第九話 白百合と火気厳禁
前回のあらすじ
初手で非人道的兵器を持ち出したトルンペート。
よい子は真似しちゃいけない戦闘がはじまった。
長く苦しい戦いでした。
開幕火炎瓶から始まった模擬戦は、先の読めない展開が続くものでした。
トルンペートが火炎瓶を引き抜いて投げつけた時は、もしやこれで決まるのではと思ってしまったくらい、私は火炎瓶というものに対して信頼を抱いていました。何しろ特別な材料や技術を使わなくても作れて、特別な技能や訓練もなしに扱え、決まればお父様さえこんがり上手に焼ける兵器なのです。
人道とか環境への配慮とかを気にしなければ、文句なしに今年一番の成果を上げた道具と言っていいでしょう。
しかし、単純な道具というものは得てして単純に対処されてしまうこともあるのです。
いえいえ、ここは特等武装女中ツィニーコの鋭い洞察力と対応力を褒めるべきでしょうか。
トルンペートが鋭く投げつけた二本の火炎瓶は、狙いたがうことなく空中のツィニーコに飛んでいったのですけれど、やはり特等というものは簡単な相手ではありませんでした。
私なんかは飛んでくるものがあったら咄嗟に弾こうとかその程度なんですけれど、なんとツィニーコは火炎瓶を空中で受け止めてしまったのです。それも自分の手ではなく、風精を操って空気で瓶を握るという曲芸めいた真似をしてみせたのです。
「カッ! 構造は単純だな。火種に容器に、中身は液体か。火薬と導火線……ッて関係じゃねエな。どっちかッつゥと照明に近ェ……成程、割れりゃア燃料が飛び散って、一気に燃え上がるわけだ。夜間のボヤ騒ぎでたまに聞くぜ」
そしてすぐさまその構造と効果を推察してみせて、極めて冷静に対処してしまったのです。つまり、空爪を飛ばして火種を消し飛ばしてしまったのです。火のない火炎瓶などただの燃料瓶です。無力化され、解放された瓶はただただ地面に落下して、割れてしまいました。火がなければ酒精もこぼれるだけです。離れた私たちの元まで、濃い酒精が香る様です。これいいお酒ですよ。
「工夫は認めるが、舐めるなよッ! そんなあからさまに火のついたモンを馬鹿正直に受け止める馬鹿がどこにいるかッてんだ! 怪しいモンならテメエに近づく前に叩き落とす! ちょっと見りゃア仕組みなんざ馬鹿でもわかる! わかりゃ対処なんざいくらでもできる! 山ン中の間抜けな畜生どもだって避けらァ!」
啖呵を切るツィニーコでしたけれど、あの、それうちのお父様にざくざく刺さるので止めてもらっていいでしょうか。
ウルウも遠い目しちゃいます。まあ、もともとこの火炎瓶というものは、動かない的や、密集した人々の間に投げ込んだり、また建築物や地面にぶつけて火の海を広げるような、そう言う使い方らしいですから、一対一で向かい合って投げつけるって言う用法がすでに間違っているんでしょうけれど。
必殺の火炎瓶が通じず、さあトルンペートの次の手はと思えば、なんとまたもや火炎瓶を構えています。それもさっきより数が多いですね。数は力です。それは事実とはいえ、多ければ効くかって言うとそうではない気がするんですけれど。
ツィニーコもまた同じように考えたらしく、鼻で笑い、そして落胆したようにため息もついて見せました。
「たくさん投げりゃあどれかは当たると思ったか? 運良く一つでもあたってくれりゃあとか思ったか? ──特等を舐めるなよッ!」
事実、トルンペートが投げつけた火炎瓶はすべて正確に火種を消されたうえで、風の手に捕まれて地面に叩き落とされてしまいました。虚しく酒精が漂います。
手が二本しかない相手であれば、数は確かに有効でしょう。しかしツィニーコは違います。その操る風の手は二本どころではなく、その全てを精妙極まる操作をしてのける技量があるのでした。
ツィニーコにもっと悪意があれば、火種を消すのではなく、柔らかく受け止めた火炎瓶を全てトルンペートに投げ返すことだってできたことでしょう。
しかし、そのような恐るべき風の防衛線を広げるツィニーコを相手に、トルンペートが取れる手があるでしょうか。
例えば私であれば、無理矢理力づくで近づいて、そして結局空までは手が届かないのでどうしようもないでしょうか。
ウルウは平然と空爪を避けながら近づいて、空踏みで近づけるかもしれません。そもそもウルウが積極的に攻める姿が想像できませんけれど。
トルンペートの得意とするところの投擲は、風の盾に対して相性がよくありません。どれだけ正確に投げようとも、投げられたものは後から力を加えることができません。横から風を受ければあっさり曲がってしまうものなのです。
鱗貫きと呼ばれる、非常に力強く貫通力のある投げ方もあるのですけれど、それだって限度はあります。
ここにきて、トルンペートの決定力の乏しさというものが露呈してしまったのかもしれません。対応力には優れるトルンペートですけれど、勝負を決める決定的な打撃力に欠けるのです。
はらはらと見守る先で、トルンペートは《
「カッカッカッ、ははあん、ははあん、お前、あれだな。あれなんだな。──
額に青筋を立てるツィニーコ。その怒りに巻き込まれるように、風が吹き荒れ、そしてその手元に収束していきます。その場の風を適当に放り投げるような軽い空爪ではなく、集めた空気を固めて叩きつけようというのでしょうか。
小さな嵐のような風の暴力が、その手のひらの上で回ります。
いよいよもってこれはまずい、と焦ったのは外野ばかりで、むしろトルンペートはにやりと笑ったのでした。
「舐めてはいないし、勝てるとも思ってないわ」
「──は?」
「多分百回やっても、あたしは百回とも負ける。でも千回やれば、一度は取れる。その一度が今回よ。今回きり。あとの九百九十九回は負ける、そういう一回」
「お前に策でもあるんならッ! 見せても
それは、まったく突然のことでした。
手元の嵐を今まさに解放せんとしたツィニーコは呆気なくその制御に失敗して、それどころか空踏みさえままならず、自分の引き寄せた風に巻き込まれるように落下していったのでした。
その落下した先へと、トルンペートの最後の火炎瓶が緩やかに放り投げられ、そしてぼんと音を立てて大気が勢いよく燃え上がりました。
「なっ、ばっ、なななななななッ!?」
「思ったより激しかったわね」
「何をしたんですかトルンペート!?」
しれっと爆発を引き起こしたトルンペートによれば、こういうことでした。
ばらまいた火炎瓶は火種を消されたけれど、割れた瓶からは火酒がばらまかれた。そしてこの火酒は非常に酒精の強い、というかほぼ酒精で出来た高価なもので、とても揮発しやすい。揮発というのは、加熱しなくても自然のままで少しずつ蒸発していくことだそうで、つまり瓶のばらまかれたあたりには揮発した酒精が漂っていたようです。
それに引火してあのように一時に火が広がったようですけれど、そもそもなぜツィニーコは落下したのでしょうか。
その答えは、フォルノシードに回収されたツィニーコの様子にも関係がありそうでした。一気に燃え上がったので驚きましたけれど、爆発の威力自体はそこまでのものではなかったようで、ツィニーコもそれほど傷ついてはいないようでした。しかしそれ以上になんだか気持ち悪そうで、指を喉に突っ込んではげえげえと吐き戻してしまっています。
「あれだけ空気を使うんだもの。空気を飛ばせば、気圧差で自分のところに空気がやってくる。自分で飛ばすときにも、手元に空気を持ってくるわ。その空気は勿論手近なところから寄せるわけだけど、あのあたりの空気にはあたしのばらまいた酒精が混じる」
「フムン……でも酒精を嗅いだだけであんなに酔うほど弱かったんでしょうか……?」
「弱くしたのよ」
そう言ってトルンペートが取り出したのは、干し茸でした。今日の料理の試験の際に使ったものですね。
「前に森で
「ああ、お酒との食べ合わせが最悪に悪い……」
「
どうやら、使うかどうかは別として、事前に毒を仕込んでいたようです。それもお酒さえ飲まなければ効果の出ない毒を。まさか勝負が始まる前からしかけているとは。おっかないですね。私も胃袋を掴まれているだけに、なかなかぞっとしない話です。
それに、まさか火炎瓶がただの見せかけで、本命は酒精をばらまくことだったとは。
これにはウルウと二人でえげつないえげつないとひそひそ話しちゃいました。あんたらには言われたくないって言われちゃいましたけど。
「うぇぇええ……してやられたぜオイ、まったくしてやられたぜ……」
特等は毒への耐性も強いのか、それともフォルノシードが飲ませた何かしらの薬品が効いたのか、ややふらつきながらもツィニーコは復活した様でした。
そして、意外にも怒り狂うということもなく、むしろ冷静に三人で何やら話し合っているようでした。
「地力は微妙だな。伸びしろはあるかもしれねェが、あんま期待はできねェ」
「仕込みは面白いのでは。はたから見ていた私も悪意が感じ取れなかったもの」
「ワザ師だな、ありゃ。芸を磨くか、ネタを仕込むか」
「三等には置いておけないけど、一等という器でも、ね」
「……二等で、いいよ…………」
「んー、ま、アパ姉もこうだし、妥当じゃねエか」
話はまとまったようで、髪の端を焦がしたツィニーコが改めて向き直り、宣言しました。
「トルンペート。今日からお前は二等だ。二等武装女中を名乗れ。その上でよく励んで怠けンなよ」
「ありがとうございます」
「それはそれとしてクッソ生意気だな
さて、試験も済んで、庭も再び荒れて、ひと段落と行きたいところだったんですけれど、トルンペートにメンチ切り終えたツィニーコは、なぜかそのままウルウに絡み始めました。
「おうおうおう、ウルウっつったか」
「……そうだけど、絡まれるようなことしたかな」
「ペルニオ様が面白ェこと言うんだよ。お前に遊んでもらえってなあ」
どうもペルニオがけしかけたみたいでした。
極めて面倒くさそうなウルウが非難するような視線を向けても、ペルニオはしれっとしたものです。
あれですかね。ぎりぎりまで渋ってなんだかんだ付き合ってくれるといういつもの展開でしょうか。
などと思っていたら、ペルニオがウルウの耳元でそっと何かささやきました。
「どういうこと? なにを知ってる?」
「終わった後に、お話ししましょう?」
珍しく動揺したらしいウルウは、少しのあいだ考えて、そしてツィニーコに向き直りました。
「いいよ。しょうがない。やろうか」
「よォしよし! 噂のよめじょの実力ってヤツ、気になってたんだ!
「ダメだ」
「ああん?」
「寒いし、面倒くさいし、あとがつかえてるから、さっさと済ませよう」
「──へえ?」
「三人まとめてやろうか」
空気のきしむ音が聞こえたような気がします。
用語解説
・
ヒトヨタケ。コプリーヌとも。
徐々に黒く変色しはじめ、インクのような液状に溶けてしまう。
現地語のインコ・チャーポは英名のインクキャップからとった。
・
カクテルグラス型の傘を持つ茸。味はよく、干すとよい出汁が出る。
酒と一緒に食べるとひどく悪酔いしたような症状が出るうえ、毒素は一週間ほど残るのでその間の飲酒は厳禁。
見た目が地味であるため、知らずに食べる人も多い。
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