワーカーホリックだよね」

「わーかー?」

「お仕事大好き病」

「あー、うん?」


 字面は前向きだけど、とても皮肉のこもったいい方なんでしょうね、これ。

 まあ確かに、ちょっとした強迫観念みたいなのがあるのかもしれない。働かなきゃ、みたいな。

 そりゃ、好きでやってるのもあるけど、でもやらなきゃ、って言うのも、確かにあるのよね。


 たまにはのんびりしなよ、なんて言われて、まあちょっとくらいはて思っちゃったけど、二人がかりで髪をいじられているときに女中どもが朝食の案内に来たときは、どうしてやろうかと思ったわ。その表情筋が耐え切れなくなった時がお前の最後だと知るがいいわー。あっ、いまにやってした! にやってした! くっそ!


 言葉ではなく生暖かい目線と空気で散々にいじられながら、あたしたちは女中に連れられて食堂に向かう。食堂って言っても、昨夜の正餐に用いたようなのじゃない。もうちょっと気楽に使えるような小さめの部屋だ。まあそれにしたって、貴族の邸宅の中での話だけど。


「ね、ね、トルンペート」

「……なによフロステーモ」


 あくびを漏らす二人の後ろで、あたしにちょっかいをかけてきたのは女中仲間だ。狼の獣人ナワルだけど、ふさふさの耳と尻尾からじゃ、人懐っこい馬鹿犬にしか見えない。今もはしたなく尻尾を振りながら、にまにま笑顔でひそひそ話を繰り出してくる。


「にひひ、聞いちゃったよー、聞いちゃったよォー、おぜうさまとよめじょ取り合ってどろどろの三角関係なんだってー?」


 子供のようにあどけなく屈託のない笑顔から、えげつない発言がまろび出る。相変わらずゲスい女だ。女中仲間の中で、胡散臭いうわさ話を一等に広めるのはいつもこの女だった。それを楽しんでた一人だから、悪しざまにいう気はないけど、でも自分が対象になると確かに気持ちのいい話じゃないわね。


 あたしは肘で小突いてやって、ため息を一つ。


「誰がどろどろよ。誰が。うちはいたって健全なお付き合いしてるわよ」

「へーえ? なァんだー、面白くないの。昨夜も普通に寝ちゃったみたいだしー」

「なっ、あんた盗み聞き、」

「あ、やっぱりそうなんだー。初心だねー」


 ぐぬぬ、かまをかけられたみたいね。

 馬鹿っぽい顔して抜け目がないから、嫌になる。


「でもさー、でもさァー、実際どうなわけ? 夜はさー、三人で蛇みたいに絡まるの? それともあのでっかいよめじょに、」

「うへっ、あーい、ごめんなさーい、反省してまーす」


 調子に乗った馬鹿犬に釘を刺したのは、あたしじゃなくて先導する二等武装女中ルミネスコだ。天狗ウルカ特有の感情の読みづらい目がちらりとこちらを見やり、すぐに戻った。

 天狗ウルカは大概お高く留まったところがあるけど、ルミネスコの氏族である白頭キ・ガはそれに加えてちょっと冷たさがある。空を飛べない代わりに、凍てつく海の中を泳ぐ白頭キ・ガは、価値観が人とは異なる、らしい。


 フロステーモは秘かに舌を出す。ルミネスコはそれをわかっていて、何も言わない。

 フロステーモは感情を出し過ぎで下品だし、ルミネスコは無表情すぎて面白みがない。

 女中って言うのはなかなかちょうどいいのがいないわね。

 あたし?

 あたしは専属だからいいのよ。リリオ向きに調整されてるから。


 あたしたちの小声のじゃれ合いを、それでも多分聞き取れていたんだろうウルウは、何とも言えない顔で鼻先をかいて、それからぼそりと言った。


「それにしても、リリオのお父さんが復活してるんなら、マテンステロさんとまた喧嘩するんじゃないの?」

「あれを喧嘩って言うのかしらね……」

「さすがに、一晩休んですっきりしたでしょうし、屋形の中でまで暴れませんよ。多分。きっと」


 まあ、あたしもリリオも絶対にとは言えないわよね。

 お二人の仲のいい姿しか知らないし、あれだけ大荒れに荒れる御屋形様って見たことなかったし。

 目を覚まして、冷静な頭で今度こそ監禁しようと思い立ったら、何をなさるか分かったもんじゃないもの。

 とはいえ、もしそんなことになってたら、朝食前にすでにひと悶着あるでしょうから、いまこんなにのんびりもしてられないわよね。


 途中でティグロ様とその武装女中フリーダと合流してから食堂にたどり着き、ルミネスコとフロステーモが両開きの扉をゆっくりと押し開く。

 暖かな暖炉の熱がゆらりと漏れ出し、そしてその先に御屋形様と奥様がおられた。


 正確に言うと、抜身の剣を弱々しく辛うじて握った御屋形様と、それを抱きすくめてねじり込むような口吸いで黙らせている奥様の姿があった。


 速やかに扉が閉じられ、冷や汗で尻尾の先まで湿ったような顔のフロステーモと、平然とした顔のルミネスコが振り向く。


「申し訳ございません。手違いでまだ支度が整っていないようにございます」

「えっ、いやあの」

「申し訳ございません。手違いでまだ支度が整っていないようにございます」

「アッハイ」

「今朝はよく晴れております。美味しく朝食を頂くためにも、朝の心地よい空気を楽しみながら御屋形をご案内させていただきます」

「アッハイ」


 うっすらとした微笑みとも取れる仮面のような表情で、ルミネスコはあたしたちを先導して歩き出した。気持ちゆっくり目の足取りで。

 無駄に遠回りして、必要もない道を通り、壁掛けの絨毯を眺めたり、中庭の雪を楽しんだりして、どのくらいの時間がたっただろうか。

 あたしたちはなにも見なかったし、実際なにもなかった。知らない。わからない。全員が全員、その共同幻想を共有し終えたころ、再び食堂の前にたどり着く。


 冷汗は引いたものの顔が引きつっているフロステーモを気にした風もなく、ルミネスコはわざとらしく何回か咳払いをした後、合図をして扉を開いた。

 暖かな暖炉の熱がゆらりと漏れ出し、そしてその先に御屋形様と奥様がおられた。


 やや服装とおぐしの乱れたほんのり頬の赤い御屋形様と、その腰を抱いて実につやつやとご機嫌そうな奥様が。


「んんっ……やあ、おはよう諸君。いい朝だね。朝食にしようか」


 あの、手遅れです、御屋形様。






用語解説


・フロステーモ(Frostemo)

 辺境伯の屋形に勤める女中。灰色の耳と尻尾を持つ狼の獣人ナワル

 素の表情が笑っているように見え、子供っぽい顔立ちや体型もあって人懐っこく見えるが、性格は割と下種。ゴシップを趣味としており、下世話な詮索を好む。

 特別に仲のいい友人もいないが、誰からもそこまで嫌われないという、立ち位置の構築がうまい。


・ルミネスコ(Luminesko)

 天狗ウルカの氏族白頭キ・ガの二等武装女中。

 表情が薄く言葉少ないため冷たく見られることが多い。

 本人からすると考えることが多すぎて口が回らないとのこと。

 大体において一人でボケと突っ込みを脳内で繰り広げており、思考内容がかなり賑やか。

 笑いのツボがクソ雑魚過ぎて腹筋が異様に強い。


白頭キ・ガ

 天狗ウルカの氏族の一つ。

 天狗ウルカの特徴の一つでもある前腕の飾り羽はほとんどひれ状で、密に生えた短く硬い羽毛に覆われている。

 風精との親和性はあまり高くなく、空を飛ぶことはできない。代わって水中を泳ぐことが非常に得意で、海を「飛ぶ」と言われるほど。

 一時間以上の潜水もこなし、山椒魚人プラオと魚しか知らないような深海まで潜ると言われる。

 また主に極寒の地に住んでおり、かなり高い耐寒性を示す。

 もっとも好きで住んでいるわけではなく、暖かい地方に移り住んだものも多い。

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